第28話 光刃と拡張される世界

 ダンジョンの入場資格を得た俺たちは、その足で早速ダンジョンへと向かった。

 もう誰の許可も必要ない。誰かに頼る必要もない。

 この黒い塔は、今や俺たちだけのものだった。


 石造りの重厚な門の前で、ギルドカードを提示する。更新されたばかりの、五階ボス討伐の印が刻まれたカード。

 門番は一瞥しただけで頷き、無言で道を開けた。その目には、昨日までとは違う畏怖の色が浮かんでいる。


 俺たちはそのまま入口をくぐった。

 中に入ると、広いホールのような空間が広がっていた。

 天井は高く、壁には無数の魔石が埋め込まれて、青白い光を放っている。右手の壁沿いには、同じく青白い光を放つ転送陣がいくつも整然と並んでいた。


 五階、十階、二十階、三十階、四十階――


 おそらく、それぞれが異なる階層へと繋がっているのだろう。


「さて、行こうか」


 俺がそう言いかけた瞬間、シノンがスタスタと一番奥の転送陣に向かって歩き出した。


「お、おい! なにしてんだよ!」


 俺の制止も聞かずに、シノンはあっさりと転送陣の上に乗った。


 青白い光が一瞬強く明滅する――が、何も起こらない。魔法陣は輝いたまま、シノンはそこに立ち尽くしている。


「やっぱり、自分で到達した階までしか飛べないんだね」


 シノンはこともなげに言いながら、転送陣から降りてきた。まるで、自動販売機でボタンを押して反応を確認したかのような、あっけらかんとした様子だ。


「もし転送されたら、どうすんだよ! どんな危険があるかもわからないんだぞ!」


 俺は思わず声を荒げた。


 もし転送されていたら、シノンは一人で未知の階層に放り出されていたかもしれない。そんなリスクを、何の躊躇もなく試すこいつの神経が、俺には理解できない。


「でも、検証は大事だよ?」


 シノンは涼しい顔で肩をすくめる。


「ダンジョンのシステムを理解することは、攻略の基本だからね。ショートカットできるかどうか、確認しておかないと」


「だったら、せめて事前に言えよ……」


 俺は溜息をついた。こいつに常識を求めるのが間違いなのだ。


「だけど、そんなに心配なら、健太にはこれを渡しておくよ」


 そう言って、シノンは青いクリスタルのようなものを、俺に差し出した。

 手のひらに収まるほどの小さな結晶体で、内部で微かに光が明滅している。まるで、生きているかのように。


「なんだこれ?」


「それは、僕の簡易端末。もし僕が死んだら――」


「おい! 縁起でもないこと言うなよ!」


 俺は思わず遮った。死ぬ、という言葉を、シノンはあまりにも軽々しく口にする。


 だが、シノンは意に介さず続ける。


「その端末から、第二、第三の僕が現れるだろう!」


「……なんだよそれ」


「いや、異世界シリーズの記憶断片がかなり人気でね。僕のレートも上がったから、予備の端末増やしたんだ」


「は?」


 相変わらず、こいつの常識はぶっ飛んでいる。

 死んでも代わりが現れる?もはや、何を言っているのか理解できない。


「健太を一人残したりはしないから、安心しなってこと」


 シノンはいたずらっぽく笑いながら、軽くウィンクした。

 その笑顔は、どこまでも軽く、そして――どこか寂しげにも見えた。


「……ああ、もういいや」


 俺は頭を振って、深く考えるのを諦めた。

 シノンの世界の常識を、今から理解しようとしても無駄だ。ただ、彼が俺を見捨てないと言ってくれている――それだけで、十分だった。


「とっととダンジョン攻略の続き行こうぜ」


「それがいいね」


 シノンはにっこりと笑い、今度は五階に繋がる転送陣へと向かった。


 俺もその後に続く。

 二人で転送陣に乗ると、足元の魔法陣が眩い光を放ち始めた。

 次の瞬間、視界が白く染まり――俺たちは五階へと転送された。


 *


 そのまま、階段を上り六階に足を踏み入れる。


 瞬間、空気が変わった。


 ひんやりとした空気が頬を撫でた。まるで、深い森の奥に迷い込んだかのような、湿った冷気。

 五階までとは明らかに違う、重苦しい魔力の気配。それは肌を刺すようで、呼吸するたびに肺に入り込んでくる。

 六階も相変わらず石造りの廊下が延々と続いているが、壁に刻まれた紋様が、より複雑になっている。幾何学的な模様が、まるで生き物のように蠢いているようにすら見えた。


「難易度が上がってそうな雰囲気だな」


「うん。魔力濃度も上がってる。空気中の魔素が、五階の1.5倍くらい。モンスターも強くなってるはずだよ」


 シノンのナビゲーションに従って進んでいると、やがてダンジョンの闇の奥から、音が聞こえてきた。


 カツン、カツン――


 規則的な、硬質な音。

 ぼんやりと揺れる青白い光の中に、白い骨が浮かび上がった。


「スケルトンか」


 錆びた剣を握りしめた骸骨兵。肉は朽ち果て、骨だけになった体がぎこちなく動いている。眼窩には、ぼんやりと青い光が揺れていた。まるで、魂の残滓が宿っているかのように。


 俺は、単分子カッターを軽く振る。


 シュッ――


 何の抵抗もなく振り抜く。空気を切る音だけが、静かに響いた。相変わらずの切れ味だ。まるで、バターを切るかのような滑らかさ。


 だが、次の瞬間。


 その斬撃の軌跡をなぞるように、白銀の光の奔流がほとばしった。


 聖剣技――光刃。


 空間を裂く光が、スケルトンを貫き、さらに奥の壁に激突して爆散する。

 壁面は何事もなかったように、傷一つ無い。ダンジョンの壁は、どうやら特殊な魔法で保護されているらしい。


 スケルトンは、真っ二つに割れて崩れ落ちる。骨が、カラカラと音を立てて床に散らばる。魔石が、カランと床に転がった。


「ダンジョンの壁なら、聖剣技でも壊れないみたいだから、剣使ってサクサク行くか」


 俺は、床に落ちた魔石をアイテムボックスにしまいながら呟いた。

 王国の平原で実験して以来、あまりの威力に封印していたが。だが、ここなら遠慮はいらない。思う存分、力を解放できる。


「聖剣技って、毎回勝手に発動するの? せっかくだから制御できるように練習してみたら」


 シノンが、興味深そうに尋ねる。


「そうだな。ちょっと試してみるか」


 俺は、スキルを発動しないよう意識して、剣を振ってみる。


 一振り目――光刃が飛ぶ。

 二振り目――やはり光刃が飛ぶ。

 三振り目――今度は何も起こらない。


 何度か試すうちに、感覚が掴めてきた。


「なんか、気合というか、切るぞって気持ちを込めると光の斬撃が出るっぽいな」


 力を抜いて、何も考えずに振れば光刃は出ない。しかし、戦闘中にそんな余裕があるだろうか。

 意識的に抑制するのは、思ったより難しい。


「しばらく練習が必要だな」


「まあ、ダンジョンなら実戦で鍛えられるよ。ほら、次が来た」


 シノンが指差す先に、また新たなスケルトンが現れた。カツン、カツンと規則正しい音を立てながら、こちらに向かってくる。


 俺は、今度は意識的に力を抜いて剣を振った。

 光刃は出ない。ただの斬撃が、スケルトンの首を刎ねる。


「よし、できた」


 こうして、出会ったスケルトンを切り捨てながら進むうちに、徐々に感覚が掴めてきた。


 力を込める――光刃が飛ぶ。

 力を抜く――ただの斬撃。


 繰り返し、繰り返し。


 やがて光刃を飛ばさなくても、自在に振れるようになってきた。身体が、技の制御方法を覚え始めている。まるで、呼吸をするかのように自然に。


「よし、だいぶコントロールできるようになってきたぞ」


「上達早いね。才能あるんじゃない?」


「才能っていうか、慣れだな。スキルの感覚に身体が馴染んできた感じだ」


 廊下を進みながら、俺は剣を軽く振る。もう、意図せず光刃が飛ぶことはない。必要な時だけ、確実に発動できる。

 この調子なら、さらに深い階層でも戦えそうだ。


「よし、じゃあここからはガンガン進んでいくぞ!」


 一歩、踏み出そうとした瞬間――


「健太、ストップ」


 シノンの声が、鋭く響いた。

 行くぞと意気込んだところに、急ブレーキがかかる。俺は慌てて動きを止めた。片足を上げたまま、バランスを取る。


「その足元、トラップだよ。踏まないようにね」


「うぉっ!」


 シノンの言葉に、慌てて飛び退く。

 心臓が跳ね上がった。一歩間違えれば、何が起きたか分からない。

 改めて足元を凝視すると、確かに床の色が僅かに変わっている。


 ほんの少し、石の色味が違うだけだ。言われなければ絶対に気づかなかっただろう。光の加減で、ほとんど見分けがつかない。


「こんなの、よく見抜けたな」


「多波長でスキャンしてるから、材質が違うところは丸わかりだよ」


 涼しい顔で答えるシノン。まるで当然のことのように。


「相変わらず便利そうな目だな」


「健太にも共有しようか? これ使いなよ」


 そう言って、シノンは懐からペンのような物を取り出し、俺に手渡した。金属製で、先端が微かに光っている。まるで注射器のような形状だ。


「なんだこれ?」


「視野拡張用のナノマシン。首の後ろ辺りに当てて、ボタン押せばインストールできるよ」


「え……改造人間にされるのはちょっと」


 俺は思わず後ずさった。

 いくらなんでも、脳に直接何かを注入するのは抵抗がある。それで便利になるとしても、自分の体を機械化するのは――まだ、受け入れられない。


「こんなの、普通なのに。健太はわがままだぁ」


 シノンは少し不満そうに言うと、今度は別の物を取り出した。


「じゃあこっちね」


 手渡されたのは、近未来的なゴーグルだった。

 透明なフレームと一体化したレンズは、驚くほど軽くて、普通のゴーグルと変わらない。だが、よく見るとレンズの表面に微細な回路が繊細に刻まれているのがわかった。青い光の線が、複雑な幾何学模様を描いている。


 恐る恐る掛けてみると――


 視界が一変した。


 視界の隅に、青い光で地図と現在地が表示されている。今まで歩いてきた道筋が、線で描かれている。

 さっきのトラップ部分には、赤い三角の注意マークが点滅していた。


 さらに、曲がり角の向こう側。

 本来なら見えないはずの場所に、モンスターの姿が半透明で浮かび上がっている。壁の向こうが透けて見えるような感覚だ。


「なんだこれ? シノンの視界っていつもこんなのか?」


「僕の視界はもっと複雑だよ。健太が見てるのは、こっちで処理済みの情報」


 シノンは、何でもないことのように答える。


「はぁ。ほんとお前の脳味噌どうなってんだよ……」


 これでも「簡易版」だというのか。シノンが普段どれだけの情報を同時処理しているのか、想像もつかない。


「まあ、便利だからいいでしょ」


 そう言って、シノンはスタスタと歩き出した。

 トラップを難なく避けながら、迷いのない足取りで。まるで、この迷宮の構造を全て把握しているかのように。

 俺は肩をすくめて、その後についていった。

 ゴーグル越しに見える世界は、確かに便利だが――どこか現実感が薄れるような、不思議な感覚だった。まるで、ゲームの中を歩いているかのような。


「さて、このペースなら今日中に十階まで行けそうだね」


「おう、どんどん進もうぜ!」


 俺たちの本格的なダンジョン攻略は、まだ始まったばかりだ。

 ゴーグルが示す地図の先には、まだ見ぬ階層が広がっている。

 帰還への手がかりは、その奥深くに眠っているはずだ。

 俺たちは、迷いなく闇の中へと進んでいった。



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