第7話 帰るために壊れて行く

 俺とシノンは、今日もいつもの草原に来ていた。

 表向きはポーションの原料採取。

 その実、俺はひたすら魔法の練習に打ち込んでいた。

 火魔法はもう、拳サイズの火の玉を連続して出せるようになったし、氷魔法もマスターした。

 今日のテーマは、新しく覚えた雷魔法だ。


「なんか、雷魔法って命中率悪くね?」


 俺がそう呟きながら岩に向かって手をかざす。

 指先から放たれた稲妻は、あらぬ方向へ飛んでいき、虚しく空気に消えた。


 隣では、シノンが俺の魔法をじっと観察している。

 魔力の出力、安定性、軌道。あらゆるデータが、あいつの目には映っているんだろう。


「いい呪文があるよ?」


 シノンが、またあのからかうような口調で言う。


「いや! もう呪文はいいから! 無詠唱でできてるし!」


 前のラップ詠唱事件を思い出し、俺は少しムッとする。

 無詠唱でできるようになったのは、俺が必死に試行錯誤した結果だ。


「じゃあ、導体を意識して、ターゲットまで魔力を伸ばすイメージでやってみたら?」


 しかし、次にシノンが口にしたのは、意外なほど的を射たアドバイスだった。


「導体……金属とか、電気が通りやすい道か。なるほど」


 俺はシノンの言葉通り、岩と自分を結ぶ“見えない線”を意識した。

 体内の魔力が、その線に沿って流れ、指先に集まっていくのを感じる。

 次の瞬間、俺の手から放たれた雷は、光の筋となって、一直線に目標の岩へと吸い込まれていった。

 轟音もなく、岩の表面に黒い焦げ跡だけを残して。


「できた! なんか、音は静かなのに、威力は上がってる気がする!」


 俺は思わず声を弾ませた。


「雷の音は、絶縁体の空気を無理やり通る時の音だからね。スムーズに流れれば音はしないし、エネルギーのロスも少ないんだよ」


 シノンの科学的な説明に、俺は改めて感心する。


「シノンのアドバイスも、たまには役に立つんだな」


 俺がからかうように言うと、シノンは口元をわずかに緩めただけだった。


 足音が聞こえたのは、そんな呑気なやり取りをしていた時だった。

 草を踏み分ける、複数の荒々しい足音。

 俺はすぐに言葉を止め、警戒した。

 現れたのは、いかにも破落戸ごろつきといった風体の男たち。

 その目は、獲物を見定める肉食獣のように、冷たく俺たちに向けられていた。背筋に、冷たい汗が伝う。


「お前らが、噂のポーション作りか」


 先頭の男が、ドスの利いた声で言った。


「商会の旦那からの伝言だ。『市場を荒らすネズミは、始末しろ』ってな」


「お前らのせいで、大損こいてるお方がいるんだよ。悪いが、消えてもらうぜ」


 男の手が、腰に下げた剣の柄にかかる。

 俺は緊張で体が固まった。


 こいつら、本気だ。

 ゲームのモンスターじゃない。

 血の通った、殺意を持った人間だ。

 心臓が激しく脈打ち、足がすくんで逃げられない。


 その時、いつもと変わらないシノンの声が、俺の耳に届いた。


「健太。さっきの練習通り、やってみなよ」


「でも……相手は人だぞ……」


 俺は、ためらいの言葉を口にした。


「ためらってたら、こっちが殺られるよ」


 シノンの声は、氷のように冷たかった。

 その一言で、俺はハッと我に返る。


 男は剣を構えながらジリジリとにじり寄ると、ついに俺に向かって斬りかかってきた。


 俺は反射的に、両手を突き出す。

 青白い稲妻が、俺の両手から迸った。

 最初の男の胴体を貫いた雷撃は、そこで止まらず、まるで鎖のように次々と仲間たちへと飛び移っていく。

 空気が焼ける音と、男たちの短い絶叫。やがて静寂が戻り、あたりには焦げた肉の臭いだけが、生々しく残っていた。


「おお、チェーンライトニング! やるじゃん!」


 シノンの声には、興味深い実験結果を見たかのような、無邪気な興奮が混じっていた。

 人が死んだことに対する感情は、そこには一切ない。


 その声に、俺は我に返った。胸の奥に、冷たいものが走る。


「やっちまった……」


 俺は、自分の両手を見つめた。


 さっきまで生きていた男たちが、今は黒い炭の塊になっている。


 なのに――


 吐き気はしない。

 心臓の鼓動も、不思議なくらい落ち着いている。

 そのことに、俺はさらなる恐怖を覚えた。


「なんで……なんで俺、平気なんだ……?」


 ゲームでモンスターを倒した時みたいな、どこか妙な達成感すら感じている。


(強くなった)


 そう思った瞬間、背筋が凍った。


(違う……こいつらは、人間だった)


 でも、その認識すら、どこか他人事のように感じられる。

 俺の中の何かが、確実に壊れている。

 これが「慣れ」ってやつなのか。

 それとも、俺はもう、人間じゃなくなっちまったのか。


「けど、こんなもんか……。思ったより、大したことないんだな……」


 自分の口から漏れた言葉に、俺は愕然とした。


(俺……何言ってんだ……?)


 でも同時に、これは避けられない現実なんだと、頭のどこかで理解していた。

 帰るためには、生き延びなきゃならない。

 生き延びるためには、戦わなきゃならない。

 それが、人の命を奪うことだとしても。


 どこか吹っ切れたように空を見上げ、俺は再び呟いた。


「帰るためには、こういうことにも、慣れていかなきゃな……」


 ふとシノンに目をやると、あいつは死体の胸をナイフで切り裂き、中をまさぐっていた。


「ええええええ! 何やってんだお前!?」


 俺は絶叫した。


「いや、魔石があるかどうか確認してるんだ。森でやった奴らは木っ端微塵になっちゃったからね。宰相が言ってた通り、魔力が少ないと魔石はできないみたいだ」


 シノンは、俺の動揺なんてお構いなしに、淡々と説明する。


「ちょっと健太も開けてみていい? 人格レプリケーターがあるから、バックアップも取れるよ!」


「さすがにそれは、無理だっつーの!」


 俺の悲鳴に近い叫びに、シノンは小さく肩をすくめた。


「そう? 便利なのに」


「便利とかじゃなくて……」


「まあ、冗談はこれくらいにして」


「冗談に聞こえねえよ! 目がマジだったぞ!」


「どうしようか、これ」


 シノンが死体を指差す。


「……燃やすか?」


「いや、ここで煙が立つと余計目立つよ。草原の真ん中だし、放置で良いんじゃない?」


「お前、死体遺棄とか平気で言うな……」


 でも、それしかない。

 俺たちには、まともに「処理」する手段がない。


「王都のグルメもだいたい堪能したし、今度は交易都市にでも行ってみる?」


 シノンの提案に、俺は頷いた。


 ここにいても、また追手が来る。

 商会は諦めないだろう。


「よし、じゃあこのまま出発だ!」


 シノンの軽い声に、俺は頷いた。

 背後には、俺がこの手で奪った命の痕跡。

 もう、引き返せない。

 この世界で生き延びて、絶対に元の世界に帰る。

 そのために、この先に何が待っていようと、すべて受け入れてやる。

 俺は、そう決意した。


 *


 その日、〈大聖堂〉の大鐘楼は、未明にもかかわらず、異常を告げるように打ち鳴らされた。


 澄んだ空気に重く響く鐘の音が、神殿区の上層にだけ届くように、意図的に調整された低音だった。

 それは、一般には知られていない“合図”――教会上層部だけが知る、緊急召集のための鐘である。


 祭室に向かって集められたのは、ごく限られた面々――枢機卿筆頭のグレゴリウスと審問長官マティアス、そして聖女アリシア。


 彼らを迎えるのは、聖堂の奥深くに設けられた“神託の間”。

 装飾はなく、ただ白い石壁と、十数本の燭台のみが静かに揺れていた。


 アリシアは中央の祈祷台に立ち、ゆっくりと瞳を閉じる。

 息を吸い、吐くたびに空気が重くなる。蝋燭の炎が、風もないのに揺れ始めた。


 やがて、沈黙が限界に達した瞬間――


 聖女アリシア――神託の巫女。


 その足取りは静謐で、しかし明らかに何かに急かされていた。

 足元には白銀の刺繍があしらわれた裾が流れ、背後に従う神官たちは無言のまま、ただその後ろ姿を見守っていた。


 やがて、聖堂奥の“神託の間”に到達する。


 祈祷の儀式が始まると、蝋燭の炎が一斉に揺らぎ、室内の空気がぴたりと止まった。


 そして――


「……聞け、信徒たちよ……」


 アリシアの声が変わる。人のものとは思えぬ、響き渡るような神性を帯びた声。


 神託だ。


 そこにいた全員が、膝をついて頭を垂れた。


 だが、その内容は――誰一人として、予想だにしていなかった。


「西方にて、定めなき時に、ふたつの影、世界に落ちる。ひとつは夜空の如く、ひとつは理を外れしもの。その歩みは未だ定まらず。導かれれば光、逸れれば、世界は闇に沈む」


 言葉が途絶えた瞬間、炎が静かに揺れ、室内は静寂に包まれた。

 アリシアはふらりと膝をつき、背後から駆け寄った側仕えの修道女たちが慌てて支える。


「巫女は休め。この先の議論は、我らの務めだ」


 グレゴリウスの言葉に、アリシアは静かに一礼して退出した。


 ――そして、枢機卿達もまた神託の間を後にする。


 場所を移し、密議の間――教会の最奥、存在すら知る者の少ない石造りの一室。

 窓はなく、分厚い扉で外界と遮断されている。


 枢機卿筆頭グレゴリウスと審問官長マティアス、二人だけが向かい合って座った。


「……『ふたつの影』『定めなき時』」


 グレゴリウスが呟く。


「神託なき勇者召喚……」


 マティアスが続ける。


「おそらく、西方の王国だろう。数週間前から、妙な報告が上がっている」


「国王と王太子の失踪、経済混乱……そして、超常的な力を持つ若者二人の目撃情報」


 二人は顔を見合わせる。


「公にはできんな」


 グレゴリウスが苦々しく言う。


「王国が勝手に勇者を召喚したと知れれば、『教会など不要』という前例になる。我らの権威が揺らぐ」


「では、どう動きますか」


「まずは『影』を使え。二人を見つけ、観察しろ。能力、人格、危険性――すべてを見極めよ」


「もし、制御不能と判断した場合は?」


 グレゴリウスは、長い沈黙の後、静かに答えた。


「その時は……神の御名において、『排除』する」



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