第5話 滅びた文明と未来の常識
翌日も俺たちは、草原に繰り出していた。
いくら薬草を増やせるからって、流石に朝一に納品するのは怪しいからな。
小高い丘に囲まれた、人目につかない場所を見つける。
「ここならちょうどいいな。俺はせっかくだから魔法の練習でもするか。聖剣技は派手すぎて使いにくいしな。お前、暇じゃないのか?」
俺が準備運動を始めると、シノンが平然と答える。
「今も別端末でゲームしてるし、映画も見てるから、別に暇じゃないよ」
「……そういや、お前ってそういうヤツだったな」
呆れながらも、俺は深く息を吸い、魔力の流れに意識を集中させようとした。……が、どうにも上手くいかない。
ラノベの主人公みたいに、イメージしただけでドカンとかならないもんか。
――ええい、ままよ!
「ファイヤーボール!」
試しに叫んでみた。
返ってくるのは静寂と、鳥のさえずりだけ。
じわじわと恥ずかしさが込み上げてきて、顔が熱くなる。
「……シノン。お前の解析スキルで、どうにかならないか?」
俺は気まずくなって、シノンの方を見ずに助けを求めた。
シノンは真面目な声で答えたが、その目が笑っているのがバレバレだ。
「いい呪文があるよ」
そう言って、シノンは妙に芝居がかった口調で詠唱を始めた。
「紅蓮の契約、刻まれし詠唱――」
「待て、なんだその厨二っぽいの」
「静かに。詠唱の邪魔」
シノンは真顔で続ける。
「焦熱の衝動、砕ける霊障。黒き大地を、焼き尽くす烈火――」
「韻踏んでるし! 絶対嘘だろそれ!なんでラップ調なんだよ!」
「ビート、いる?」
シノンの目が、完全に笑っている。
「いらねーよ! お前、絶対からかってるだろ!」
俺はシノンのふざけた態度に頬を膨らませながらも、目を閉じて意識を内側に集中させた。
頼れる知識はない。ただ、直感で体の中を巡る温かい流れ――魔力を探す。
やがて、指先にじんわりと熱が集まり、内側から何かが押し出されてくるような圧力を感じた。
「……これだ」
確信はあった。
でも、熱があるだけで、それ以上の変化が起きない。
何度も、何度も試す。焦りが募る。
俺が魔法の練習を続けていると、シノンが飽きたように立ち上がった。
その目は、もう俺の魔法じゃなく、その奥にある森の深淵に向けられている。
「健太をからかうのも飽きたし、ちょっと森の方でも見てくるよ」
「俺、すっかりお前のオモチャだな! 一応、勇者なんだけど!」
俺のツッコミを華麗にスルーして、シノンは散歩でもするように森の中へ消えていった。
*
森の空気は、街や草原とはまるで違う。
湿った土と腐葉土の匂い、そして遠くから聞こえる獣の鳴き声が、シノンのいた世界には無い野生の気配を漂わせている。
森を進むこと数分、少し開けた場所で、シノンは唐突に足を止めた。
そして、まるで予測していたかのように、静かに周囲を見渡した。
その瞬間、木々の間から数人の男たちが姿を現した。
健太にぶっ飛ばされた酔っ払い冒険者と、その一味だった。
彼らは、シノンが一人になったところを見計らって、待ち伏せていたのだ。
男たちの顔には、健太を恐れて近づけなかった鬱憤と、これからシノンをカモにできるという下卑た笑みが浮かんでいた。
「よぉ新人、最近ずいぶん羽振りがいいじゃねえか。新入りだから知らねえだろうが、うまい狩場は共有するのがここのルールでな」
リーダー格の男が、唾を飛ばしながら言う。
彼らの腰には、錆びた剣や斧がぶら下がっていた。
「薬草が群生してるところがあんだろ? 正直に教えろや」
「あのバカみてえに強いのと離れて、一人で森に入るとか、危機感足りてねえんじゃねえの?」
男たちはシノンを取り囲み、好き勝手にまくし立てる。
シノンは、ただ無表情のまま、それを聞いている。
ドンッ!
腹に響く大口径の銃声。
男の体が――水風船みたいに弾けた。
森の木々が震え、鳥が一斉に飛び立つ。
「は? え?」
冒険者たちの理解が追いつく前に、二発目、三発目。
銃声が立て続けに響く。
銃口からは白い煙が立ち上り、あたりには硝煙の匂いだけが漂っていた。
シノンは軽く肩をすくめると、踵を返し、森を後にした。
その顔には、何の感情も浮かんでいない。
まるで、邪魔な虫を払っただけ、というように。
*
銃声が聞こえて心配していると、やがてシノンが森から戻ってきた。
俺は慌てて駆け寄った。
「おい、今の銃声! 何かあったのか!?」
「昨日ギルドを出た後から、ずっと尾けられてたみたい。健太がぶっ飛ばした奴だったよ」
「え……。まさか、殺したのか……?」
俺の問いに、シノンはあっけらかんと答える。
「そういえば、この世界の人間って死ぬんだったっけ?まあ、どっちでもいいけど」
その無邪気な一言に、俺は言葉を失った。
(あの銃……「生身じゃ撃てない大口径」って言ってたよな……)
胸の奥から、またあの恐怖が湧き上がってくる。
こいつは、命の重さを知らない。
いや、こいつの世界には、命っていう概念そのものがないのかもしれない。
俺が黙り込んでいると、シノンは少し考えるような顔をして、不意に話題を変えた。
「健太の時代って、異文明との接触はまだないんだっけ?」
「は? 何の話だよ、急に」
「異文明を見つけたらどうするか、知ってる? まず調査して、可能なら、根絶するんだ」
シノンの言葉に、俺は背筋が凍る思いがした。
それは、今までの奇行とは比べ物にならないくらい、冷たくて、非情な響きを持っていた。
「なっ……。仲良くするとか、交流するとか、そういう選択肢はないのかよ!?」
「例えばさ――一度に何千も卵を産むような種族と、価値観を共有できると思う? 衝突が必然なら、対話は時間稼ぎにしかならない。だから未来では、芽吹く前に刈り取る。それが“合理的”なんだ」
シノンの言葉には、感情が一切なかった。純粋な、残酷なまでの論理だけだ。
「この世界の種族は、見た目は俺たちと似てるけど、魔石があったりするし、根本的には別の生き物だろ?」
俺は、震える声で反論するのがやっとだった。
「でも、中には友好的な文明だって、あるかもしれないだろ……?」
自分でも、それがただの願望でしかないと分かっていた。
「あったよ。昔――『ファラミア』っていう文明がね」
シノンの瞳に、初めて見る感情が宿った。それは悲しみか、後悔か――俺には分からなかったけど、確かにそこに”人間らしい”何かが揺らめいていた。
「彼らは、本当に珍しいくらい、平和的な種族だった。僕らの出した救難信号をキャッチして、見返りも求めずに助けに来てくれた」
俺は、何も言えずにシノンの言葉に耳を傾ける。
「でも……滅んだ。あっけなくね」
「……なんで?」
「別の文明が現れたから。ファラミアとは真逆の、侵略的で、排他的な文明が」
シノンは、小さく息を吐いた。
「そして、ファラミアと交流があった他の種族まで、全部焼き払われた。根こそぎ、ね。その文明にとって他の文明は将来自分たちを脅かすかも知れない”潜在的危険因子”だったんだ」
ゴクリ、と喉が鳴った。唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえる。
「友好を結ぶっていうのは、相手の看板を、自分の背中に背負うってことだ。相手が滅ぼされた時、自分もその標的になる。それが“現実”なんだよ」
俺は、拳を強く握りしめた。理不尽すぎる。怒りとも悲しみともつかない感情が、胸を締め付けた。
「……シノン、お前、その話、やけに詳しいな」
「まあ、歴史の授業で習うからね」
シノンはあっさりと答えたが、その目は笑っていなかった。
しばらくの沈黙の後、シノンは目を細めて付け加えた。
「未来ってのはね、綺麗な理想じゃなくて、過去の失敗の上にしか積み上げられないんだよ」
(歴史の授業……?)
——まあ、シノンの時代も、色々あったんだろう。
そう思うことにした。
深く考えても、俺には何もできない。
シノンの言葉は、あまりにも冷酷で、そして、あまりにも現実的だった。
手を取り合って分かり合うなんていう理想論は、シノンの語る未来史の前では、あまりにも無力で、脆いものに感じられた。
そして、思わず口から漏れた。
「未来が思ったより殺伐としてる件について……」
俺は、苦笑いを浮かべるしかなかった。
震える手で空を仰ぐ。
シノンの冷酷な現実を、軽薄なラノベネタに変換しないと、やってられなかった。
「でも、たしかに……」
俺の表情から、笑みが消える。
「積極的に滅ぼそうとは思わないけど、もし帰れるなら、この世界がどうなろうと知ったこっちゃないってのは……そうかもな」
俺は、自分の言葉にハッとした。
いつの間に、俺はこんな冷たい考え方をするようになったんだ?
昨日までただの高校生だった俺が、他の世界の運命を「知ったこっちゃない」なんて。
これは、生きるための適応なのか、それとも――
倫理観が、少しずつ麻痺していく感覚だった。
俺の言葉に、シノンは少しだけ口角を上げた。
「まあ、僕も積極的に滅ぼす気はないよ。観光したいしね。それより、健太の能力の方が、今は興味深い。魔法の調子はどう? 」
「もう少しでなにか掴めそうなんだ。見てろよ」
そう言って俺は魔力に集中する。
確信はあった。でも、熱があるだけで、それ以上の変化が起きない。何度も、何度も試す。焦りが募る。
「くそっ、また煙だけかよ……!」
苛立ちが声になった、その瞬間――
ビリッ!
指先から青白い火花が散り、次の瞬間、小さなオレンジ色の炎がポンッと生まれた。
拳ほどの火の玉が、俺の手のひらの上で、ふわふわと揺れている。
「……で、出た……!」
息を呑み、目を見開く。
次の瞬間、俺は思わずガッツポーズで飛び跳ねた。
ゲームで初めてレア技が出た時みたいに、めちゃくちゃ嬉しい。
この小さな火の玉が、ここ数日の恐怖や混乱を全部吹き飛ばしてくれた気がした。
「勇者補正ってやつかな」
シノンは素直に感心している。
「【成長促進】ってスキルもあったし、そのおかげかもな。……腹も減ったし、そろそろ帰るか」
俺はそう言って、草原に背を向けた。
俺の心は、どこか吹っ切れたように晴れやかだった。
シノンがどんなヤツだろうと、関係ない。
この世界で生き延びて、日常に帰る。
そのためには、こいつに頼って、俺自身の力も強くするしかない。
――それが、正しいことなのかは、わからない。
でも、今はそれしか考えられなかった。
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