第18話 名誉決闘、炎の逆転劇
ユリウスから決闘を申し込まれてからおよそ一ヶ月。
俺は、魔法の訓練に没頭していた。
朝は講義に出席し、ユリウスの視線を感じながら、自分の魔法の粗さを痛感する。
昼は食事もそこそこに、空いている訓練場で独り、魔力のコントロールを練習する。
夜は寮の部屋で、指先に小さな火の玉を灯しては消す、地味な訓練を繰り返す。
「健太、ちゃんと寝てる?」
シノンが心配そうに聞いてくる。
「大丈夫。あと少しだけ」
俺は、指先の火の玉を、人差し指から中指へ、そして薬指へと移動させる。
地味な練習だが、確実に手応えを感じていた。
シノンは相変わらず図書館に入り浸っているが、夜に寮の部屋で会うと、いつも的確なアドバイスをくれた。
「健太の魔力は、ダムの放流みたいなものだね。今は、ゲートを少しだけ開ける練習をしてる段階。次は、放出した水の流れを、意のままに操る訓練が必要だ」
その言葉通り、俺はただ魔法を放つだけでなく、放った後の軌道を変化させたり、威力を途中で調整したりする訓練を繰り返した。
それは、果てしなく地味で、孤独な作業だった。
そして、運命の名誉決闘大会、当日――。
会場となる円形闘技場は、熱気に包まれていた。
貴族席も平民席も、固唾を飲んで決闘の始まりを待つ学生たちで埋め尽くされている。
闘技場の中央、その一段高い貴賓席には、この学園都市の領主の姿もあった。
やがて、領主が静かに立ち上がる。
その手に握られているのは、複雑な幾何学模様が刻まれた、白銀の杖。結界魔道具だ。
「これより、ユリウス=フォン=グランゼールと、ケンタ=サトウによる、名誉を賭けた決闘を開始する! 両者、所定の位置へ!」
領主が杖を高く掲げ、高らかに宣言する。
そして、杖の先端にある巨大な魔石に、自らの魔力を注ぎ込み始めた。
それは、都市防衛システムを遠隔起動するための『指揮杖』。
彼が魔力を注いだ瞬間、遥か彼方にある領主の館の塔の頂に据えられた、巨大なクリスタルが呼応した。
観客の何人かが、空の変化に気づいて息を呑む。
一条の青白い光が、領主の館から天に向かって真っ直ぐに放たれ、学園都市の上空で拡散。
一瞬だけ、街全体を覆う巨大な結界の輪郭が、淡く空に浮かび上がった。
次の瞬間、その天頂の光が一本の槍となって、闘技場めがけて降り注ぐ。
ゴオオオオッ、と地鳴りのような音が響き、着弾した光が闘技場全体を覆うドームを形成していく。
本来、都市全域を覆うための防衛結界を、闘技場という狭い範囲に無理やり収束させる。
それは、ダムの水を茶碗一杯に注ぐような、極めて非効率で、膨大な魔力を浪費する行為だ。
領主の額には脂汗が浮かび、その顔は見る見るうちに蒼白になっていく。
制御キーである杖を通して、システムの膨大な負荷が、術者である彼に逆流しているのだ。
たった数分で、常人ならば一生かかっても生み出せないほどの魔力が、彼の体から吸い上げられていた。
やがて、半透明の青い結界が闘技場を完全に覆い尽くすと、領主はふらつきながらも、威厳を保って席に座った。
観客たちは、その圧倒的な魔力の奔流を目の当たりにし、これから始まる戦いが、ただの学生の決闘ではないことを悟った。
俺とユリウスが、闘技場の両端から中央へと歩み出る。
「来たか、平民。その無様な魔法を、衆人の前で披露する覚悟はできたようだな」
ユリウスの言葉は、相変わらず冷たい。
「どっちが無様か、すぐに分かるさ」
俺は、静かに闘志を燃やした。
「始め!」
開始の合図と同時に、ユリウスが動いた。詠唱はない。
彼が右手を振るうと、その軌跡に沿って十数本の氷の矢が生成され、俺に向かって殺到した。
「なっ……こいつも無詠唱かよ!?」
俺は慌てて横に跳び、氷の矢を避ける。
矢は俺がさっきまで立っていた場所に突き刺さり、石畳を白く凍らせた。
「驚いたか? これが、グランゼール家に伝わる高速魔術だ。貴様のような、才能任せの力とは違う」
ユリウスは、休む間もなく次の魔法を構築する。
今度は、彼の周囲に三つの魔法陣が同時に展開された。炎、氷、雷。三つの異なる属性の魔法が、俺を同時に襲う。
(これが、貴族の魔法……! 複数の魔法を、同時に、しかも無詠唱で……!?)
俺は防御に徹するしかなかった。
地面から土の壁を隆起させて炎を防ぎ、風の渦で雷を逸らし、氷の槍は身を翻して避ける。
だが、ユリウスの攻撃は止まらない。
彼の魔法は、まるで美しい舞踏のように、流麗で、洗練されていて、そして一切の無駄がなかった。
観客席からは、様々な声が聞こえてくる。
「すごい……あれがグランゼール家の魔法……!」
「あの平民、もう終わりだな」
だが、平民席からは、別の声も。
「頑張れ!」
「負けるな、ケンタ!」
誰かが、俺の名を叫んでいる。
それは、魔法実技の講義で一緒だった、平民の学生たちだった。
(くそっ……! このままじゃ、ジリ貧だ……!)
防御を続ける俺の足が、わずかにもつれる。
その一瞬の隙を、ユリウスは見逃さなかった。
「終わりだ」
俺の足元に、巨大な魔法陣が展開される。
これまでとは比較にならない、複雑で、高密度な術式。
「凍てつく棺に、永遠の眠りを――《クリスタル・コフィン》!」
闘技場の空気が、一瞬で氷点下にまで下がる。
足元から、青白い氷がせり上がり、瞬く間に俺の全身を覆い尽くそうとしていた。
(やられる……!)
死を覚悟した、その瞬間。
俺の脳裏に、シノンの言葉が蘇った。
――『健太の魔力は、ダムの放流みたいなものだね。次は、放出した水の流れを、意のままに操る訓練が必要だ』
(そうだ……"流れ"を操るんだ……!)
俺は目を閉じ、全神経を魔力に集中させた。
足元に小さな火の玉を作る。
そこに魔力を注ぎながら――流れを、変える。
火の玉が渦を巻き始める。
螺旋を描いて、俺の体を包み込む。
(もっとだ……もっと速く、もっと熱く……!)
炎の渦が加速する。
氷の棺が、内側から軋み始めた。
「無駄な足掻きを」
ユリウスの声が聞こえる。
――無駄?
俺は、笑った。
(これは、足掻きじゃねえ)
(これは――逆転だ!)
次の瞬間。
炎の渦が爆発的に膨張し、氷の棺を内側から粉砕した。
ゴオオオオッ!
炎の竜巻が天を衝く。
闘技場を、熱波が吹き抜けた。
観客席から悲鳴が上がる。
結界が軋む。
やがて炎が晴れると――
そこに立っていたのは、全身に炎を纏った健太だった。
その両手には、炎でできた剣。
「まさか……」
ユリウスの声が、初めて震えた。
「悪いな」
俺は炎の剣を構える。
「俺のダムは、お前が思ってるより――」
地面を蹴る。
「――ちょっとデカいらしい!」
「なっ……!?」
爆風と熱波が、闘技場を吹き荒れる。
観客席から、悲鳴が上がった。
結界が激しく明滅し、領主が慌てて魔力を注ぐ。
ユリウスは防御魔法を張ろうとする――が、間に合わない。
(速い……!)
彼の目が見開かれる。
洗練された魔法も、準備が間に合わなければ意味がない。
俺の炎の剣が、ユリウスの足元に叩きつけられた。
ドゴオオオオンッ!
石畳が砕け、亀裂が走る。
衝撃波がユリウスを吹き飛ばし、彼は背中から地面に叩きつけられた。
「ぐっ……」
ユリウスは起き上がろうとするが、体が動かない。
炎の熱で、全身の感覚が麻痺している。
俺は炎の剣を、彼の喉元に突きつけた。
「……降参するか?」
しばしの沈黙。
やがて、ユリウスは――笑った。
「……参った」
彼は、素直に首を横に振った。
「俺の、完敗だ」
闘技場は、水を打ったように静まり返っていた。
貴族席では、誰もが信じられないという顔。
平民席では、誰もが、息を呑んで二人を見つめている。
やがて――
平民席から、一人の学生が立ち上がった。
「ケンタ!」
その声を皮切りに、平民席全体が、割れんばかりの歓声に包まれた。
「平民が、貴族に勝った!」
「俺たちも、やれるんだ!」
貴族席は、静まり返ったままだった。
ただ一人、領主だけが、ゆっくりと拍手を始めた。
領主だけは、まるで健太の勝利も想定内と言った余裕を伺わせていた。
その拍手は、やがて、闘技場全体の、割れんばかりの喝采へと変わっていった。
ユリウスは、呆然と立ち尽くしていたが、やがて、ふっと笑みを漏らした。
「……見事だ。俺の、負けだ」
俺は、炎の剣を消し、ユリウスに手を差し伸べた。
「あんたの魔法も、すげえ綺麗だったぜ」
ユリウスは、その手を、強く握り返した。
試合後、寮の部屋に戻ると、シノンが静かに本を読んでいた。
「見てたか?試合」
「ああ、見てたよ」
シノンは本から目を上げる。
「最後の炎の竜巻から剣への変形、面白かったね。どうやったの?」
「お前のアドバイスのおかげだよ。『流れを操る』ってやつ」
「へえ。役に立ったんだ」
シノンは淡々と言う。
「ああ。マジで助かった」
「それは良かった」
シノンは再び本に目を戻す。
「……それだけ?」
「え? 他に何か?」
「いや……もうちょっと、こう、喜んでくれてもいいんじゃね?」
「喜んでるよ。あの戦闘記録、人気でそうだし」
「…やっぱりそれかよ」
俺は呆れて笑った。
「でも、健太」
シノンが、珍しく真面目な声で言った。
「君の努力、ちゃんと見てたから」
「……お前」
「毎晩の訓練とか、講義での集中力とか。記録に残したよ」
「記録かよ!!」
思わずツッコんだ。
でも、シノンなりの気遣いなんだろう。
そう思うことにした。
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