第17話 無詠唱の衝撃、そして決闘へ
翌朝。
ハーベスト寮の食堂は、焼きたてのパンと香草入りのシチューの香りに包まれていた。
温かな湯気が漂う中、木のテーブルを囲んで生徒たちが思い思いに朝の時間を過ごしている。
俺は焼きたての丸パンを手に取り、シチューに浸して一口食べた。
「……うまい」
思わず声が漏れた。香ばしいパンと、ほんのりスパイスの効いたシチューが口の中で絶妙に混ざり合い、眠気が一気に吹き飛んでいった。
向かいに座るシノンは、朝食をとりながらも、その目はどこか別の場所を見ていた。
「それじゃあ、僕は今日も図書館に行くよ」
すでに彼の頭の中では、読むべき魔導書のリストと、最も効率的な順序が組み上がっているのだろう。
その眼差しは、もう広大な知の海へと向かっていた。
「そっか。俺は昨日言ってた通り、魔法実技の講義に出てみる」
俺はパンをもう一口かじり、元気よく椅子から立ち上がった。
まだ見ぬ未知の力への興味が、胸の奥をじんわりと熱くさせていた。
魔法実技の講義は、大講堂の裏に広がる訓練グラウンドで行われた。
石畳が敷かれた地面には、直径五十メートルを超える巨大な魔法陣がいくつも描かれ、その中央には灰色の石柱が標的としてそびえ立っている。
すでに集まった生徒たちは、それぞれの円陣の中で魔法の準備に取りかかっていた。
やがて、講師が登場した。
筋骨たくましい壮年の男で、鋭い眼光と堂々たる佇まいに、ざわついていた場の空気が一瞬で引き締まる。
「静粛に――では、魔法実技の講義を始める」
低く、よく通る声が、グラウンドに響き渡った。
「魔法とは、己が内に秘める魔力を外界に放出し、事象を操作する技術だ。重要なのは、二つ――詠唱とイメージ。詠唱で魔法の骨格を組み、イメージでそれに肉を与える。よいな」
そう語ると、男は片手を掲げ、短く呪文を紡いだ。
「火よ、我が願いに応えよ――《フレイム・ボルト》!」
刹那、彼の掌から灼熱の火球が放たれ、轟音と共に標的の柱へ命中。
石片が派手に飛び散り、熱風が一瞬グラウンドを吹き抜けた。
「……おぉっ。短縮詠唱だ」
生徒たちから、尊敬の念がこもったどよめきが漏れる。
講師の合図で、生徒たちも次々と魔法を唱え始めた。
「炎よ、古の契約に従い、我が手の中に姿を現せ。灼けたぎる怒りを束ね、まっすぐに放て──《フレイム・ボルト》!」
「風よ、見えざる刃となりて、我が意に従え。空を裂き、大気を貫きて、敵を穿て──《ウィンド・アロー》!」
無数の光と風の刃が、轟音と閃光を伴って標的へと放たれていく。
へぇ……これが、本式の魔法か。
俺も、この世界に来てから何度か魔法を使った。
でも、こうやって「学ぶ」のは初めてだ。
(詠唱して、イメージして、魔力を整えて――)
講師の説明を思い出す。
(……でも、俺、詠唱なしでも撃てるんだよな)
シノンの創作ラップが頭をよぎる。
(いや、あれはトラウマだ。絶対に使わない)
「おい、そこの君もやってみたまえ!」
講師の声に、俺は はっとして手を掲げた。
いつもの通り、頭の中でイメージを思い浮かべ、体内の魔力の流れを整え、指先に集中させ、放出の方向を定める――。
俺は深く息を吸い込んだ。
体内の魔力が指先に集約され、空気がビリビリと震え始める。
周囲の生徒たちが、その得体の知れないプレッシャーに無意識に後ずさりした。
――放つ。
ドゴォォォォン!!
爆音、というよりは、空間そのものが裂けるような轟音がグラウンドに響き渡った。
標的の石柱が根元から砕け散り、粉塵が舞い上がる
衝撃波が巻き起こり、破片が宙を舞い、生徒たちが一斉に息を呑んだ。
「おい……今の……」
「無詠唱!? うそだろ……」
講師が、キャリアの中で見たことのない現象に目を見開いたまま、俺へと歩み寄る。
「君……今、詠唱なしで魔法を……?」
俺は、こくりと頷いた。
その瞬間、講師の目に、熱を帯びた光が宿った。
「まさか……君は、天才か……!」
セレスティア寮の紋章を胸に輝かせた貴族の子弟らしき生徒たちが、明らかに動揺していた。
「おい、あんなやついたか? どこの家の者だ?」
「まさか……平民寮の、それも聴講生が、我々を上回る才能を持っているとでも言うのか……?」
彼らの表情には、驚愕と共に、隠しきれない屈辱の色が浮かんでいた。
授業が終わり、寮へ帰ろうと、人気の無い中庭を横切ろうとした時不意に呼び止められた。
「君が、健太だな?」
振り返ると、いかにも貴族といった金髪の少年が、静かに健太を見つめていた。
「ああ、そうだけど。何か?」
「生徒会長のユリウス=フォン=グランゼールだ。忠告しておく――その無詠唱、二度と使うな」
「は? なんで?」
「平民が貴族を超える力を見せることが、どういう意味を持つか分かっているのか?」
「知らねえよ」
ユリウスの目が鋭く細められる。
「……昨日、魔道具を使えないと言われていた平民の少年を覚えているか?」
俺の動きが、一瞬止まる。
「あの子が、君のような力を持っていたら? 平民たちが『努力すれば貴族に勝てる』と信じ始めたら?」
「それの、何が悪い」
「反乱が起きる。各地で平民が蜂起し、帝国は崩壊する」
ユリウスの声は静かだが、深い危機感を帯びていた。
「貴族には、都市の結界を維持する責任がある。だから特権がある。それが帝国の成り立ちだ。君の存在は、その秩序を壊しかねない」
「……それは、あんたたちの秩序だろ」
俺は言い返した。
「俺を勝手に召喚した世界の『秩序』に、従う義理はない」
ユリウスは一歩、近づく。
「ならば、証明しよう。貴族の魔法が、君の野蛮な力より優れていることを」
「証明?」
「このユリウス=フォン=グランゼールの名において、決闘を申し込む」
ユリウスは、正式な礼をとった。
「今度の名誉決闘大会で決着をつけよう。どちらの理が正しいかを――」
「名誉決闘大会?」
「知らないのか? 学期末に行われる、学園の伝統行事だ。学生同士が正式な決闘を行い、名誉と実力を示す場だ」
ユリウスは淡々と続ける。
「領主も観戦に来られる。多くの貴族、平民が見守る中で――どちらが正しいか、1ヶ月後に証明しよう」
「……わかった。受けて立つ」
健太は、ユリウスの目をまっすぐ見つめた。
「ただし、俺が勝ったら、二度と『平民だから』って理由で文句を言うな」
「承知した。だが――」
ユリウスは一瞬、考え込む素振りを見せた。
「君が負けたら、学園を去れ。そして、君の同室者――シノンといったか――彼も一緒にだ」
「は? なんでシノンまで!?」
「君たち二人、入学時から目をつけられていたのだよ」
ユリウスは冷たく言った。
「君の無詠唱も、彼の異常な読書速度も、どちらも『普通』ではない。だから、両方まとめて処理させてもらう」
「くそ……」
決闘は、避けられない。
夕方——
再び食堂で向かい合う俺とシノン。互いにその日の出来事を報告し合うのが、いつの間にか自然な習慣になりつつあった。
「そっちはどうだった? 帰還方法の手がかり、見つかりそうか?」
俺がパンをかじりながら尋ねる。
シノンはスープを一口すすり、穏やかに答えた。
「帰還方法については、まだなんとも。でも、この世界の魔法陣はかなり集まった。収穫は大きいよ」
俺は、昼間の出来事を興奮気味に語り始めた。
魔法の爆発、講師の驚いた顔、ざわつく生徒たちの声。
でも、決闘の話になると、声のトーンが落ちた。
「……それでさ。決闘を申し込まれたんだ」
「へえ。それは面白そうだね」
シノンは、いつもの飄々とした調子で答える。
「いや、それが……ちょっと、まずいことになってて」
俺は、決闘の条件を全部話した。シノンも巻き込んでしまったこと。
俺が負けたら、二人とも学園を去らなければならない、と。
「巻き込んだ? ああ、決闘の条件のこと?」
「ああ。俺が負けたら、お前も学園を出なきゃいけない」
「ふーん」
シノンはあっさりと言う。
「まあ、1ヶ月後でしょ。その頃には、図書館の本読み終わってると思うから、別にいいけど」
「決闘で注目を集めるのも、悪くないかもね。この街の魔法体系を、実戦で観測できる貴重な機会だ」
「……お前にとっては、全部観測対象なんだな」
「そうだね。記憶師としては、こういう『珍しい体験』こそが価値があるんだ」
シノンの目は、どこか遠くを見ていた。
「健太が貴族と決闘する。しかも魔法で。こんな面白い記憶、あっちでも大人気間違いなしだよ」
「……結局それかよ」
俺は呆れたように笑った。
でも、その飄々とした態度に、少しだけ救われた気がした。
でも、心の中では不安が渦巻いていた。
(名誉決闘大会……大丈夫かな、俺)
ユリウスは、明らかに只者じゃない。
正式な魔法教育を受けた、本物のエリートだ。
あいつの言う通り、俺の魔法はただデカいだけだ。精密さも、効率も、洗練された技術も、何もない。
俺の無詠唱が、本当に通用するのか――
「健太、心配しすぎだよ」
シノンが、いつもの調子で言った。
「え?」
「君の無詠唱、あれは本物だよ。威力だけじゃなくて、効率も」
「効率?」
「うん。普通の魔法使いは、詠唱で魔力を整形してから放出する。でも健太は、直接イメージを魔力に変換してる。その分、ロスが少ない」
「……よくわかんねえけど、強いってこと?」
「強い、というより――原理が違う」
シノンは興味深そうに言った。
「あの貴族の子、多分理解できないと思うよ。自分が負けた理由を」
「それって……」
「うん。楽しみだね」
シノンはニコリと笑った。
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