第2章 交易都市編
第9話 ホバーバイクとフードの影
王都を後にして、俺たちは意気揚々と街道を歩いていた。
「なあなあ!交易都市ってどんなところなんだ?」
俺は弾んだ声でシノンに尋ねる。
「ラスタルっていう港町だって。王国最大の貿易港があるらしいよ」
「おお!港町!ってことは、うまい魚介類が俺を待ってるってことか!」
しかし、その高揚感は長くは続かなかった。
背中に差す陽の光はじりじりと熱く、道の両脇には、どこまで行っても同じような草原が広がっている。
たまに羊の群れを遠目に見かけるくらいで、人影はほとんどない。
「……なあシノン。これ、どれくらい歩くんだ?」
三十分も経つと、俺はすっかりうんざりして顔をしかめた。
都会の雑踏に慣れた目には、この緑一色の景色は最初こそ新鮮だったが、すぐに飽きが来てしまった。
「徒歩なら、一週間はかかるかよ」
「一週間!?」
俺は思わず空を仰いだ。
こんな単調な景色を一週間も歩くなんて、考えただけでうんざりだ。
「まあ、せっかくだから"旅してる感"を味わうのもいいけど――」
シノンがアイテムボックスから、流線形の金属塊を取り出した。
「それってバイク!?」
「うん、ホバーバイク。子供のおもちゃだけど、時速400キロは出るよ」
「はぁ!?子供のおもちゃで400キロ!?じゃあ大人用はどうなってんだよ!光の速さでも出すのか!?」
「大人は普通、乗り物なんて使わないよ。移動なら、現地の端末に意識をリンクさせればいいだけだから。ある意味、光速より速いかもね」
「……ああ、もう、そういう感じなのか」
俺はシノンの世界の常識を再認識させられ、がっくりと力が抜けた。
「これなら、なんとか今日中には着くと思う。乗って」
そう言って、シノンは軽々とバイクに跨る。
「なあ、これ本当に大丈夫なんだよな……」
俺は恐る恐る、その後ろのタンデムシートに腰を下ろした。
「子供用だよ?いざという時は慣性中和フィールドが展開するから、安全対策はバッチリ」
「慣性中和フィールド……」
また知らない単語が出てきた。
「……お前、このバイクいくらするんだ?」
「いくら? 僕のレーティングならいつでも自由に手に入るよ。まあ、おもちゃだし、飽きたら捨てるだけ」
「捨てるって……もったいないだろ」
「そう?ちゃんとリサイクルされるはずだけど 」
「いや、まあ……お前が良ければ」
俺は、シノンとの「価値観」の違いを改めて実感した。
こいつにとって、このバイクは本当に「おもちゃ」なんだな。
「それじゃ、行くよ。しっかり捕まってて」
シノンがアクセルを捻ると、バイクは音もなくふわりと浮き上がり、次の瞬間、俺の叫び声とともに地平線の彼方へと消えた。
「うわあああああああああああ!」
*
数時間前まで王都にいたとは思えないほど、景色は凄まじい速さで流れ去っていく。
どこまでも続く草原は緑の絨毯となり、遠くに見えた山脈は瞬く間に越え、眼下に広がる森を滑空する。
「シノン、後ろ!」
振り返ると、飛竜が追ってくる。
「あ、野生のワイバーンだ。珍しいね」
「珍しいって!食われるぞ!」
「大丈夫。この速度じゃ追いつけないよ」
案の定、ワイバーンはすぐに諦めて去っていった。
「……こんな怪物が普通にいるんだな、この世界」
「うん。良い記録が取れた」
やがて――
「見えた。あれが交易都市ラスタルの外壁だよ」
「マジか……本当に夜のうちに着いた……」
遠くに見える城壁が、月明かりを受けて淡く輝いている。
その中心には巨大な門。
だが、近づくにつれて、それが固く閉ざされていることがはっきりと分かった。
「……門、閉まってるな」
「夜間は閉鎖するみたいだね。門前の広場で野営してる人がちらほらいるよ」
焚き火のそばでは商人らしき男が茶を沸かし、荷車のそばでは護衛の傭兵が剣の手入れをしている。
毛布にくるまった旅人が数人、疲れ切った様子で横になっていた。
皆、一様に門が開く朝を待っているようだ。
「くそ、門限とかあんのかよ……」
ホバーバイクは音もなく広場の端に着地した。
長時間の高速移動で三半規管をやられた俺は、フラフラと地面に降り立つ。
「うえっ……地に足がついてるって、なんて安心感なんだ……」
「どうする?朝までここで待つ?」
「他に選択肢あんのかよ」
「門を爆破するとか」
シノンの冷静すぎる声に、俺は思わず叫んだ。
「やめとけ!一発で指名手配犯だわ!」
「冗談だよ。さすがに今回は、バレると思うし」
「“今回”はってなんだよ!てか、バレなきゃやる気だったのか!?」
俺の怒りのツッコミに、シノンは小さく肩をすくめるだけだった。
「今夜は普通に野営しようか」
シノンはそう言うと、ホバーバイクをアイテムボックスに収納した。
音もなくバイクが消えた後、彼は広場の空いている場所へと歩き出す。
「この辺でいいかな」
広場の隅に陣取ると、シノンは手慣れた様子でグラウンドシートを広げた。
焚き火の周りでは、商人たちが酒を酌み交わしている。
「今日はいい取引だったな」
「ああ、明日は港でさらに売れるぞ」
荷車の下では、行商人が子守唄を歌っている。
「坊や、早く寝な。明日は良い日になるよ」
護衛の傭兵は、剣を研ぎながら星を見上げている。
――それぞれの人生が、ここで一晩だけ交差する。
「なんか……いいな、これ」
王都での混乱も、殺した人間のことも、ここでは遠い世界の出来事みたいに感じられる。
「なんか、旅してる実感が湧くな」
俺が呟くと、シノンは空を見上げた。
「月が二つある」
「え?」
俺も空を見上げる。
確かに、大きな月の横に、小さな月がもうひとつ。
「……本当だ。異世界なんだな、ここ」
「うん。地球じゃない」
しばらく黙って月を見上げていると、シノンが取り出した寝袋の1つを寄越してきた。
「さて、冷えてきたし、健太はこっち使いなよ」
「これは意外と普通のアウトドアグッズだな」
手渡された寝袋を見ながら、俺は呟いた。
これまでのシノンのチートっぷりからすれば、あまりに地味なアイテムに、俺は少し安心した。
「機能は、保温と完全防水くらい。あと、虫が絶対に寄ってこないようにはなってる」
「やっぱり割とハイスペックだった……」
シノンは軽く笑いながら、手のひらサイズの四角い栄養ブロックを俺に手渡した。
「食べ物はこれしかないけど」
「へぇ、未来のレーションか」
好奇心から一口かじった瞬間――
「!?」
味覚を飛び越え、頭の中に情報が流れ込むような感覚。
それは、実家で食べた母親の肉じゃがの味だった。
「なんだこれ……めちゃくちゃうまい。っていうか、かーちゃんの味がする……」
「味覚を飛び越えて脳に直接作用するから。その人が今一番食べたい味に感じるんだ」
「なにそれ……ちょっと泣きそうなんだけど」
「依存性はないから大丈夫」
「そういう問題じゃねえよ……」
「夜の見張りはしておくから、健太はゆっくり寝て」
「交代しなくて平気なのか?」
「この端末は、それほど睡眠を必要としないから。一晩くらいなら余裕だよ」
「そっか。じゃあ、お言葉に甘えて休ませてもらうわ」
俺は、旅の疲れに抗うことなく寝袋に潜り込んだ。
一日で、王都からここまで来た。
つい数日前まで、俺は日本の高校生だった。
学校に行って、友達と馬鹿話して、家に帰る。
それが「日常」だった。
でも今は――
王殺しの共犯で。
人を殺して。
未来のバイクで異世界を爆走して。
(これが、今の俺の日常なんだな)
不思議と、実感が湧かない。
まるでゲームの中にいるみたいだ。
でも、違う。
これは現実だ。
俺が殺した人間は、もう生き返らない。
(帰れるのかな……俺)
元の世界に。
元の日常に。
――元の、自分に。
夜の静けさの中、パチパチと燃える焚き火の音と、遠くで囁く人々の声だけが聞こえる。
ふと、視線を感じた。
松明の光の中、フードを深く被った人影が、こちらを見ていた。
健太と目が合った瞬間、人影はさりげなく顔を逸らす。
(……気のせいか?)
いや、確かに見られていた。
しかも、自分たちだけを。
背筋に冷たいものが走る。
でも、疲労に抗えず、健太はそのまま眠りに落ちていった。
――その人影は、健太が眠った後も、じっと二人を見つめ続けていた。
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