第4章 ダンジョン都市編

第24話 護衛依頼と荒くれ者たち

 学園都市の西門を抜けたキャラバンは、午前の陽光を浴びながら北への街道を進んでいた。


 荷馬車の最後尾、揺れる木箱の上に腰を下ろして、俺は果てしなく続く平原を眺めていた。風が草原を撫でるたび、緑の波が遠くまで伝わっていく。その向こう、地平線の際に、ダンジョン都市があるのだという。


「なあ、シノン」


 俺は退屈しのぎに話しかけた。


「ダンジョン都市って、どんな場所なんだろうな」


「ダンジョンを中心に発展した都市構造だから、必然的に冒険者人口が多くなる。経済も素材取引に依存している可能性が高いね」


「……もっとこう、ラノベっぽい答えを期待してたんだけど」


「例えば?」


「荒くれ者が酒場で喧嘩してるとか、謎の美少女が依頼を持ち込んでくるとか」


「統計的には、そういう事象の発生確率は――」


「もういい」


 俺は諦めて、また草原を眺めた。シノンに情緒を求めるのが間違いなのだ。

 穏やかな昼下がり。キャラバンの車輪が立てる音だけが、規則正しく時を刻んでいた。


 ――その時だった。


 空気が、変わった。


 何と表現すればいいのか分からない。音も匂いも変わっていない。だが、肌を撫でる風の質が、ほんの少しだけ重くなったような気がした。


「全員、警戒! 前方に魔物の群れ!」


 先頭を走っていた護衛冒険者の一人が、鋭く叫んだ。

 その声で、キャラバン全体に緊張が走る。商人たちが慌ただしく荷馬車を寄せ始め、護衛たちが次々と武器を抜いた。


 俺も反射的に荷馬車から飛び降りて、前方を凝視した。

 街道の先、森の影から、灰色の巨体が姿を現す。一頭、二頭、三頭――五頭の、人の背丈を優に超える狼型の魔物。鋼鉄のような毛並みと、獲物を射抜く黄金の眼。


「ダイアウルフか……。厄介だな」


 護衛のリーダー格らしい、筋骨隆々とした男が低く呟いた。顔には古傷が走り、長年の戦闘を物語っている。


「俺たちで食い止める! 商人たちは荷馬車の周りに固まれ!」


 男の号令で、護衛冒険者たちが陣形を組んだ。全部で八人。それぞれが剣や槍を構え、じりじりと前進していく。

 俺も剣の柄に手をかけた。護衛として雇われている以上、戦わないわけにはいかない。


 だが、その時。


「待て」


 リーダーの男が、冷たい視線を俺に向けた。


「新入りは後ろで見てろ。足手まといになるだけだ」


「は? でも、俺も護衛として――」


「いいから、下がってろ」


 男は言葉を遮ると、もう俺に興味を失ったように前線へと駆け出した。


「……なんだよ、あいつ」


 俺は唇を噛んだ。見下されている。それが分かって、胸の奥に苛立ちが燻る。だが、今ここで騒いでも仕方ない。

 俺は不本意ながら荷馬車の陰に身を隠した。シノンも隣に立ち、まるで学術調査でもするように静かに戦況を観察している。


 ダイアウルフの群れが、怒号を上げながら護衛たちに襲いかかった。

 轟音。金属と爪が激突する音。魔物の咆哮と、人間の掛け声。

 だが、護衛たちは思いのほか手慣れたものだった。リーダーの男が前衛で魔物の注意を引き、両脇の冒険者が連携して側面から攻撃を加える。後衛の魔法使いが、炎の矢を放って牽制する。


 見事な連携だった。


「……さすがだな」


 俺は、その手際の良さに感心していた。確かに、この中に素人が混ざれば邪魔になるだけかもしれない。

 一頭、また一頭と、ダイアウルフが倒れていく。

 戦いは、護衛たちの勝利で終わるかに見えた。


 ――その時だった。


 森の奥から、何かが動く音がした。

 木々が大きく揺れ、鳥たちが一斉に飛び立つ。


 そして、影が現れた。

 巨大な、翼を持つ影。


「おい、嘘だろ……あれ、ワイバーンじゃねえか!」


 護衛の一人が、恐怖で声を震わせた。


 空を舞う、竜の亜種。青黒い鱗に覆われた全長十メートルはあろうかという巨体。鋭い爪と、牙の並んだ顎。そして、今まさに大きく息を吸い込んでいる喉の奥が、赤く輝き始めていた。


 ワイバーン。

 こんな街道に現れるには、あまりにも強大な魔物だった。


「くそっ! 全員、退避――」


 リーダーが叫んだ、その瞬間。


 時間が、引き延ばされたように感じた。

 ワイバーンの喉が、さらに赤く膨らむ。あと一秒もしないうちに、灼熱のブレスが放たれる。

 荷馬車にいる商人たちは、まだ避難すらできていない。


 このままでは――全員が焼き殺される。


 俺の体は、思考より先に動いていた。

 荷馬車の前に飛び出し、両腕を前に突き出す。


「――防げ!」


 無詠唱。魔力を風に変換し、圧縮し、展開する。

 次の瞬間、荷馬車の前方に、透明な風の障壁が形成された。


 そこへ、灼熱の炎が襲いかかる。


 ゴオオオオオッ!


 世界が赤く染まった。轟音と熱気が視界を覆い尽くす。商人たちの悲鳴が聞こえる。だが、風の壁は持ちこたえている。炎が障壁に激突し、左右へと逸れていく。

 俺の両腕が、熱で震えた。魔力を維持するのに必死で、歯を食いしばる。


 五秒。


 十秒。


 ――ようやく、炎が途切れた。


「……っ、は、はあ……」


 俺は膝をつき、荒い息を吐いた。全身から汗が噴き出している。だが、荷馬車は無事だ。商人たちも、護衛たちも、無事だ。


「な、なんだ……!?」


 護衛たちが、呆然と俺を見つめていた。

 だが、まだ終わっていない。

 ワイバーンが、再び息を吸い込み始めた。


「シノン、頼む!」


「うん」


 シノンが、まるで散歩にでも出るような穏やかな口調で答えた。

 そして、何の躊躇もなく懐からハンドガンを取り出す。

 黒光りする、異形の武器。この世界のどんな魔道具とも似ていない、未来の殺戮兵器。


 シノンは、まるで呼吸をするかのように自然に、ワイバーンに照準を合わせた。右目を細め、引き金に指をかける。

 世界が、一瞬だけ静止した。


 そして――轟音。


 ワイバーンの頭部が、弾け飛んだ。


 いや、「弾け飛んだ」という表現すら生温い。頭蓋が内側から破裂し、脳漿と血液が霧のように四散した。頭部を失った巨体は、糸の切れた操り人形のように制御を失い、地響きを立てて地面に墜落する。


 土煙が上がり、地面が揺れた。


 静寂。


 誰も、何も言わなかった。


 護衛冒険者たちが、硬直したまま立ち尽くしている。リーダーの男の顔は、恐怖と困惑が入り混じった、何とも形容しがたい表情になっていた。


「……え?」


 誰かが、ようやく声を絞り出した。


「今の……何だ……?」


「魔法、か?」


「いや、でも、詠唱も魔法陣もなかったぞ……」


「音だけで、あんな化け物が……」


 ざわめきが、じわじわと広がっていく。

 シノンは、何事もなかったように、ハンドガンを懐にしまった。


「健太、片付けよう」


「……ああ」


 俺は立ち上がり、息絶えたワイバーンに近づいた。

 まだ温かい巨体。鱗は光を弾き、爪は鋭く尖っている。こんな化け物が、たった一発で沈んだ。


 俺は、改めてシノンの「武器」の恐ろしさを思い知らされた。


 *


 戦闘が終わり、キャラバンは再び動き出した。

 だが、雰囲気は明らかに変わっていた。


「いやあ、助かりました! まさか、あんな強力な魔物が現れるとは……」


 商人バルドが、俺たちの前で何度も頭を下げる。丸々と太った体を揺らして、本当に心の底から感謝しているようだった。


「あの、健太殿、シノン殿。先ほどは、本当に、本当にありがとうございました。私たちの命の恩人です」


「いえ、護衛として雇われてますから」


 俺は、あっさりと答えた。別に恩に着せるつもりはない。ただ、仕事をしただけだ。


 だが、護衛冒険者たちの反応は違った。

 彼らは荷馬車の前方で、固まって何かを話し合っている。時折、こちらを盗み見るような視線が向けられる。その目には、感謝ではなく、警戒と――嫉妬が混ざっていた。


 特に、リーダーの男は明らかに不機嫌だった。


「……おい、新入り」


 男が、重い足取りで近づいてくる。


「なんだよ」


 俺は、面倒くさそうに答えた。


「お前の連れ……今の、何だ?」


「何って?」


「あの、黒い……武器、みたいなやつだ」


 男は、どう表現していいか分からない様子で言葉を探していた。


「ああ、あれですか。シノンの魔道具ですよ」


「魔道具……?」


 男の顔が、さらに歪んだ。


「そうです。珍しいでしょう?」


「……珍しい、な」


 男は、苦々しく呟いた。まるで、何か腐ったものを口に含んだような表情だ。


「まあ、いい。だが、次からは勝手に動くな。連携が乱れる」


「……はあ?」


 俺は、思わず声を上げた。


「お前ら、助けられたんだぞ? あのまま何もしなかったら、全員焼け死んでただろ」


「助けられた、だと? 俺たちだって、あれくらい何とかできた」


「嘘つけ。お前ら、完全にパニックになってただろ」


「……っ」


 男は、何も言い返せなかった。顔を真っ赤にして、拳を震わせている。だが、俺の言葉が事実だと分かっているから、反論できない。

 しばらく睨み合いが続いた後、男は踵を返した。


「……チッ」


 小さく舌打ちをして、仲間のもとへ戻っていく。


「……なんだよ、あいつら」


 俺は、不満を抱えながらも、荷馬車に戻った。

 シノンが、楽しそうに笑っている。


「面白いね。プライドが高いんだろうね」


「笑い事じゃねえよ」


「でも、よくあることだよ。劣等感を認められない人間は、現実を歪めて解釈する。『助けられた』ではなく『余計なことをされた』と考える方が、自尊心が傷つかないからね」


 シノンは、何でもないことのように言った。

 俺は溜息をついて、揺れる荷馬車の上に寝転がった。青い空が、どこまでも続いている。


 ――なんだかな、と思った。


 助けて、感謝されるどころか、逆恨みされる。

 この世界は、思っていたより面倒くさい。


 *


 戦闘後、俺はワイバーンの死骸を処理することにした。

 巨体に近づき、アイテムボックスを起動する。光の粒子が死骸を包み込み、一瞬でボックスの中へと収納された。


「……おい、今の何だ?」


 護衛の一人が、目を見開いた。


「アイテムボックスですけど」


「アイテムボックスは知ってる。だが、あんなに大量に……」


 別の護衛が、信じられないという顔で俺を見ている。


「容量、どれくらいあるんだ?」


「さあ、測ったことないので」


 俺は、あっさりと答えた。本当に測ったことがない。というか、測る必要も感じていない。


 護衛冒険者たちが、ざわついた。


「……すげえな、おい」


「あれだけ入るなら、素材の運搬が楽だぞ」


「ダンジョンでも使えるんじゃないか?」


「高階層の素材を一気に持ち帰れるぞ」


 興奮した様子で話し合っている。

 彼らの目には、さっきまでの警戒心とは違う、ギラついた何かが宿っていた。


 ――利用価値。


 俺は、その視線の意味を理解して、背筋に冷たいものが走った。


(……目立ちすぎたか)


 後悔しても、もう遅い。

 俺のアイテムボックスの噂は、ダンジョン都市に着く前に、キャラバン中に広まっていた。


 *


 それから数日後。


 キャラバンは、ついにダンジョン都市『ガルダ=ラグナ』に到着した。

 遠くから見えたのは、巨大な城壁。

 近づくにつれて、その威容がはっきりとしてくる。高さ二十メートルはあろうかという灰色の壁が、都市全体を覆い尽くしている。


 そして、城門をくぐった瞬間――視界が開けた。


 都市の中央に、漆黒の塔がそびえ立っていた。

 いや、「塔」という言葉では足りない。それは、まるで天を貫くかのような、不気味なまでに巨大な構造物だった。周囲の建物が、まるで子供の積み木のように小さく見える。


「……でけえな」


 俺は、その光景に圧倒されていた。

 あれが、ダンジョンなのだろうか。


 塔の周囲には、無数の建物が密集している。酒場、宿屋、武器屋、道具屋、ギルド――すべてがダンジョンを中心に、同心円状に広がっていた。

 街を行き交う人々の多くが、武装している。剣を腰に下げた冒険者、重厚な鎧を纏った戦士、杖を持った魔法使い。

 ここは、冒険者の街だった。


「ここが、ダンジョン都市『ガルダ=ラグナ』か」


 シノンも、興味深そうに街を眺めている。

 キャラバンが広場で停止し、商人バルドが俺たちに笑顔で手を振った。


「それでは、お二人とも。本当にありがとうございました! また機会があれば、よろしくお願いします!」


「ええ、こちらこそ」


 俺たちは簡単に挨拶を交わし、キャラバンから離れた。

 護衛冒険者たちは、複雑な顔で足早に立ち去っていく。リーダーの男は、最後まで俺たちを見ようともしなかった。


「……まあ、いいか」


 俺は肩をすくめた。


「それじゃ、冒険者ギルドに行こうか」


「うん」


 俺とシノンは、活気に満ちた都市の喧騒の中へと足を踏み出した。

 ダンジョンの黒い塔が、巨大な影を俺たちの上に落としていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る