第20話 盗まれた革命、手に入れた鍵
翌日、俺とシノンは、先日出会った山羊髭の老教授――魔道具学を専門とする、オルコット教授の研究室の前に立っていた。
「本当に、そんな論文一つで、あのガンコそうなじいさんを説得できるのかよ」
俺が不安げに呟くと、シノンは自信満々に胸を張った。
「大丈夫。この論文の価値が理解できるなら、彼は必ず僕を禁書庫に入れるはずだよ」
シノンが扉をノックすると、中から不機嫌そうな声が響く。
「……入れ」
研究室の中は、天井まで届くほどの本と、雑多な魔道具の部品で埋め尽くされていた。
オルコット教授は、山積みの資料の中から顔を上げ、いぶかしげに俺たちを見つめる。
「何の用だ、聴講生。私は忙しいのだが」
「オルコット教授。先日お話しいただいた、推薦状の件です。これが、僕の研究論文です」
シノンは、一礼すると、手にしていた論文を教授の机に置いた。
教授は、論文のタイトルを一瞥すると、あからさまに馬鹿にしたような鼻息を漏らした。
「『魔道具の汎用的な省力化』だと? 青二才が、夢物語を……。いいか、魔道具の性能は、魔力伝導率と素材の純度で決まる。そんなものは、この分野の常識だ」
「その『常識』が、ボトルネックなんです。この論文を読んでいただければ、ご理解いただけるかと」
「……よかろう。だが、期待はするな。時間の無駄だったと判断したら、即刻叩き出してやる」
教授は、追い払うように手を振ると、しぶしぶ論文を手に取った。
最初は、粗探しでもするかのように、斜めに読んでいた教授の顔が、数ページ読み進めるうちに、険しいものに変わっていく。
やがて、その目は信じられないものを見るかのように大きく見開かれ、ページをめくる指が、わなわなと震え始めた。
「ば、馬鹿な……。魔力伝導の経路を、複線化、だと……? なぜ、誰もこの発想に至らなかったのだ……?」
「この理論が正しければ、既存の魔道具の、実に九割以上が、十分の一以下の魔力で、同等の性能を発揮できる……。いや、それどころか……」
教授は、論文の最後の一文を読み終えると、椅子に深く沈み込み、天を仰いだ。
「……革命だ。これは、魔道具の歴史における、最大の革命だ……」
長い沈黙の後、教授が口を開いた。
「……シノン君。率直に聞こう」
教授の声が、わずかに震えている。
「君は、この論文の価値を、本当に理解しているのか?」
「魔道具の効率が上がる、という程度には」
「『程度』……だと」
教授は、深く息を吐いた。
「この論文は、魔道具学の歴史を塗り替える。帝国魔導学会の最高賞も夢ではない。君の名は、歴史に刻まれるのだぞ」
「それで、禁書庫には入れますか?」
「……君は、本当に名誉に興味がないのだな」
教授は、しばらく考え込んでから、意を決したように言った。
「では、取引をしよう。この論文を、私の名義で発表させてくれ」
「推薦状をいただけるなら、どうぞ」
シノンは、即答した。
教授は、一瞬、拍子抜けしたような顔をする。
「……本当に、いいのか? 君の研究が、私の手柄になるのだぞ」
「構いません。僕が欲しいのは、推薦状だけです」
教授の目が、ギラリと光る。
「そうか……ならば、話は早い。推薦状は用意する。その代わり、この論文は私のものだ」
「はい」
シノンは、何の躊躇もなく頷いた。
「おい、シノン!」
俺は思わず声を上げた。
「……何? 健太」
「いいのかよ、それで! お前の論文なのに!」
教授が、面倒臭そうに俺を見る。
「君は黙っていたまえ。これは、私とシノン君の取引だ」
「でも……」
「健太、大丈夫だよ」
シノンは、落ち着いた声で言う。
「僕が欲しいのは、推薦状。それが手に入るなら、論文の名義なんてどうでもいい」
「どうでもいいって……」
俺は、何か言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。
シノンの目は、本気だった。本当に、心の底から、どうでもいいと思っている。
教授は、俺の反応を見て、嘲笑するように言った。
「ふん。青臭い正義感だな。学問の世界では、こういう『取引』は日常茶飯事だ。むしろ、若い才能を世に出してやる私は、慈悲深いと言える」
俺は、何も言い返せなかった。
(……何だよ、これ)
胸の奥に、モヤモヤとした感情が渦巻く。怒りなのか、悲しみなのか、それとも――
自分でも、よく分からなかった。
研究室を出ると、シノンは満足そうに推薦状を眺めていた。
「これで、禁書庫に入れる」
「……お前、本当にいいのかよ」
「何が?」
「あの論文、お前が何週間もかけて……」
「一晩だよ」
「え?」
「あの論文、一晩で書いた。健太が寝た後に」
シノンはあっさりと言う。
「僕にとっては、図書館の蔵書を読んだ時点で、あの理論は自明だったから。論文にまとめるのも、そんなに時間はかからなかった」
「……マジかよ」
俺は、完全に言葉を失った。
俺が思っていた以上に、シノンにとって、あの論文は「どうでもいいもの」だったのだ。
「それより、早く禁書庫に行こう。帰還方法を見つけないと」
シノンは、もう次のことしか考えていない。
俺は、その後ろ姿を見ながら、思った。
(……こいつ、本当に人間なのか?)
でも、同時に、安心もしていた。
(いや、違う。シノンは人間だ)
前回、シノンは言った。「友情」だって。
シノンは、俺のために、帰還方法を探してくれている。
それは、人間にしかできないことだ。
(ただ、こいつの価値観が、俺たちと違うだけだ)
名誉も、名声も、金も、権力も――
シノンにとっては、全部「どうでもいいもの」。
大切なのは、「目的」だけ。
(……そういう生き方も、あるのか)
俺は、少しだけ、シノンを理解できた気がした。
そして、このまま、シノンが目的に向かって突き進んでくれるなら。
俺も、日本に帰れるかもしれない。
こうして推薦状を手に入れ、俺たちは、禁書庫への立ち入りを果たす。
*
そして数日後――
魔導学院の大講堂は、立ち見が出るほどの聴衆で埋め尽くされていた。
「オルコット教授が歴史的な大発見をした」――その噂が、学園中を駆け巡ったのだ。
壇上に立ったオルコット教授は、高らかに宣言した。
「諸君! 我々は本日、歴史の証人となる! 私が発見した新理論により、魔道具は、そして世界そのものが、根底から覆るのだ!」
教授は、「自身の論文」として、シノンの理論を発表した。
聴衆は最初半信半疑だったが、教授が従来は高位魔術師にしか扱えなかった結界魔道具を、僅かな魔力で起動させると――
どよめきが、熱狂的な歓声に変わった。
平民たちは――
「これで、俺たちも貴族と同じ魔道具が使えるのか……」
「魔力量が少なくても、関係ないってことだよな」
学生たちの目に、明らかに「希望」が宿っていた。
一方、貴族は――
「平民に力を与えるなど……」
「これは、秩序の崩壊だ」
焦りと怒りが、渦巻いていた。
シノンの論文がもたらした「魔道具革命」は、瞬く間に世界を変えていった。
特に、これまで一部の者にしか使えなかった結界魔道具が、誰にでも使えるようになった影響は大きい。
行商人たちは、簡易的な結界を張ることで、盗賊や魔物の脅威に怯えることなく、安全に旅ができるようになった。
物流は活性化し、帝国は、空前の好景気に沸いた。
*
俺達は、推薦状を手に、再びあの重々しい鉄格子の扉の前に立っていた。
「さて、と。お宝探しの、第二ラウンドと行こうぜ」
俺の言葉に、シノンは静かに頷いた。
その横顔は、これから始まる新たな知識の探求に、心を踊らせているように見えた。
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