第31話 最前線への道

 翌日。

 朝日とともに、俺たちは再びダンジョンへと向かった。

 街はまだ目覚めたばかりで、通りには人影もまばらだ。冷たい朝の空気が、頬を撫でる。


「さて、二十一階はどんな環境かな」


「楽しみだね」


 シノンは、相変わらず前向きだ。

 彼にとって、これは冒険ではなく「調査」なのだろう。未知の環境、未知のモンスター――全てが、記録する価値のあるデータ。


 二十階の転送陣から出て、祠の中の階段を登る。

 石段が次第に乾燥し、熱を帯び始めた。湿気が消え、代わりに乾いた熱気が立ち込めてくる。


「……暑くなってきたな」


「うん。次は火山地帯かも」


 そして、二十一階へ――


 階段を降り切った瞬間、灼熱の空気が俺たちを包み込んだ。


「うわっ、熱っ!」


 目の前には、溶岩が流れる広大な洞窟が広がっていた。

 赤々と燃える溶岩流が、まるで川のように洞窟内を流れている。天井からは時折、溶岩が滴り落ちてくる。ポタリ、ポタリと音を立てて、地面に落ちた溶岩が煙を上げる。

 空気が揺らめき、呼吸するたびに喉が焼けるような感覚だ。肺に入り込む熱気が、内臓を焼くかのようだ。


「これは生身では、キツそうだね」


 シノンが顔をしかめながら、アイテムボックスに手を伸ばした。


「なになに? また、便利道具出してくれるの?」


 俺は期待に目を輝かせた。

 現れたのは、全身を覆うボディスーツ。

 マットな表面には六角形のハニカム模様が規則正しく浮かび上がり、光の角度によって微妙に輝きを変える。継ぎ目はほとんど見えないが、肩と脇腹に走る細いシームラインだけが、この装備の精密な設計を物語っていた。


「これは、サーマルシェル。服の下に着てみなよ」


 シノンがスーツを差し出す。

 手に取ると、予想以上に軽い。まるで、薄い布のようだ。だが、表面の質感は明らかに普通の布ではない。


「未来の技術に感謝、だな」


 周囲に他のパーティーがいないのを確認すると、俺は服を脱いだ。

 全身を覆うタイプだから、下着も脱がないといけない。


「ちょっと、そっち向いててくれ」


「別に見ないよ」


 シノンは興味なさそうに答える。

 素早く両脚をスーツに通す。

 全身を包み込むように引き上げ、背中のシームを合わせると、自動的にナノファスナーが閉じていく。音もなく、滑らかに。まるで、生き物のように。


「おお! なんだこれ、すごいな」


 最初は冷たく、肌に密着する感覚が少し不快だった。

 だが数秒もしないうちに、スーツが体温に反応し始める。内側がほんのり温かくなり、まるで自分の体温を優しく跳ね返されているような、不思議な感覚。


 軽く屈伸してみる。

 関節部分は薄く柔軟に作られているため、動きを妨げない。まるで、第二の皮膚のようだ。


「うん。いいなこれ」


 溶岩の熱波が再び襲いかかる。

 だが今度は、熱が肌に届かない。

 ハニカム構造の断熱層が、外界の灼熱と体温の間に見えない壁を作り出している。さっきまであれほど苦しかった暑さが、まるで嘘のように和らいでいた。


「これなら大丈夫そうだ」


 シノンを見ると、満足そうに頷いた。


「じゃあ、行こうか」


「ああ。この地獄、踏破してやろうぜ」


 俺たちは溶岩の川を見据え、炎の奥へと歩を進めた。


 *


 環境さえ克服してしまえば、出てくるモンスターは俺たちの敵ではなかった。

 多少強くなっているようだが、鎧袖一触――素材としてアイテムボックスに収まっていく。

 炎を纏った蛇。溶岩の中から襲いかかる巨大な蜥蜴。灼熱の息を吐く人型のモンスター。

 どれも、この環境に適応した強力な魔物だ。だが、俺たちの前では無力だった。


 溶岩の海に浮かぶ一本道を進む。


 幅は二メートルほどしかなく、両脇からは熱波が立ち上っている。サーマルシェルがなければ、とても歩けたものじゃない。一歩間違えれば、溶岩に転落して即死だろう。


 やがて、道の先に小さな孤島が見えてきた。


 孤島の先には見覚えのある光の円陣――転送陣だ。


「あそこが三十階の転送陣か」


「うん。でも……」


 シノンが視線を上げる。


 俺もつられて天井を見上げた瞬間、巨大な影が動いた。


 ドシン!


 地響きとともに、孤島に何かが降り立つ。

 炎を纏った巨躯。鱗に覆われた四肢。背中には翼。そして、赤く光る眼――


「ファイアドレイク……!」


 全長十メートルはあろうかという竜が、転送陣の前に仁王立ちしていた。

 喉の奥が赤く脈動し、熱気が収束していく。


 次の瞬間――


 ゴォォォッ!


 灼熱のブレスが一本道に叩きつけられる。

 岩が溶け、赤黒い溶岩へと変わっていく。退路が、削られていく。

 もう一度吐かれたら、俺たちの立っている場所も溶岩の海に沈むだろう。


「うわぁ、でかいね!」


 シノンが目を輝かせた。


「健太、いい感じに倒してよ!」


「いい感じって、なんだよそれ……」


「僕はしっかり記録するからさ」


 シノンは戦う気はないらしい。


 まあ、これくらいの敵ならなんてことない。

 ファイアドレイクが再びブレスを溜め始める。喉の奥が、さらに赤く輝く。

 このままでは足場が全部溶ける。


「しょうがない。さっさと片付けるか」


 俺は単分子カッターを抜き放つ。

 振り下ろした剣から、巨大な光の刃が放たれる。

 空気を切り裂き、一直線にファイアドレイクへと突き進む。


 竜は反応する間もなかった。

 光刃が胴体を両断する。

 断末魔の咆哮が洞窟に響き、巨体が崩れ落ちた。炎が消え、溶岩の海へと沈んでいく。


 ジュウウウ――という音とともに、蒸気が立ち上る。


 静寂。


「……終わり?」


「ああ、終わりだ」


 転送陣への道が開ける。俺は剣を鞘に収めた。

 もう、何も感じない。

 竜を一撃で倒しても、心は揺れない。


「健太。今後は、もう少し慎重に戦ったほうがいい」


 シノンが真面目な声で言う。


「いや、足場溶けてるし……なにか危ないところでもあったか?」


 俺は首を傾げた。


「ボスなんだから、撮れ高も考えて」


「お前、戦闘中に何言ってんだ……」


 ぶつくさ文句を言うシノンを尻目に、俺は転送陣へと向かった。


 光に包まれ、一階へと転送される。

 外に出ると、夕暮れの空が広がっていた。


「今日も一日、よく頑張ったな」


「健太もお疲れ様」


 俺たちは、ギルドへと向かった。

 夕日が、長い影を地面に落としていた。


 *


 ギルドに着くと、既に待ち構えていたかのように、ルードヴィッヒが現れた。

 黒いローブを纏い、金色の輪の紋章を胸に。その表情は、昨日よりも緊張しているように見えた。


「お帰りなさい。三十階到達、おめでとうございます」


「あれ、もう知ってるの?」


「ええ、三十階の転送陣から出てこられたと噂になってますよ」


 ルードヴィッヒは、額に浮かんだ汗を拭った。


「では、素材の査定を……」


 俺がアイテムボックスを開くと、ルードヴィッヒの表情が凍りついた。


 二十一階から三十階までのモンスターが、次々と現れる。

 炎を纏った蛇。溶岩の蜥蜴。灼熱の人型モンスター。そして、ファイアドレイク。

 ギルドの裏の広場が、モンスターの死体で埋め尽くされていく。

 山のように積み上がる死体。血の匂い。焦げた肉の臭い。


「これは……」


 ルードヴィッヒの額に、冷や汗が浮かんでいた。

 彼の手が、かすかに震えている。


「少々、お待ちください」


 彼は、慌ててクランハウスへと駆け込んだ。

 その背中は、どこか追い詰められた獣のようだった。


 *


 黄金の環のクランハウス。

 豪華な会議室が、怒号で満たされていた。


「三十階だと!?」


 幹部の一人が、テーブルを叩いた。

 ワイングラスが揺れ、中身がこぼれる。


「二十階到達から、まだ一日だぞ!?」


「し、しかし事実です……」


 ルードヴィッヒは、冷や汗を拭いながら報告を続けた。


「二十一階から三十階までのモンスター、合計二百三十七体。総買取額は……」


 彼が提示した金額に、幹部たちが息を呑んだ。

 会議室が、一瞬で静まり返る。


「これでは……資金が……」


 経理担当が、青ざめた顔で告げる。

 彼の手には、計算書が握られていた。数字が並び、赤い線が何本も引かれている。


「現在の手持ち資金では、到底足りません。銀行から緊急融資を受けるか、他の取引先への支払いを延期するか……」


「他の取引先への支払いを延期したら、信用問題になるぞ!」


「ですが、契約がある以上、買い取らないわけには……」


 会議室が、重苦しい沈黙に包まれた。

 金色のシャンデリアの光が、幹部たちの顔を照らす。だが、その表情は暗かった。

 やがて、クランマスターが口を開いた。


「……買い取れ」


「し、しかし……」


「契約を破れば、もっと大きな損失になる。ギルドからの信用も失う」


 クランマスターは、苦渋の表情で続けた。


「十五階から二十階の素材を、全て市場に流せ。多少安くなっても構わん。とにかく資金を回収しろ」


「了解しました……」


 幹部たちは、重い足取りで会議室を出て行った。

 誰も、顔を上げない。誰も、言葉を発しない。

 残されたクランマスターは、窓の外を見つめた。

 夜の闇が、街を覆い始めていた。


「……あの二人は、一体何者なんだ……」


 呟きは、誰にも届かず、夜の闇に溶けていった。

 部屋に、重苦しい沈黙だけが残された。

 金色のシャンデリアが、虚しく輝いていた。



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