第29話 快進撃

 六階から先は、順調そのものだった。


 七階、八階、九階――


 現れるモンスターは確かに強くなっていた。スケルトンは武装が重厚になり、ゴーストは実体を持たない分だけ厄介で、ミノタウロスは一撃の威力が桁違いだった。


 だが、聖剣技を制御できるようになった俺と、シノンのサポートがあれば、特に苦戦することもなかった。

 必要な時だけ光刃を放ち、不要な時は力を抑える。その使い分けが、もう呼吸をするように自然にできる。


 そして、ついに十階のボス部屋へと辿り着いた。

 石造りの廊下の先に、明らかに格が違う扉が聳え立っていた。

 それまでの扉とは、作りが違う。表面には複雑な紋様が刻まれ、かすかに魔力の残滓が漂っている。まるで、生き物のように脈動しているかのようだ。


「十階か。五階の時みたいなイレギュラーがいないといいんだけどな」


 俺は剣の柄を握り直しながら、前回の苦戦を思い出す。

 フロストタイタン。赤牙連の全滅。そして、何も感じなかった自分。

 あの記憶が、まだ胸の奥に引っかかっている。


「大丈夫だよ。今度は二人だけだし、準備も万端」


 シノンは自信満々に答える。


 確かに、赤牙連のような足手まといもいない。俺たちだけなら、どんな相手が来ても対処できるだろう。

 俺は深く息を吸い込み、重厚な扉を両手で押し開けた。


 ギィィ――


 錆びた蝶番が軋む音が、静寂の中に響く。

 扉の向こうには、広々とした円形の空間が広がっていた。

 天井は高く、松明の光が届かないほど暗い。石壁には無数のひび割れが走り、長い年月を感じさせる。


 そして、中央に――


 ストーンゴーレム。


 この部屋の主が、そびえ立っていた。

 高さは優に三メートルを超え、岩の塊で構成された体からは、圧倒的な質量が感じられる。腕の一振りで人間など簡単に潰されるだろう。

 その瞳には命の光はなく、ただ無機質な破壊の意志だけが、赤く灯っていた。

 俺たち二人の侵入に反応し、ゴーレムが軋むような音を立てて動き出す。


 ゴゴゴゴ――


 一歩踏み出すたびに、石床が震えた。砂埃が舞い上がる。


 だが――


 その巨体が完全に俺たちを捉える前に、俺は既に剣を構え、振り抜いていた。


 シュオオォォッ!!


 単分子カッターから迸る光刃が空間を切り裂き、ゴーレムの巨体を縦に両断する。

 岩を切り裂く音すらしない。あまりにも一瞬の出来事だった。


 一瞬の静寂の後――


 ドガァァンッ!


 二つに割れた岩塊が床に崩れ落ちた。地面が大きく揺れ、破片が四方に飛び散る。


「どっちも一撃だったけど、五階のイレギュラーに比べると、随分弱いな」


 ため息混じりにそう言いながら、俺はアイテムボックスにゴーレムの巨体を収納した。

 アイテムボックスに消えていくその様子を、横目で見送る。

 もう、何も感じない。


 強大な魔物を倒しても、達成感も高揚感もない。ただ、作業をこなしたという淡白な感覚だけが残る。


 ――俺は、変わってしまったのだろうか。


 そんな疑問が、一瞬だけ頭をよぎる。だが、すぐに振り払った。

 考えても仕方ない。前に進むしかないのだから。

 ボス部屋の奥、開かれた通路から、さらに先へと続く階段が見えた。


 *


 石段を上っていくと、次第に空気が変わり始めた。

 乾いた石の匂いが薄れ、代わりに湿気を含んだ生命の気配が濃くなっていく。

 石段が次第に湿り気を帯び始め、緑の苔が生え、足元がぬるつく。温度も上がり、汗が額に浮かぶ。


 そして、十一階へ――


「……は?」


 視界が一変した。


 いきなり見上げるほど高い木々が頭上を覆い尽くしている。

 幹の太さは人が三人抱えても足りないほどで、枝は複雑に絡み合い、天然の天井を形成していた。葉っぱが幾重にも重なり合って空はほとんど見えないが、そこから漏れる光が幻想的な緑色の空間を作り出している。


 地面は意外としっかり踏み固められていて歩きやすい。だが、あちこちに巨大な根が這い、足を取られないように注意が必要だ。

 湿気がじんわりと体にまとわりつき、遠くから鳥とも獣ともつかない鳴き声が響く。

 巨大な葉っぱと、見たこともない色鮮やかなフルーツ。虫の羽音。木の葉が擦れる音。

 完全にジャングルだった。


「いや、ダンジョンものだとよくある設定だけど、実際見ると不思議だな」


 俺はつぶやいた。

 ラノベの世界で何度も見たはずの光景なのに、目の前に広がる本物のジャングルは、予想以上にリアルで違和感があった。


 温度、湿度、匂い、音――全てが「本物」だ。

 つい先ほどまで石造りの廊下を歩いていたのに、一階層上がっただけで、まるで別世界に迷い込んだかのようだ。


 シノンは周囲をキョロキョロと見回している。その目は、子供のように輝いていた。


「へえ、明らかに外から見るより広そうだよね。もしかすると、中の空間が高次元で折りたたまれてて、別の次元に繋がってるのかもね」


 その分析に、俺は思わず唸った。


「つまり、俺たちは"階"って呼んでるけど、場所としてはもう階層の概念を超えてるわけか……」


「ダンジョンの仕組みを考えるのは後にして、攻略しようか」


 そう言って、シノンは興味深そうに歩き出した。

 足元の落ち葉がサクサクと音を立てる。湿った土の匂いが鼻をくすぐる。


 数歩進んだところで、シノンが立ち止まった。


「罠はなさそうだけど、蛇とかカメレオンとかいろいろ隠れてるね。マーキングするよ」


 シノンの言葉と同時に、ゴーグル越しの視界に次々と、赤い輪郭のシルエットが浮かび上がった。

 木の幹、葉の陰、地面の窪み――あらゆる場所に、擬態したモンスターが潜んでいる。

 生身の目では絶対に見抜けない。このゴーグルがなければ、俺たちは確実に奇襲されていただろう。


「よし、来た! そこっ!」


 マーカーの指示通りに雷魔法を矢に変換して放つ。

 放たれた矢は、何もないはずの空間に吸い込まれた――次の瞬間、ビリビリと電撃が走り、巨大なカメレオンが姿を現す。

 体長は二メートル以上。眉間を正確に射抜かれ、痙攣しながら木から落下してきた。


 ドサッ、という鈍い音。地面に激突した死体から、血が流れ出す。


「さすが俺!」


「僕の指示が完璧なだけだよ」


 シノンが呆れたような声で返す。

 その後も、シノンの緻密なナビゲートと、俺の圧倒的な火力で、次々とモンスターを倒していった。

 擬態する蛇。毒を吐く花。突然襲いかかる類人猿。

 どれも単独では手強い相手だが、シノンが位置を特定してくれれば、後は一方的な殺戮だった。


 二人の歯車が完璧に噛み合っている。言葉を交わさなくても、互いの動きが読める。シノンが指示を出す前に、俺は既に次の行動に移っている。

 俺たちは、他のパーティが何日もかけて地図を作りながら進むこの『巨大樹の森林』エリアを、まるで観光でもするように駆け抜けた。


 道中、何度か他のパーティとすれ違った。彼らは、俺たちの姿を見て驚愕の表情を浮かべる。そして、道を開ける。

 その目には、畏怖と――少しの恐怖が混じっていた。


 *


 巨大樹の森の奥深く――


 景色が次第に開け、木々の密度が減っていく。

 代わりに増えたのは、水の気配だ。

 薄暗い沼地に足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。

 重く湿った腐臭にも似た臭気が鼻を突き、地面が微かに、しかし確実に震えている。

 沼の水面には緑色の藻が浮き、ぽこ、ぽこ、と泡が弾ける。メタンガスの匂いが、吐き気を誘う。


 そして――水面が、不自然に盛り上がった。


「お、ヒュドラだね」


 シノンの声は妙に軽い。まるで珍しい虫を見つけた子供のようだ。


「おまえは、ボス戦でも観光気分だな」


 俺は呆れながら剣を握り直した。


「ヒュドラってあれだろ? 首切っても再生するやつ」


「そうそう。正確には九つの頭を持つ水棲の怪物。ヘラクレスが十二の功業の一つで倒した相手なんだ。でもね、面白いのは――」


 シノンは得意げに続ける。


「ギリシャ神話だと、ヒュドラの頭は不死身で、切り落とすと傷口から二本生えてくる。ヘラクレスは首を焼いて再生を防いだんだって」


「シノンの時代にも、ギリシャ神話が伝わってるって、そっちのほうが驚きだな」


 そんな呑気なやり取りに業を煮やしたように、沼の水面が激しく波打った。


 ゴボゴボゴボ――


 次の瞬間、巨大な九つの頭が水面からゆっくりと、しかし威圧的に姿を現す。

 それぞれの頭は成人男性の胴体ほどもあり、鱗に覆われた首が蛇のようにうねる。それぞれの頭が左右に動き、鋭い牙を剥き出しにしてこちらを睨みつけてきた。


 赤い瞳が、獲物を見定めるように光る。

 ゴポゴポと沼が泡立ち、巨体全体が浮上してくる。その全長は、優に十メートルを超えているだろう。


 圧倒的な存在感。


 だが――俺の心は、揺れない。


「俺はわざわざ、斬って焼くなんて、面倒なことはしないけど……なっ!」


 俺はそう言って、単分子カッターを構え、大きく息を吸い込んだ。


 一閃。


 そして、もう一閃。


 シュオオオオォォッ!!


 剣先から溢れ出た光の刃が、巨大な十字となって空間を切り裂き、ヒュドラを襲う。


 九つの頭が一斉に悲鳴を上げる暇もなく――


 ズバァァァンッ!!


 十字の光がヒュドラの巨体を完全に貫通した。

 一瞬の静寂の後、四つに切断された肉塊が、ドボドボと沼に沈んでいく。血が水面を赤く染める。


「体ごと切っちゃえば再生しないだろ。流石に」


 俺はヒュドラの死体を――沼に沈む前に回収し、アイテムボックスに仕舞った。


 神話の怪物。

 それを、俺は一瞬で屠った。

 何の感慨もなく。ただ、作業をこなすように。

 沼を回り込むと、開けた場所に出た。


 そこには石造りの小さな祠のような建物があり、床には見覚えのある魔法陣が刻まれている。


 その奥には、さらに上層へと続く階段が口を開けていた。


「転送陣があるってことは、ここが二十階か?」


「結構な広さのジャングルだったから、十階層分がひとまとめになってるのかもね」


 シノンが魔法陣を調べながら答える。


「思ったより早かったな」


 俺たちは転送魔法陣の中央に立った。

 足元の紋様が青白く発光し始める。魔力が集まり、体が浮遊する感覚。

 視界が光に包まれ、次の瞬間には一階の転送陣へと戻っていた。


 *


 外の空気が、汗ばんだ肌に心地よく触れる。

 街は夕日に染まっている。朝から潜り始めて、もう二十階。我ながら凄まじいペースだと思う。

 他の冒険者たちが何日、何週間とかけて到達する場所を、俺たちはたった一日で駆け抜けた。

 ダンジョンの入り口には、引き上げてきたであろう冒険者たちがひしめいていた。


 彼らは俺たちの姿を見ると、一様に動きを止め、じっと見つめてくる。

 その目には、驚き、羨望、そして――恐怖。

 俺たちが何者なのか、噂は既に広まっているのだろう。

 ドルガを倒した新人。五階でイレギュラーボスを討伐した謎の強者。


 そして今日、たった一日で二十階に到達した、規格外の存在。


「さて、素材下ろしに行くか」


「うん。なかなかの量だね」


 俺たちは、街の中心部にある冒険者ギルドへと向かった。

 石畳の通りを歩いていると、すれ違う人々の視線が刺さる。ひそひそと囁く声。指差す手。


「見ろよ、あいつらだ」


「二十階まで一日で? 嘘だろ」


「本当らしいぞ。ギルドが確認したって」


「化け物か……」


 その言葉が、妙に胸に引っかかった。


 ――化け物。


 そう呼ばれることに、もう慣れてしまった自分がいる。

 そして、それを否定する気力も、もうない。

 俺たちは、黙々とギルドへの道を進んだ。

 夕日が、長い影を地面に落としていた。



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