第3話 新人いびりをワンパン!異世界デビュー戦

 朝日と鳥のさえずりで目を覚ます。見慣れない木目の天井をぼんやりと見つめながら、俺は呟いた。


「……そういや、異世界に来たんだったな、俺」


 体を起こすと、隣ではシノンがとっくに準備を終えて、静かに椅子に腰掛けていた。

 服装は、昨日までのSFスーツじゃない。

 チュニックに七分丈のズボン、足元はシンプルなサンダル。

 そのイケメンすぎる顔さえなければ、まるで最初からこの世界の住人みたいだ。


「その服どうしたんだ?」


「【アイテムボックス】ってスキルがあったろ。あれだよ。なぜか他の端末でも使えるるみたいだから、あっちで入れておいた」


「入れておいたって、お前……」


「ちゃんとこっちの服の構造を解析して用意したから大丈夫。健太のも用意してあるよ」


 シノンが指さした枕元には、きれいに畳まれた服が一式置かれていた。

 

 俺がそれを手に取って広げてみると――


 そこにあったのは、真っ白なシルクのタイツに、ふんわり膨らんだカボチャパンツ。胸元にはフリルがたっぷりのシャツと、金糸の刺繍がやたら豪華なジャケット。


「おい! なんだこれ! どこの王子様だよ!」


 俺が思わず叫ぶと、シノンは口元に笑みを浮かべて答えた。


「神殿にいた王子の服装を参考にさせてもらった。君に似合うと思うよ」


「目立たない格好にしようって言ったよな!? こんなの着て外歩けるか! お前と同じのでいいから、それに着替えさせろ!」


「え? 男同士でペアルックとか、流石にちょっとキツいかな……」


「そういう意味じゃねえ! もっと普通のにしろって言ってんだよ!」


 わざとらしく肩をすくめるシノンにため息をつき、なんとか平凡な服に取り替えてもらって、俺たちは階下の食堂へと向かった。

 食堂の隅っこで、俺たちは焼きたてのパンとベーコン、野菜スープの朝食を口に運ぶ。素朴だけど、めちゃくちゃ美味い。


「うまっ! コンビニ飯とかじゃ絶対出せない味だな、これ」


 俺がガツガツ食う横で、シノンはフォークで恐る恐るベーコンをつついている。未知の物体を調べるみたいに、慎重に、ゆっくりと。

 そして、一口サイズに切ったそれを口に運ぶと、ほんの少しだけ目を見開いた。


「天然素材の食事は初めてだな……。味は、まあ……面白い」


 普段、何でもクールにこなすシノンが戸惑ってる。その珍しい反応に、俺は思わず吹き出しそうになった。


「じゃあ、服の調達はもう終わっちまったから、朝食を食べたら今日はギルドに行くぞ」


 食事を終えた俺たちは、早速冒険者ギルドに向かった。


 西門の近くに、宿で聞いた通りの、ひときわデカい石造りの建物が見えてきた。剣と盾の紋章が掲げられている。あれが冒険者ギルドか。


 俺たちがギルドに足を踏み入れた瞬間、むわっとした熱気と、汗と、安い酒が混じったような独特の匂いに包まれた。

 思わず鼻を摘まんでしまう。


 隣のシノンは、匂いなんて気にならないのか、静かにあたりを観察しているようだ。


「健太、この人たち、装備がバラバラだね」


「え? そりゃ、それぞれ好きな装備してるだけじゃ……」


「いや、そうじゃなくて。統一規格がない。剣の長さも、鎧の材質も、全部違う。これじゃメンテナンスも流通も、非効率的だよね」


「……お前、そんなとこ見てんのか」


 シノンにとっては、このカオスな光景こそが「記録する価値のある珍しい体験」らしい。

 俺にとっては、ただの酒場なのに。

 シノンの呟きに、俺はふうっと息を吐いて答えた。


「うん。ラノベで読んだギルドって、もっとこう……カラッとしてるイメージだったけど。なんか、想像より臭いし、騒がしいな」


 壁にはボロボロの手配書や依頼書が雑に貼られ、床は酒か泥かでベトベトだ。薄暗い中で、ジョッキを片手にしたゴツい冒険者たちが、デカい声で笑ったり怒鳴ったりしている。

 うわー、治安悪そう……。


(こんな世界で、本当に生きていけるのか、俺……)


 急に不安になってきた。でも、隣で相変わらず無表情なシノンを見ると、なぜか少しだけ安心する。こいつ、肝が据わりすぎだろ。その無表情さが、今はむしろ頼もしく思えた。


 酒場の喧騒を抜けて、反対側のカウンターに向かう。依頼の報告か何かで、すでにいくつかの列ができていた。俺たちも、その一番後ろに並ぶ。


 しばらく待って、ようやく俺たちの番が来た。

 カウンターの向こうには、笑顔が可愛い受付のお姉さん。俺たちを見ると、にっこり微笑んでくれた。


「あら、初めて見る顔ですね。新規登録でしょうか?」


「はい、二人ともお願いします」


 俺が答える。


「新規登録ですね。では、こちらの用紙にお名前と年齢を――」


 その時だった。背後から伸びてきたゴツい手が、乱暴に俺の肩を叩いた。


 振り返ると、酒臭い息を吐きかける赤ら顔の男が、ニヤニヤしながら立っている。見るからに酔っ払いで、周りには取り巻きっぽいのが二人。

 

(うわ、典型的な絡んでくるモブじゃん……。)


「よぉ、新人。登録が済んだら俺んとこに来な。ちっと細っこいが見どころはありそうだ。俺が色々と面倒見てやるよ」


 明らかに上から目線の態度に、俺はどうしたものかと周りを見回す。面白そうにこっちを見てるヤツ、迷惑そうに顔をしかめるヤツ、見て見ぬふりをするヤツ……誰も助けてくれそうにない。


「い、いや、俺たちだけでやりたいんで、遠慮しときます」


 俺は、なるべく穏便に断った。


 途端に、男の顔から笑みが消える。


「あ? 新人が口答えすんじゃねえよ。弱えヤツは、素直に先輩の言うこと聞いときゃいいんだよォ!」


 男はそう叫ぶと、いきなり拳を振り上げて殴りかかってきた。


 その瞬間、なぜか男の動きがスローモーションに見えた。

 デカい拳が、ゆっくりと俺に迫ってくる。

 避けなきゃ、ヤバい!

 ――なのに、体が恐怖で固まって動かない。金縛りにあったみたいだ。

 俺は、迫りくる拳をただ見つめることしかできなかった。


(終わった……)


 そう思った時、体の奥から何かがカッと熱くなった。

 へその下あたりから、力が湧き上がってくる。

 震えていた足が地面に根を張り、握った拳に、自分のものとは思えないほどの力が宿る。

 視界が、一気にクリアになった。

 男の荒い息遣い、汗の匂い、拳の軌道――そのすべてが、やけにはっきりと分かる。

 気づけば、俺の左手が勝手に動き、男の拳をいとも簡単に受け止めていた。


「え?」


 俺の声と、男の声が重なる。

 二人とも、何が起きたのか理解できていない。


 男の拳は、俺の掌の中で完全に止まっていた。

 まるで、子供のパンチを大人が受け止めたみたいに。


「な、なんで……?」


 俺だって分からない。

 でも、体が勝手に動いた。

 これが、スキルの力?


 男が慌てて左手で殴りかかってくる。

 でも、その動きが――遅い。


 いや、男が遅いんじゃない。

 俺の認識が、加速している。


(避けられる)


 体が自然に腰を落とし、右拳を突き出していた。

 狙いは鳩尾。完璧な軌道。


 ドスッ!


 鈍い音と共に、男の巨体が浮いた。


「ぐえっ!」


 そのまま一直線に、ギルドの外まで吹っ飛んでいく。


「……え?」


 俺は、自分の拳を見つめる。

 さっきまで震えていた手が、今は全く震えていない。


「……マジか。俺、こんなに強くなってんのか……?」


 受付のお姉さんは、口をあんぐり開けて固まってる。酒場で騒いでいた冒険者たちも、一斉にこっちに注目していた。


「お、おい……今の……」

「見た。Fランクの新人が、Cランクのラガンを……」

「嘘だろ……あの鉄壁のラガンが、一発で……?」

「いや待て、あれは魔法か? いや、素手だったから【格闘技】?」

「どっちにしろ、登録したての新人の動きじゃねえ……」

「ははっ、いいぞ新人! あいつには散々迷惑してたんだ。一杯奢ってやるぜ!」


 口々に騒ぐ冒険者たち。


 その中で、隣にいたシノンが、まるで他人事のように呟いた。


「召喚時に力が与えられるって、本当だったんだね。良い記録が残せそうだ」


「いや、撮れ高気にしてる場合か、これ……?」


 俺が指さした先では、気絶したラガンとかいう男を、取り巻きたちが慌てて引きずって去っていくところだった。


「むしろ撮れ高だけ気にしてるんだけど?」


 シノンは不思議そうに首を傾げた。


 受付のお姉さんは、しばらく目を丸くしていたが、ハッと我に返って口を開いた。


「え、ええと……お二人の登録、すぐに済ませますねっ! ランクはFからになりますけど、えっと、よろしくお願いしますっ!」


 俺の強さにビビりながらも、お姉さんはプロ根性で仕事に戻る。


「冒険者ランクはFからで、クエストをこなして評価を上げるとE、Dと上がります。Cランク以上は昇格試験が必要です。最初のうちはFランク向けの依頼を……」


 俺が緊張しながら説明を聞いていると、隣からシノンが口を挟んだ。


「ランク制度は分かった。で、ここにサインすればいいの?」


 その言葉に、お姉さんは一瞬ポカンとした。普通、新人はもっと真面目に聞くだろ。


「は、はい……。サインと、そちらの魔力登録板に手を置いてください……」


 シノンはためらうことなくサラサラとサインし、無言で魔力登録板に手を置く。装置が淡く光り、あっという間にシノンの名前が刻まれたギルドカードが発行された。


「……はい、確認しました。では健太さんも、こちらに……」


 俺もサインを済ませ、魔力登録板に手を置く。

 体から何かスーッと抜けるような感覚がした後、俺のギルドカードも出来上がった。カードには、俺の名前と、Fの文字が刻まれている。


 周りの冒険者たちの視線が突き刺さる中、俺はカードを握りしめて苦笑いした。


「なんか、テンプレ展開すぎて逆に不安になるんだけど、俺の異世界ライフ……大丈夫か……?」


 その時、そんな騒ぎなど全く意に介さず、シノンがカウンターに明滅する赤い魔石を2つ、コトンと置いた。


「あ、そうだ。これ、換金できる?」


(おい待て待て待て! それ出すのかよ!?)


 その瞬間。ギルドの空気が、凍りついた。


 酒を飲んでいた冒険者が固まり、賭け事をしていた連中が振り返る。誰もが息を呑んで、その禍々しい光を放つ魔石を見つめていた。ギルドが、ありえない静寂に包まれる。


 受付のお姉さんは、かろうじて言葉を絞り出した。


「こ、これは……まさか、王ランクの魔石……? でも、最近ゴブリンキングの目撃情報なんて……一体どこで……」


「ヒューマンキングかな? 強いて言うなら」


「ヒューマン……キング? そんな魔物、聞いたことが……」


 シノンの答えに、お姉さんはますます混乱している。


(ヒューマンキングって……それ、まんま王様のことじゃねえか! こいつマジで何も考えずに言いやがった!)


「ちょ、ちょ、おま、何出してんの! ……あ! これ! この依頼受けます!」


 俺はパニックになりながら、とっさに掲示板に貼ってあった薬草採取の依頼書をひっぺがし、お姉さんに叩きつけた。


 そして、何事もなかったかのように魔石を懐にしまうシノンの腕を掴んで、ギルドから逃げ出した。


 ギルドの外に出た瞬間、俺はぜえぜえと息を切らした。


「俺の異世界生活、初日から胃に穴が開きそうだ……」


 *


 その頃、ギルドの裏路地では——


 意識が戻ったのは、ギルドから少し離れた路地裏だった。

 頭がガンガンする。腹はまだ痛むし、口の中は鉄の味が残っていた。だが、それ以上に、プライドがズタズタだった。


 ――新人に、吹っ飛ばされた。

 しかも、みんなの前で。


「……くっそ……あのクソガキが……!」


 ラガンは、地面に拳を叩きつけて唸った。取り巻きの一人が、おそるおそる声をかける。


「ら、ラガンさん……今日は大人しくしてたほうが……。下手に騒ぐと、ギルドに睨まれますぜ……?」


「うるせぇッ!」


 怒鳴ると、取り巻きはビクッと肩をすくめて黙り込んだ。


 ラガンの拳が、また一度、石畳を殴る。

 新人のあの目。澄んだ視線。自信に満ちた拳――

 思い出すたびに、胸の奥が煮えくり返る。


(あのガキ……絶対に、許さねえ……!)


 ギルドでの立場も、メンツも、全部失った。

 もう後がない。だったら、やるしかない。

 こっそりと、誰にもバレない場所で――徹底的に叩き潰してやる。


「ゼル、バッツ……ちょっと話がある。ついてこい」


 いつになく低い声に、取り巻きの二人もただならぬ気配を感じ取った。

 その夜、薄暗い酒場の奥の個室に、ラガンの顔見知りのC~Dランク冒険者たちが次々と集められた。


「新人ひとり狙うために、こんな大げさにする必要あるんすか?」


「ああ、必要だ」


 ラガンはニヤリと笑った。


「明日、あいつら薬草採取に行くらしいからな。街の外なら、誰も見ちゃいねえ」


「街の外で……事故、っすか」


 取り巻きの一人が、意味ありげに笑う。


「そういうこった。新人が調子に乗って、森で魔物に襲われた。よくある話だろ?」


 酒場の灯りの下、ラガンの目は怒りと憎しみに燃えていた。

 ――明日、あのクソガキの顔が歪むのを、じっくりと楽しんでやる。



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