第25話 ダンジョン都市ガルダ=ラグナと三大クラン
ダンジョン都市ガルダ=ラグナは、俺が今まで見てきたどの街とも違っていた。
城壁の門をくぐった瞬間、それは分かった。空気の質が違う。学園都市の知的な緊張感でも、交易都市ラスタルの活気でもない。もっと生々しい、原始的な何か。
殺気、と呼ぶべきものだった。
「なんつーか……ピリピリしてるな、この街」
俺は無意識に、剣の柄に手を添えていた。
大通りを行き交う人々の、ほぼ全員が武装している。剣を腰に下げた冒険者、傷だらけの鎧を纏った戦士、血の匂いを纏ったような獣人、警戒の色を隠さない魔術師。誰もが、次の瞬間に襲いかかってくるかもしれない獣のような目つきで、周囲を見回していた。
道端では、酔った冒険者同士が殴り合いを始めている。周囲の者は誰も止めない。見向きもしない。ただ、邪魔にならないように避けて通り過ぎるだけだ。
「無法地帯、って感じだね」
シノンが、まるで珍しい生態系を観察する生物学者のような口調で言った。
「ここじゃ、自分の身は自分で守る。それが当たり前なんだろうね」
「……楽しそうに言うなよ」
俺は、本能的に警戒心を高めていた。この街では、ちょっとした油断が命取りになる。そんな予感があった。
そして、視界の中央に、それはあった。
街の心臓部に、天を貫くようにそびえ立つ、巨大な塔。
黒曜石を思わせる、漆黒の外壁。光を吸い込むかのような、不吉な存在感。その周囲には、蟻の巣のように無数の冒険者が出入りしている。傷だらけで引き上げてくる者、意気揚々と装備を整えて入っていく者、担架で運ばれていく者――。
「あれが、ダンジョン……なのか?」
俺は、その異様な光景に圧倒されていた。
ダンジョンといえば、地下に潜っていくものだと思っていた。洞窟のような暗い空間を、松明を片手に進んでいく――そんなイメージ。
だが、この街のダンジョンは、逆だった。
「上に登っていくタイプなんだな」
「面白いね」
シノンは、まるで建築物を鑑賞するように塔を見上げていた。
「登る方が、体力の消耗も激しいだろうし、重力を利用した罠も仕掛けやすい。設計者の意図が気になるね」
「……お前、いつもそんな視点なんだな」
「当然だよ。すべては記録する価値があるデータだから」
シノンは、何でもないことのように答えた。
俺は、改めてこの相棒の異質さを思い知らされる。彼にとって、この世界の全てが「観光」であり「調査対象」なのだ。命の危険すら、興味深いサンプルでしかない。
「さて、まずは冒険者ギルドに報酬を受け取りに行こうか」
「ああ」
俺たちは、雑踏の中を進んだ。
*
冒険者ギルドは、ダンジョンの塔のすぐ近くにあった。
巨大な石造りの建物で、扉を開けた瞬間、むせ返るような熱気と喧騒が俺たちを襲った。
酒を飲みながら大声で笑う者、依頼の羊皮紙を真剣に読む者、仲間と険しい顔で作戦を練る者、賭けトランプに興じる者――。
様々な種族、様々な装備の冒険者が、思い思いに時間を過ごしていた。学園都市のギルドとは、明らかに空気が違う。ここには、学問や秩序ではなく、力と金だけがある。
俺たちは、人混みをかき分けて受付カウンターに向かった。
「護衛依頼の報酬を受け取りに来ました」
俺がギルドカードを差し出すと、受付嬢――三十代くらいの、疲れた表情の女性が、機械的にカードを確認する。
「ケンタ・サトウ様、シノン様ですね。バルド商会からの報告、受領しております」
彼女は、手際よく報酬の金貨を数え始めた。一枚、二枚、三枚――規則正しい金属音が、周囲の喧騒の中で妙に鮮明に聞こえる。
「護衛依頼、無事完遂。報酬は金貨二十枚です。こちらをお受け取りください」
「ありがとうございます」
俺が金貨の入った革袋を受け取ろうとした、その時。
「おい、待てよ」
背後から、低く、ドスの効いた声がかけられた。
俺は、反射的に身構えながら振り返った。
そこには、筋骨隆々とした、獣のような男が立っていた。顔には無数の傷跡。鋭い目つき。そして、胸元には血に染まったような赤い牙の紋章が刻まれていた。
「……何か用ですか?」
俺は、警戒を隠さずに答えた。
「お前ら、バルド商会の護衛やってた奴らだろ?」
「ええ、そうですけど」
男は、値踏みするような目で俺たちを見回した。
「噂、聞いたぜ。お前ら、ワイバーンを倒したんだってな」
その言葉に、周囲の冒険者たちの視線が、一斉に俺たちに集まった。
「ワイバーン?」
「マジかよ」
「Fランクの新人が?」
「どうやって倒したんだ?」
ざわめきが、波のように広がっていく。
俺は、内心で舌打ちした。
(……バラされてたか)
護衛の連中が、噂を広めていたのだろう。俺たちを利用しようとして接触できなかったから、せめて情報を売ったのか。それとも、単なる自慢話か。
いずれにせよ、最悪の展開だった。
「それだけじゃねえ」
男は、さらに一歩近づいてきた。
「お前、でっかいアイテムボックス持ってるんだろ? ワイバーンの死体を丸ごと入るくらいの」
周囲のざわめきが、さらに大きくなった。
「丸ごと!?」
「そんなアイテムボックス、聞いたことねえぞ」
「どんだけ容量あるんだよ」
視線が、さらに重くなる。興味、好奇心、そして――欲望。
俺の持つアイテムボックスが、金になる、利用価値がある、そう判断した目だ。
俺は、平静を装いながら答えた。
「別に、そんな大したもんじゃないですよ」
「謙遜すんなよ」
男は、ニヤリと笑った。獲物を見つけた肉食獣の笑みだった。
「そんな便利なもん持ってるなら、ダンジョンで大活躍できるぜ。高階層の素材を一気に運べる。それだけで、どれだけの金になると思ってる?」
男は、親しげに肩に手を置こうとした。俺は、さりげなく半歩下がって避ける。
「なあ、俺たちのパーティに入らねえか? 悪いようにはしねえ。稼いだ報酬は、ちゃんと分配してやるからよ」
「いえ、結構です」
俺は、きっぱりと断った。
こういう手合いは、学園都市でも見た。強者に取り入って、その力を利用しようとする連中。そして、用がなくなれば平気で切り捨てる。
男の目つきが、一瞬鋭くなった。拒絶されることに慣れていない目。そして、その奥に――怒りが燻っている。
「……そうか」
男は、わざとらしく肩をすくめた。
「まあ、無理にとは言わねえ。お前らみたいな新人を、無理やりパーティに入れても仕方ねえしな」
そう言いながらも、男の目は笑っていなかった。
「じゃあな。また会おうぜ」
男は、意味ありげな視線を残して、ギルドを出て行った。
周囲の視線が、ようやく散っていく。だが、俺の背中には、まだ何人かの目が刺さっているのを感じた。
「……なんだったんだ、あいつ」
「さあ?」
シノンは、まるで興味がないという顔で首を傾げている。
俺は、受付嬢に尋ねた。
「あの、今の人たち、胸に牙のマークつけてましたけど……」
「ああ、赤牙連ですね」
受付嬢は、少し顔を曇らせた。その表情には、明確な嫌悪が浮かんでいる。
「赤牙連?」
「この街の三大クランの一つです」
「クラン……」
学園都市でも聞いた単語だが、ここでは意味が違うのかもしれない。
「ダンジョン都市には、大きく分けて三つの勢力があります」
受付嬢は、声を落として説明し始めた。周囲に聞かれないように、という配慮だろう。
「『赤牙連』『黄金の環』『シルバーウォード』。それぞれが、ダンジョンの利権を巡って競い合っています」
「利権……」
「ダンジョンから得られる素材やアイテムは、莫大な富を生みます。高階層の素材ともなれば、貴族が買い求めるほどの価値がある。だから、有力なクランに所属することで、より良い狩場や情報を得られるんです」
「なるほど……」
俺は、少し嫌な予感を覚えた。
利権があるところには、必ず争いがある。そして、その争いに巻き込まれた者は――。
「それと、もう一つお伝えしておきますが」
受付嬢は、申し訳なさそうに言った。
「お二人は、このダンジョンは初めてですよね?」
「ええ、そうですが」
「でしたら、ダンジョンへの単独入場はできません」
「え?」
俺は、思わず聞き返した。
「どういうことですか?」
「このダンジョンは特殊なんです」
受付嬢は、真剣な表情で続けた。
「通常のフィールドとは、まるで勝手が違います。どれだけ外で実力があっても、ダンジョン内では通用しないことが多い。初見殺しのギミック、特殊な魔物、複雑な構造、階層ごとに変わる環境――」
彼女は、まるで何かを思い出すように目を伏せた。
「……過去に、何人もの有力な冒険者が、初見で命を落としています。Aランクの冒険者ですら、油断すれば死ぬ。それがこのダンジョンです」
「それで、経験者の同行が必要、と」
「はい」
受付嬢は頷いた。
「ギルドの規則として、五層のボスを討伐した経験者が同行しない限り、入場を許可していないんです」
「五層のボス……」
「はい。五層まで到達できれば、ダンジョンの基本的な危険性を理解したと見なされます。そこから先は、自己責任で挑戦できますよ」
彼女は、気の毒そうに付け加えた。
「だから、どこかのパーティに入るか、五層まで到達した冒険者を雇って同行してもらうか――いずれかの方法をとる必要があります」
俺は、シノンと顔を見合わせた。
「……つまり、どこかのパーティに入らないと、ダンジョンに入れないってことか」
「そういうことですね」
受付嬢は、同情の色を浮かべて微笑んだ。
――最悪だ。
俺たちの目的は、ダンジョンの最上階に到達すること。そのためには、まずダンジョンに入らなければならない。
だが、そのためには、他人の力を借りなければならない。
それも、さっきみたいな、明らかに俺たちを利用しようとする連中の。
*
ギルドを出ると、俺は大きく溜息をついた。
午後の陽光が、やけに眩しい。周囲の喧騒が、頭の中で反響している。
「参ったな。パーティ、か」
「まあ、仕方ないね」
シノンは、相変わらず楽観的だ。というか、彼にとってこれもまた「面白いデータ」なのだろう。
「でも、どうやってパーティ探すんだよ。あんな利用する気満々の連中しかいないのに」
その時、再び声がかかった。
「よう、新人」
嫌な予感がした。振り返ると、案の定、先ほどの赤牙連の男が、今度は五人ほどの仲間を連れて立っていた。
「……また、あんたか」
「話を聞いたぜ」
男は、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「お前ら、ダンジョン初めてで入れないんだろ?」
「……まあ、そうですけど」
「だったら、好都合だ」
男は、一歩近づいてきた。
「俺たちのパーティに入れ。五層のボスを倒す手伝いをしてやる。その代わり、お前のアイテムボックスを使わせてもらう。どうだ?」
俺は、男の目を見た。
そこには、明らかな打算があった。獲物を捕らえた狩人の目。俺たちは、彼らにとって「利用価値のある道具」でしかない。
(……こいつら、俺たちを荷物持ちに使う気だな)
だが、他に選択肢はなかった。
ギルドの規則である以上、誰かの助けを借りなければダンジョンに入れない。そして、この街で信頼できる相手を探す時間もコネもない。
俺は、歯噛みしながら答えた。
「……分かりました。お世話になります」
「へへ、話が早くて助かるぜ」
男は、満足そうに笑った。まるで、安く仕入れた商品を手に入れたかのような笑顔。
「じゃあ、明日の朝、ダンジョンの入り口で集合だ。時間は日の出と同時。遅れんなよ」
そう言い残して、男たちは去っていった。その背中からは、獲物を手に入れた満足感が滲み出ていた。
「……なんか、嫌な予感しかしないんだけど」
俺が呟くと、シノンは楽しそうに笑った。
「面白そうじゃないか。ダンジョンの中、どんな風になってるのか、楽しみだよ」
「お前は、気楽でいいよな……」
俺は、溜息をついた。
結局、俺たちは利用される側に回った。ワイバーンを倒した時と同じだ。力を示せば、それを利用しようとする者が現れる。
――力は、自由をもたらさない。
むしろ、新たな束縛を生むだけだ。
だが、他に方法はない。
俺たちは、赤牙連のパーティと共に、ダンジョンに挑むことになった。
「とりあえず、宿を探そうか」
「ああ」
俺とシノンは、喧騒に満ちた街の中を歩いていった。
背後では、ダンジョンの黒い塔が、まるで俺たちを嘲笑うかのようにそびえ立っていた。
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