第34話 ダンジョン制覇

 雪山の山頂から、雲を貫いて伸びる螺旋階段を見上げる。


「雲を突き抜けてる……なかなか非現実的な光景だな」


 俺は空を見上げて、思わず息をのんだ。

 雲を越えた先はもう、人の世界ではないような気さえする。まるで、天に至る道のように。


「そう? 軌道エレベーターもこんな感じだよ?」


 シノンは、まるで当たり前のように言った。

 相変わらず、こいつの「当たり前」は俺の常識を超えている。


 雪を踏みしめて、螺旋階段の一段目に足をかける。

 一段、また一段と、軋む音を立てて螺旋階段を登っていく。

 金属なのか石なのか、材質はよくわからなかった。表面は滑らかで、しかし冷たい。雪の冷気に濡れて、足元は滑りやすい。だが、不思議と怖くはなかった。


「健太は、高所恐怖症とかじゃないよね?」


 シノンが振り返りもせず、軽い声で言う。


「違うけど……こんなの初めてだからな」


 思わず足を止めて、眼下を見る。

 雲海が広がっていた。

 もう、地上の景色は何も見えない。雲が、全てを隠している。白い海が、どこまでも続いている。

 見上げると、遠くに浮島が見えてきた。


「雲の上に浮島って、ファンタジー全開だな」


 階段を登り切り、最初の浮島に辿り着く。

 あたりを見回すと、周りには大小様々な浮島が浮かんでいた。島と島の間は、短いもので数メートル、長いものでは数十メートルも離れている。

 空には、青い空が広がっている。太陽の光が、まぶしい。


「これを辿って行けってか? 落ちたら一巻の終わりだな」


 シノンをチラリと見る。


「はい、これ。腰につけて」


 シノンが差し出したのは、ベルトに辞書サイズの箱が付いたものだった。金属製で、表面には細かい回路が刻まれている。


「反重力スラスター。わかりやすく言えば、空中ダッシュとか二段ジャンプができるようになるよ」


「おおー、すげー! 面白そうだな!」


 早速、装着して試す。

 身体を傾けると、空中を滑る。蹴る動作で、もう一度跳べる。

 まるで、重力を無視しているかのような感覚。


「お、意外と簡単だな! これならすぐ使えそうだ!」


 簡単だった。あまりにも。

 しばらく練習しただけで、空中を自在に動けるようになった。浮島から浮島へ。軽々と飛び移る。

 雲海の上を滑空する感覚は、まるで夢の中にいるようだ。


「よし! これなら、空中ステージも楽勝だな」


「そろそろ行こうか」


 そう言って、シノンも空中を踏みしめた。

 浮島を次々と渡っていく。

 小さな島には古びた石柱が立っていたり、大きな島には崩れかけた遺跡があったりした。かつての文明の名残だったりするのだろうか。


 だが今は、静寂だけが支配している。

 風が吹き抜ける音だけが、世界を満たしていた。


「モンスターが全然出ないな」


「この階層には、雑魚敵はいないみたいだね。ボスだけかな」


 シノンが淡々と答える。

 その言葉通り、浮島を進んでも進んでも、敵の気配はなかった。ただ、風の音だけが聞こえる。

 そして――


「あれだ」


 シノンが指差した先に、ひときわ大きな浮島が見えた。

 その中央には、白亜の神殿が聳え立っている。

 まるで、天上の宮殿のような、荘厳な建物。


「あそこが……最後か」


「うん。間違いない。ダンジョンのコアはこの奥にあるはずだよ」


 俺たちは反重力スラスターで空中を滑るように進み、神殿の大扉の前に降り立った。

 扉は巨大で、高さは十メートル以上ある。表面には複雑な幾何学模様が刻まれ、淡く光を放っていた。


「ここが……最後か」


 もう一度呟く。

 胸が高鳴る。期待と、そして少しの不安。

 シノンの言葉に頷き、俺は扉に手をかける。重厚な石の扉が、ゆっくりと開いた。


 ギィィ――


 長い年月、誰にも開かれなかった扉が、今、俺たちを迎え入れる。


 *


 内部は広大な空間だった。

 床は鏡のように磨かれた白大理石。天井は遥か高く、そこから光の柱が降り注いでいる。


 そして――

 中央に、それはいた。


「……なんだ、あれ」


 四つの顔。人、獅子、牛、鷲。

 それぞれが四方を向き、メタリックな装甲に覆われている。顔の目が、青白く発光していた。

 背中には四枚の翼。

 金属質の羽根が、ゆっくりと開閉を繰り返している。翼の付け根からは機械的な駆動音が響き、翼の下には人間の腕のような機械アームが見え隠れしていた。


 そして、最も異様なのは――その足元を浮遊する、二つの巨大な車輪。

 車輪は二重になっており、互いに直交しながら回転している。そして、その縁には――


「目……?」


 無数の目が埋め込まれていた。それらは一斉にこちらを向き、赤く光る。

 背筋に、冷たいものが走った。


『───侵入者ヲ確認。排除ヲ開始スル』


 機械的な声が神殿に響いた。


「智天使ケルビムみたいだね。エゼキエル書に書かれているまんまの姿だよ。あの車輪みたいなのはオファニムかな?」

 シノンの声は、解説者のように冷静だ。だが――


「健太、下がって!」


 その瞬間、光が迸った。


 ズゴォッ!


 光線が俺のいた場所を貫いた。石畳が抉れ、破片が飛び散る。

 反重力スラスターを起動、空中に跳躍する。


「喰らえ!」


 着地と同時に剣を振るう。

 白い光刃が放たれ、ケルビムへと突き進む。

 だが――

 光刃は、ケルビムに当たる直前に霧散した。

 まるで、何かに吸い込まれたかのように。


「効かない……!?」


「天使だからかな? 聖剣技は効かないのかもしれない」


 シノンが冷静に分析する。

 その間にも、ケルビムの複数の目から光線が乱射される。俺は空中ダッシュで回避を繰り返した。

 いや、回避したつもりだった。

 光線が曲がった。


「なっ――」


 避けたはずの光線が軌道を変え、俺の肩を掠める。

 サーマルシェルが焦げ、痛みが走った。肩が、焼けるように熱い。


「動きを完全に読まれてる! あの車輪、オファニムがサポートしてるんだ!」


 シノンが叫ぶ。見れば、二つの車輪の無数の目が、一斉に俺を追っている。


「まず、あれを壊せってことか!」


「任せて!」


 シノンがアイテムボックスに手を突っ込む。

 取り出したのは、大口径のハンドガン。


「EMP弾頭を使う。健太、引きつけて!」


「了解!」


 俺は空中を駆ける。

 四つの顔が独立して追ってくる。獅子から炎。牛から雷。鷲から風。人の顔は、ただ静かにこちらを見つめている。

 オファニムの目が赤く輝く。

 完全にロックオンされている。


「今だ、シノン!」


「撃つよ――!」


 銃声。

 EMP弾がオファニムの一つに命中した瞬間、青白い電撃が車輪全体に走る。無数の目が明滅し、火花を散らした。

 ガシャン!

 金属音を立てて、車輪が床に墜落する。


『警告。視覚システム、50%喪失』


 ケルビムの機械音声が響く。


 そして――


 四つの顔が、バラバラな方向を向き始めた。


「精度が落ちた!」


 光線が俺を狙うが、明らかに軌道が甘い。回避できる。虚空を切り裂く光。


「もう一発!」


 シノンが二つ目のオファニムを狙う。

 だが、ケルビムはそれを許さなかった。

 翼が大きく開き、機械アームが伸びる。アームの先端から光弾が連射され、シノンの周囲に着弾した。


「くっ!」


 シノンが跳躍して回避する。

 だが、その隙に――


『視覚システム、再構築』


 壊れたはずのオファニムが、光の粒子となって再生していく。

 まるで、時間を巻き戻すかのように。


「嘘だろ!?」


「自己修復機能付きか……厄介だね」


 シノンが舌打ちする。

 俺は歯噛みした。

 聖剣技が効かない。オファニムは再生する。

 どうすれば――

 その時、ケルビムの中心部が一瞬、強く輝いたのが見えた。


「シノン! あの中心部、エネルギー炉みたいなのがあるぞ!」


「本体を狙うしかない、ってこと? でも、あの翼と装甲じゃ――」


「単分子カッターなら切れる!」


 俺は剣を構える。

 問題は、どうやって接近するかだ。


「健太。僕が囮になる。その隙に突っ込んで」


「危険すぎる!」


「大丈夫。バックアップ取ってあるから」


 シノンがニヤリと笑う。

 その笑みに、覚悟はない。死を理解していない未来人の、危うい笑み。


「……頼む」


 俺は頷いた。


 シノンが再びハンドガンを構える。

 今度は通常弾。ケルビムの顔面に向けて、連射する。

 銃声が、神殿に響く。


『攻撃を確認。排除する』


 ケルビムの全ての目がシノンに向いた。

 光線、炎、雷、風――全ての攻撃がシノンに集中する。


「今だ!」


 俺は床を蹴った。

 反重力スラスターを全開にし、一直線にケルビムへと突進する。

 翼が動く。機械アームが伸びる。


 だが――遅い!


「喰らえ――ッ!」


 単分子カッターが、ケルビムの金属翼を切り裂く。

 紙を切るような滑らかさで、刃が装甲を貫いた。

 そして、剣先が中心部のエネルギー炉に達する。


「これで――終わりだ!」


 ケルビムの体が、内側から発光する。


『致命的エラー。システム、停止――』


 機械音声が途切れる。


 そして――爆発。


 光の奔流が神殿を満たす。

 俺は咄嗟に腕で顔を庇った。爆風が吹き荒れ、体が吹き飛ばされる――

 そして、静寂。


 *


「……終わった、のか?」


 俺は床に倒れたまま、呟いた。

 ケルビムの残骸が、光の粒子となって消えていく。オファニムも、翼も、四つの顔も――全てが光る塵となり、空気に溶ける。

 まるで、夢が覚めるように。


「健太、無事?」


 シノンが駆け寄ってくる。服は焦げ、髪も乱れているが、無事なようだ。


「ああ……なんとか。お前は?」


「問題なし。ちょっと痛かったけどね」


 痛かった、という言葉が妙に軽い。

 やはり、こいつは死を理解していない。


 だが――


「ありがとう、シノン。お前がいなきゃ勝てなかった」


「どういたしまして。いい記憶データ取れたしね」


 シノンが笑う。

 相変わらずだ。

 神殿の奥から、新たな光が漏れ始めた。


 転送陣――いや、それよりも強い光だ。青白く、そして暖かい光。


「あれが……ダンジョンのコア?」


「多分ね。行ってみよう」


 俺たちは立ち上がり、光の方へと歩き出した。

 全身が痛む。疲れている。だが、足は動く。

 長い戦いが、ようやく終わろうとしていた。

 それとも――何かが、始まろうとしているのか。

 俺にはまだ、わからない。

 光が、近づいてくる。

 俺たちは、その光の中へと――



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