第16話 図書館と、埋もれた手がかり
俺たちに割り当てられた部屋は、平民向けのハーベスト寮の二階にあった。
船の一等客室とは打って変わって、狭く質素な部屋だった。
2つのベッドと机、小さな本棚とクローゼットが置かれているだけ。
窓から差し込む午後の柔らかな光が、木製の床を淡く照らしていた。
部屋を一通り見回しながら、俺は低く呟いた。
「まあ、いかにも寮って感じだな……」
予想通りの部屋を前にして、なんとなく安心しつつも、これから始まる新生活に少しだけ胸が高鳴っていた。
一方、シノンはそんな俺の反応など気にも留めず、じっと窓の外を見つめている。
その目はキラキラと輝いていて、まだ見ぬ図書館への期待で胸が高鳴っているのが、一目瞭然だった。
ふいに俺を振り返ると、もう待ちきれない、といった様子で声をかけた。
「ねえ、早く図書館に行こうよ」
二人は寮を出て、中庭を抜けて魔導学院の中心部へと向かった。
図書館へ向かう途中、俺は渡り廊下の先で小さな騒ぎが起きているのに気づいた。
石畳の広場の一角で、平民風の学生が、いかにも育ちが良さそうな貴族の青年に詰め寄られている。
周囲の学生たちは遠巻きに見ており、空気がピリピリと張り詰めていた。
「おい、何度言わせる気だ。魔道具の使用申請は、先週却下されたはずだぞ」
貴族の青年は、胸の紋章をこれ見よがしに、冷たい声を投げつける。
「君の魔力量では、あの魔道具は起動できない。下手に触れれば暴発の危険もある。分かるか?」
平民の学生は、悔しそうに唇を噛みながらも、食い下がった。
「で、でも……試すだけでも……どうしても、一度でいいから使ってみたくて……!」
「使ってみたい、だと? 君が都市防衛級の結界魔道具に誤って魔力を流し込めば、この街の防衛機能に深刻な支障が出る可能性もあるんだ。……それが分からないなら、君にここにいる資格はない」
俺は思わず足を止めた。その言葉は、ただの意地悪ないじめのようにも聞こえたからだ。
平民の少年はわなわなと肩を震わせ、俯いて周囲の視線に耐えていた。
「……おい、ちょっと言い過ぎじゃないか」
俺は正義感から、一歩踏み出しかける。
だが、貴族の青年がこちらを一瞥した後、静かに続けた言葉に、動きを止めた。
「君の努力や探究心を、否定するつもりはない。だが、都市防衛に関わる魔道具は、規定の魔力量に満たない者には、触れることすら許可されていない。それは差別ではない。制度だ。この街の安全を守るための、絶対に必要な仕組みなんだ」
その声には、相手を見下すような侮蔑ではなく、揺るぎない責任感が宿っていた。
俺は、踏み出した足を戻すこともできず、その場で言葉を失った。
だが、今の俺には、彼の言葉に反発すると同時に、奇妙な納得を覚えてしまっていた。
隣を歩いていたシノンは、その騒ぎに一瞥をくれただけで、興味なさそうに先を歩いていく。
シノンの頭の中は、もう図書館のことでいっぱいで、こんな些細なトラブルなど目に入っていないようだ。
俺は何度か後ろを振り返りながら、無言でシノンの後を追った。
図書館の建物は、歴史の重みを感じさせる壮麗な石造りだった。
重い扉をくぐると、空気が一変する。
目の前に広がっていたのは、まさに圧巻の光景だった。
天井まで届く本棚が壁という壁を埋め尽くし、その中央を貫くように、重厚な木製の螺旋階段が何層にもわたって続いている。
階段の先にも、果てしなく本が並んだ書架が見え、まるで知識でできた巨大な迷宮に迷い込んだような錯覚を覚えた。
俺は息を呑み、シノンは目をこれ以上ないほど輝かせたまま、静かにその壮大さを味わっていた。
「それじゃあ早速、帰ろう方法の手がかりを探すか」
俺は勇者や召喚に関する棚へ向かい、手当たり次第に本を開いた。
『勇者アルトゥスの栄光』
『聖剣を持ちし者の伝説』
『魔王討伐譚・完全版』
どれもこれも、英雄譚ばかり。
魔王を倒して、お姫様と結婚して、めでたしめでたし。
「その後どうなったかとか、帰還方法とか、全然書いてねえ……」
一冊、また一冊。
積み上がる本の山。
でも、手がかりはゼロ。
気づけば窓の外はオレンジ色に染まり、閲覧室には静寂が満ちていた。
「はぁ……疲れた……」
俺は机に突っ伏した。
ふと、シノンの方を見る。
パラパラパラパラ――
相変わらず超高速でページをめくっている。
もはや「読んでいる」というより、「スキャンしている」ような速度だ。
1ページにかける時間は、1秒もない。
「なあ、それ、ちゃんと読んでんのか?」
「うん、内容は全部、頭に入ってるよ」
シノンは本から目を離さずに答える。
「この分だと、ここの本を全部読むのに、一ヶ月はかかりそうだけどね」
「一ヶ月で……ここの本、全部をかよ!?」
俺は周囲を見回す。
壁という壁を埋め尽くす本棚。何万冊あるか分からない。
「マジか……」
俺が呆然と呟くと、シノンは立ち上がり、軽く伸びをする。
「それじゃ、そろそろ閉館みたいだし、今日はこの辺にしようか」
外からは、すでに夕食の準備を知らせる鐘の音が聞こえてくる。
俺たちは図書館を後にし、学生寮の食堂へと向かった。
食堂に入ると、香ばしい肉を焼く匂いと、新鮮な野菜を煮込んだスープの香りが鼻をくすぐる。
俺たちは料理を盛り付け、空いている席に座った。
隣のテーブルから、学生たちの会話が聞こえてくる。
「明日の魔法陣学、お前は何点取れそう?」
「六十点あれば御の字かな……」
「貴族寮の連中は、またトップ独占だろうな」
「……俺たち、何やっても勝てないよな」
その声には、諦めと羨望が混じっていた。
俺は、そんな会話を聞きながら、料理を盛り付けた。
(この学園にも、格差があるんだな……)
さっきの広場での光景が、頭をよぎった。
今日のメニューは鶏肉のローストと温かいポトフのようだ。
俺は迷うことなく大皿に料理を盛り付け、熱々のスープを一口飲む。
一日の疲れが、じんわりと溶けていくのを感じた。
「なあ、健太は……あんまり文献調査には向いてないみたいだし、こっちは僕に任せて、魔法の講義でも受けてみたらどうかな?」
シノンの言葉に、俺は少し考え込む。
図書館での徒労感を思い出すと、確かにシノンの提案は、かなり合理的だった。
「そうだな。明日からは、そうさせてもらうかな」
俺は、未知の魔法への期待と、少しの不安を胸に、夜空に浮かぶ星を眺めた。
自己流で放っていた、あの無詠唱の魔法。この学園で体系的に学べば、もっと強くなれるかもしれない。
(……強くなれば、もう誰にも邪魔されない)
その考えが浮かんだ瞬間、俺は小さく首を振った。
(いや、違う。強くなるのは、帰るためだ)
(そのためだけだ)
そう自分に言い聞かせた。
でも、胸の奥で何かが引っかかっていた。
本当に、それだけか?
その問いに答えられないまま、俺は目を閉じた。
隣のベッドでは、シノンがもう寝息を立てている。
窓の外では、街の結界が淡く光っている。
平和で、知的で、秩序ある街。
シノンはもう寝息を立てている。
彼にとって、ここはただの「観察対象」だ。
でも、俺にとっては――
(……ここで、魔法を学んで、強くなって)
(そして、帰る)
そう心に決めて、俺は目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます