第35話 神の庭を壊す者たち
神殿の奥から溢れる光は、まるで呼んでいるようだった。
ケルビムが消えた後、神殿の奥から漏れ出すそれは——転送陣の人工的な煌めきとは、質が違った。
もっと深く、もっと古い。まるで世界の始まりを覗き込むような、根源的な何か。
扉を開ける。
そこは、拍子抜けするほど小さな部屋だった。
中央に、巨大な水晶球が浮いている。直径三メートルほど。内部で無数の光が明滅し、まるで星々が生まれては消えるように、複雑な幾何学模様を描き続けている。
「ダンジョンコア」
シノンの声が、静寂に沈む。
そして俺は——その足元に、見覚えのある紋様を見つけた。
床に描かれた魔法陣。
「これ……」
駆け寄る。膝をつく。指先で、冷たい石の表面をなぞる。
王国で召喚されたときの魔法陣と、同じ構造だ。複雑な幾何学模様。ルーン文字。魔力の流れを示す線。全てが、あの日の記憶と一致する。
「やっぱり……同じか」
「送還機能は、ない」
シノンが断言した。その声に、迷いはない。
「前に調べた時と同じだよ。これは一方通行の召喚陣。異世界から何かを"呼び出す"ためのもので、"送り返す"機能はない。コピーの魔法陣は、このオリジナルと共鳴して召喚する仕組みみたいだね」
絶望が、喉の奥から這い上がってくる。
せっかくここまで来たのに。最上階まで辿り着いたのに。それでも——帰れない。
「待って」
シノンがダンジョンコアに近づいた。
その横顔は、何かを思いついたときの表情をしている。
「このコアを調べれば、何かわかるかもしれない」
「調べるって……どうやって?」
「ハッキング」
シノンの瞳が、淡く発光した。
「ダンジョンコアは、この世界の魔法システムの中枢だ。でも、システムである以上——情報を処理している。情報がある限り、アクセスできる」
コアに手をかざす。
その瞬間——シノンの周囲に、半透明のウィンドウが次々と展開された。まるで花が開くように、光の画面が宙に咲く。
「でも、魔法だぞ? プログラムとかじゃないだろ?」
「魔法も、突き詰めれば情報処理だよ」
シノンの目の前に、波形のグラフが浮かび上がる。激しく上下に振動する光の線。
「魔力には周波数がある。特定の周波数で共鳴させれば、コアとの通信が確立できる」
指が空中で動く。まるで見えないキーボードを叩くように。その動作は流麗で、まるでピアニストが鍵盤を撫でるようだった。
「見つけた。基底周波数は……2.718ヘルツ。ネイピア数か。なるほど、自然対数を基準にしてるんだ」
俺には、さっぱりわからない。だけどシノンの目は輝いている。謎を解く喜びに、満ちている。
「次に、通信方法を特定する」
新たなウィンドウ。無数の文字列が滝のように流れてゆく。
「コアと会話するには、コアの『言葉』で話しかけないといけない。その言葉を解析してる」
シノンの目が、高速で流れるパターンを追っている。まるで古代の文献を読み解くように。
いや——それ以上に複雑な、神の言語を読み取っているのだ。
「なるほど……魔力の流れに『構文』がある。これに従えば……」
「シノン、それ……本当に魔法なのか?」
「魔法も、結局は情報だよ」
シノンは空中のウィンドウを見つめたまま答える。
「『こうすれば、こうなる』というルールの集まり。そのルールさえわかれば、会話できる」
文字列が、一瞬止まった。
「……繋がった」
シノンの声に、驚きが混じる。
「コアとの接続、成功。あれ……思ったより簡単だった。防御が……ない。まるで鍵のかかってない扉みたいだ」
シノンの指が、さらに速く動く。光の軌跡を描きながら。
「神は、誰かが侵入してくるなんて想定してなかったんだろうね。ダンジョンの管理……見つけた。これを操作すれば……」
「……やった」
小さくガッツポーズ。
その仕草が、妙に人間らしくて——俺は少しだけ、安心した。
「ダンジョンの管理権限、手に入れた」
「マジで……?」
「うん。今、僕たちがこのダンジョンの管理者だ」
その瞬間、ダンジョンコアが色を変えた。
青白い光から、淡い緑色へ。まるで主人が変わったことを、認めたかのように。
「これで、ダンジョンの構造を変えたり、モンスターの配置を変えたり、色々できる」
「じゃあ、送還魔法陣も——」
「それは無理」
シノンは首を横に振った。
「送還機能は、最初から実装されていない。ないものは、作れない」
また、絶望が戻ってくる。重い塊となって、胸の奥に沈む。
「でも、待って」
シノンが空中のウィンドウを操作する。光の粒子が指先から舞い散る。
「ダンジョンを作ったのは、誰かだ。そして、その誰かは——おそらく、神。このコアは、神界と繋がっているはずだ。その接続を辿れば……」
指が、空中で複雑な動きを描く。新たなウィンドウが、次々と展開される。
「神界への接続経路を探してる……魔力の流れを逆算すれば、送信元が……」
空中に、複雑な図形が浮かび上がる。それは立体的で、まるで多次元の迷路のようだった。
「神界への道筋だ。6次元……いや、もっと……11次元か?」
「本当か!?」
「まだ完全じゃない……でも、この経路を辿っていけば……」
シノンが、必死に解析を続ける。
光の線が空間を埋め尽くしてゆく。
まるで道を示すように、神界へと伸びてゆく。
「座標を特定する……もう少し……もう少しで……」
その瞬間——
「え……?」
空中のウィンドウが、一斉に赤く点滅した。
「接続が……切られた……!」
「誰だ!?」
「神だ……気づかれた……!」
ダンジョンコアは、淡い緑色のまま浮かび続けている。
管理権限は、まだ俺たちの手の中にある。だけど——神界への道は、閉ざされた。
沈黙。
長い、長い沈黙。
俺はその場に座り込んだ。石の床が、冷たい。
「……もう、帰れないのか」
声が震える。せっかくここまで来たのに。
最上階まで辿り着いたのに。
絶望が、全身を覆う。重い。重すぎる。呼吸が、苦しい。
「健太」
シノンが、俺の肩に手を置いた。その手は、暖かかった。
「諦めるのは、まだ早い」
「でも……」
「少なくとも、わかったことがある」
シノンの声に、力が戻ってくる。
「神は、いる」
「……え?」
「さっき、接続を切断したのは神でしょ。つまり、神は実在する。そして、神界も存在する」
シノンの目が、また輝き始める。
「神がいるなら、帰還方法もあるはずだ。神が僕たちを召喚したんだから、送り返す方法も知っているはずだよ」
「でも、その神に接触できないじゃないか……」
「接触できないなら」
シノンがニヤリと笑った。その笑みは、少しだけ危険で。
「引きずり出せばいい」
「引きずり出す……?」
「神は、何か目的があってこのダンジョンを作った。召喚魔法陣を最上階に置いたのも、何か理由があるはずだ。だったら、その目的を——邪魔してやればいい」
「邪魔……?」
「神が『こうなってほしい』と思ってることの、逆をやるんだ。そうすれば、神は無視できなくなるでしょ」
シノンの目が、危険な光を放っている。
「管理権限を奪取したおかげでダンジョンの構造を変えたり、モンスターの配置を変えたりできる。このダンジョン、神の思惑通りに機能してるはずだ。だったら——機能不全に陥らせる」
空中のウィンドウが、ダンジョンの全体マップを表示する。五十層の、巨大な構造物。
「そうだな。まず十階までは、モンスターが出ないようにしようか」
「え? モンスターを強くするとかじゃないの?」
シノンの答えは、予想外だった。
「だって、ダンジョンって人とモンスターを戦わせてるでしょ? なら、逆に戦いが起こらないようにしてみたらどうかな」
シノンは不敵に笑った。
「ダンジョンが機能しなくなれば、神は出てこざるを得ない。修正するために、直接介入してくるはず」
「……なるほど」
少しずつ、理解できてきた。
「その時に、交渉するってことか」
「そう。『帰還方法を教えろ。さもなくば、ダンジョンをさらに壊す』ってね」
シノンは空中のウィンドウを操作し始めた。光の粒子が、指先から舞い散る。
「まずは、軽いジャブから。ダンジョンの入口を閉じてみようか」
「おい、待て……」
「冗談だよ」
シノンが笑う。だけど、その目は笑っていない。
「でも、何かしらの『異常』を起こさないと、神は出てこない。だから——」
シノンは真剣な顔になった。
「ダンジョンを、ぶっ壊す」
俺はシノンの顔を見た。
その目には、迷いがない。決意だけが、そこにある。
「……わかった」
俺も立ち上がる。膝についた埃を払う。
「やろう。神を引きずり出して、帰還方法を聞き出す」
「うん」
シノンが頷いた。
「じゃあ、作戦会議だ。どうやって、このダンジョンをどうすれば——最も神が嫌がるか」
シノンは空中のウィンドウを見つめた。
そこには、ダンジョンの全体マップが表示されている。五十層の、巨大な構造物。そして、その全てが——今、俺たちの手の中にある。
「神様」
シノンが呟いた。
空中に浮かぶ無数のウィンドウが、シノンの笑みを反射している。まるで無数の鏡のように。
「ゲームオーバーだよ」
その声は、静かだった。
だけど——確かな意志を持っていた。
神の庭を壊す、という意志を。
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