第3章 学園都市編
第15話 学園都市ヴィセール、知の都への到着
七日間の船旅は、驚くほど穏やかだった。
毎日、豪華な食事。夜は星空の下、デッキで潮風を浴びる。
昼間は部屋でのんびり過ごし、時々シノンと甲板を散歩する。
そんな平和な日々を過ごすうち、俺は少しずつ、心の中の何かが鈍くなっていくのを感じていた。
「……なあ、シノン」
「ん?」
「王都でのこと、もうどうでもよくなってきた」
「それはいい傾向だね」
「いい傾向?」
「うん。考えすぎると、疲れるでしょ? 気にしないのが一番」
「……お前、ほんと何でも簡単に言うな」
「事実を整理してるだけだよ。攻撃してきたのは向こう。対応したのはこっち。バランスは取れてる」
「……バランス、ね」
言葉の響きが妙に空々しく感じた。
でも、反論する気力も湧かなかった。
――全部、向こうから仕掛けてきたことだ。
俺たちは、ただ対応しただけ。悪いのは向こう。
そう思えば、何も気にならなくなる。
まるで頭の中に防音材を詰めたみたいに、世界が静かだった。
「……でもさ」
俺は欄干にもたれ、遠くの海を眺めた。
「慣れるって、怖いよな。最初は震えたのに、今は何も感じない」
「慣れるのは進化だよ」
シノンは、風を受けながら淡々と言った。
「痛みを減らすことで、生き残る確率が上がる。それって悪いことじゃない」
「……理屈ではな」
「理屈で十分。感情で判断してたら、みんなすぐ止まるよ」
その言葉が、どこかで引っかかった。
でも、心の奥のどこかが、静かに納得していく。
まるで、氷が水に溶けていくように。
「帰るためには、割り切らなきゃな」
「うん。それが“適応”ってやつだと思う」
「適応、ね……」
波音が絶え間なく聞こえる。
空には満天の星。
なのに、その光景がやけに遠く感じた。
――麻痺してる方が、都合がいい。
この世界で生き延びて、帰るためには、きっとそれが正しい。
最終日の朝。
俺はデッキの手すりにもたれかかり、潮風を浴びながら、きらきらと輝く水面を眺めていた。
「日本にいたら、こんな豪華な船旅、できなかったかもな」
隣で同じように海を眺めていたシノンが、楽しそうに微笑んだ。
「よかったじゃないか。元の世界に帰れたら、きっと、いい旅の思い出になるよ」
「そうだな。……帰れるといいんだけどな、ほんと」
俺は笑いながら空を見上げる。水平線に浮かぶ雲は、夕日に赤く照らされていた。
やがて、七日間の船旅を終え、船はゆっくりと港に滑り込んでいく。
ラスタルの活気とはまた違う、静かで、どこか張り詰めたような秩序だった空気が漂っていた。
港に並ぶ船はどれも巨大で、軍用船のような重厚感をまとっている。
「……ここが、帝国一の学園都市か」
俺の口から、思わず息が漏れた。それは感嘆というより、街全体が放つ圧倒的な雰囲気に気圧されたような声だった。
船が完全に停泊すると、乗客たちが一斉に下船を始める。
「降りようか」
シノンに促され、俺たちはタラップを降りた。
港の入国審査では、兵士たちが乗客を厳しくチェックしていた。
(なんか、厳重だな……)
俺は少し緊張する。
「次」
兵士が俺たちを呼ぶ。
「王国からか。目的は?」
「魔導学院で勉強したくて」
俺が答えると、兵士は俺たちの顔をじっと見た。
その視線が、やけに長い。
(……まさか、バレてる?)
冷や汗が背中を伝う。
やがて、兵士は小さく頷いた。
「行け」
「……はい」
俺たちは急いで門を抜けた。
(なんだったんだ、今の……)
不安が胸をよぎるが、シノンは何も気にしていない様子だった。
門をくぐった瞬間――
ゴォンゴォンという低い振動音。
それは遠くの塔から響いてくる、巨大な魔道具の駆動音だった。
空気が違う。
王都の生活臭や、ラスタルの潮の香りとは違う。
紙とインク、魔法薬の薬品臭、そして微かに焦げたような金属の匂い。
――ここは、「知識」の街なんだ。
その実感が、鼻腔を通して伝わってきた。
「おい、シノン! 見ろよ、あれ!」
俺は興奮して指差す。
尖った耳のエルフが、人間の学生と熱心に議論している。
そして、狼の獣人が――本物のケモミミだ!――空中に魔法陣を描きながら、何かを説明している。
「マジかよ……エルフに、ケモミミ……ラノベの世界だ……」
「健太、興奮しすぎ。恥ずかしいよ」
「だって、本物だぞ!? 本物の亜人種が!」
シノンは呆れたように笑った。
「おい、あれ見ろよ! 空飛ぶほうきだ!」
空を見上げると、数人の学生が魔法のほうきにまたがり、楽しそうに街の上空を飛び回っている。
その傍らでは、何体ものゴーレムが荷物を運搬し、自動で街路を清掃していた。
「へえ。あれも魔道具ってやつなのか?」
「ああ、そうさ。ほうきに刻まれた魔法陣に魔力を流すことで、空を飛ぶ力を得ているのさ」
ちょうど店先を掃除していた魔道具屋の店主が、もの珍しそうにキョロキョロしている俺たちに、笑顔で教えてくれた。
「魔法陣……」
シノンは、その言葉を繰り返した。彼の瞳が、強い好奇の光で輝いている。
「……健太。この街は、僕にとって最高の観測地かもしれない」
二人は活気に満ちた大通りを抜け、学園都市の中心へと向かった。
遠くに見えていた巨大な塔が、近づくにつれてその威容を増していく。
それは、ただの建物ではない。塔全体から、膨大な魔力が満ちているのを感じる。
塔の周りには、大小様々な校舎が円形に配置され、それらを結ぶように空中回廊が張り巡らされていた。
正門をくぐると、視界いっぱいに芝生の広場が広がっていた。
その奥には、高さ数十メートルはあろうかという巨大な水晶が、内部から淡い光を放っている。
俺たちは、その壮大な光景に圧倒されながら、魔導学院の事務所へと向かった。
受付では、すでに数人の学生が手続きを終え、慣れた様子で通り過ぎていく。
やがて俺たちの番が来ると、受付に座っていた女性職員が顔を上げた。
「ご用件は?」
「魔導学院に入学したいのですが」
俺がそう言うと、女性は慣れた様子で頷いた。
「次の入学試験は三ヶ月後になります。募集要項などはこちらをご覧ください」
そう言って、羊皮紙の束を手渡される。
俺はそれを受け取ると、中身をパラパラとめくった。
「三ヶ月後……」
俺は顔を曇らせる。
「参ったな。そんなに待てないよな」
「うん」
シノンが即答する。その目は、いつになく輝いている。
「この街には、召喚に関する文献があるかもしれない。魔法陣の理論も調べたい」
俺はシノンの横顔を見た。
焦っているというより――ワクワクしているように見える。
(こいつ、調べるのが楽しみなだけじゃ……)
まあ、どっちでもいいか。
俺も、この街でちゃんと魔法を学んでみたい。
俺はダメ元といった様子で女性に尋ねた。
「あの、すみません。図書館だけでも、利用させてもらえたりは……?」
「それでしたら、聴講生として登録なさってはいかがですか? 卒業資格は得られませんが、ある程度の施設の利用と、講義への出席が認められますよ」
俺は思わず顔を輝かせた。
「お! じゃあ、その聴講生ってやつで登録します! こっちのシノンと、二人分でお願いします!」
俺の言葉に、女性は書類を取り出した。
「では、こちらの書類にご記入ください。一年間の学費として、お一人様につき金貨100枚を頂戴します」
俺が書類に記入している間に、シノンはアイテムボックスから金貨を取り出した。
かなり高額だが、ホバーバイクが高値で売れたおかげで、懐にはまだ余裕がある。
「王国金貨でも大丈夫かな?」
シノンの問いに、女性は笑顔で頷いた。
「はい。王国金貨で結構ですよ」
「よし! こっちも書けたぜ!」
「では、こちらをお持ちください。お二人の受講証です。学内では、必ず見えるところに付けておいてくださいね」
女性は、俺とシノンの受講証を差し出した。
それは小指ほどのサイズの、銀色の金属製バッジだった。
拍子抜けするほどあっさりと、俺たちは魔導学院の聴講生となったのだった。
「そういえば、寮って入れたりしますか?」
俺が尋ねると、女性は快く答えてくれた。
「はい。二人部屋でしたら、平民向けのハーベスト寮に空きがございます。寮費はお二人で金貨3枚です」
料金を聞いて、俺はホッと胸を撫で下ろした。
今の手持ちからすれば、それほど高くない金額だ。
「じゃあ、そっちもお願いします!」
こうして、俺たちの学園都市での新しい生活が、唐突に、そしてあっさりと始まったのだった。
こうして、俺たちの学園生活が始まった。
平和で、知的好奇心を満たせる、最高の環境だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます