第2話 未来人は常識知らず
神殿を後にして、俺たちは丘の上から続く坂道を黙って下っていた。
自分の足音だけが、やけに大きく聞こえる。足を止めて振り返ると、神殿の扉は固く閉ざされていた。
あいつ――確かシノンっていってたか?――のお陰で脱出できたが、これからどうするか。
あんなやべー奴と一緒にいたくないけど、目を離すのもマズイ気がする。
「どうしたの? 早く行こうよ」
涼しい声に思考を中断させられる。
数メートル先で、シノンが不思議そうに俺を見ていた。
その顔には、さっきのヤバい事件に対する動揺とか恐怖とか、そういうのが一切ない。道端の石ころでも蹴飛ばした、くらいの感覚なのだろうか。
「い、いや、なんでもない……」
俺はそう言って、再び歩き出した。
シノンの隣を歩きながら、チラリと横顔を盗み見る。やっぱり無表情。それが逆に、とんでもなく不気味に思えた。
石畳の道がカーブに差し掛かると、視界がパッと開けた。小さな広場があって、真ん中には天使の像が乗った噴水が静かに水を噴き上げている。ひんやりとした風が頬を撫でて、少しだけ現実に引き戻された気がした。
その周りを、この街の住民たちが行き交っていた。
商人らしき男が荷車を引いている。
母親が子供の手を引いて歩く。
老人が杖をつきながら、ゆっくりと石畳を踏みしめる。
平和な、日常の風景。
俺たちは、人目を避けるように噴水の陰のベンチに腰を下ろした。
シノンは堂々としているが、俺は周囲を警戒しながら、小さく体を縮こめる。宰相の隠蔽工作が、どこまで通じるかわからないから、この街は早めに出たほうが良いな。
そんなことを考えながら、シノンに、気になっていた事を聞いた。
「さっきバックアップとか端末とか言ってたけど何のことだ?」
「端末はこの身体のことだよ?これは宇宙探索してた端末」
「は?端末?体が?」
俺の混乱はさらに深まる。
「……お前、もしかして人間じゃないのか? アンドロイドとか、そういうヤツ?」
「もちろん人間だよ。生体の端末もあるけど、これはサイボーグだね。生身と機械のハイブリッド。他の端末は、今も普通に活動中だよ」
その言葉に、俺は絶句した。こいつ、マジで何言ってんだ?
「複数の端末で同時に活動するなんて、当たり前だろ? 1つの身体だけじゃ、効率が悪すぎるし」
シノンは、心底不思議そうに俺を見る。
「待て待て待て! 当たり前ってなんだよ!同時に別の体も動かしてるってことか!?」
「そうだけど? 何をそんなに驚いてるの?」
言葉は通じるのに、会話がまったく成立しない。このもどかしさに、俺は頭を抱えたくなった。
「いや、でもさ……お前、人間だって言うけど、さっき……殺しちゃったよな、王様。罪悪感とか、ないわけ?」
俺の言葉に、シノンは一瞬だけ視線を動かしたが、その顔に焦りや動揺はない。
代わりに、手の中の赤い魔石を指先で弄び始めた。
「え? あれで死ぬの?」
「お前、本気で言ってんのか……?」
「さすがにバックアップくらいあるでしょ?予備の端末は?」
シノンは、さらに続ける。
その言葉に、俺は驚きつつも、妙に納得してしまった。
「……やっぱりそういう認識だったんだな。いいか。俺も、この世界の連中も、バックアップなんてねーよ。予備の体もない。死んだら、そこで終わりだ」
「へえ。それもまた、シンプルでいいのかもね」
シノンは、やっぱり何も感じていないように言った。
「ハハッ……」
乾いた笑いが漏れた。常識が違いすぎる。
こいつ、たぶん「死」が何なのか、本当に分かってないんだ。俺達がゲームオーバー画面を見るくらいの感覚なんだな。きっと。
そう思ったら、なんだか考えるのがバカらしくなってきた。
「ま、いっか。もう考えるのやめだ」
とりあえず、こいつは殺人鬼ってわけじゃなさそうだ。それが判っただけで今はいい。
再び、広場に沈黙が訪れる。
夕暮れの風が涼しくて、噴水の音だけがやけに心地いい。
しばらく黙っていたが、俺はポツリと自己紹介を始めた。
「俺は、佐藤健太。日本の高校二年生。部活はやってない。趣味はゲームと……ラノベとか」
「ラノベ?」
シノンが首をかしげる。
「ああ。……お前には分かんないか。こっちで言う、冒険物語みたいなフィクションだよ」
「なるほど。フィクション、か」
「そうそう。でも、今じゃそのフィクションの世界に、俺自身が来ちまってる。意味わかんねーだろ?」
「僕としては、すごく興味深いけどね」
シノンはそう言って、手の中の魔石に視線を落とした。
「……つーかさ、元の世界に帰る方法、本当にないのかな……」
ポツリと呟く。空は綺麗な夕焼け色に染まっている。
日本でも、こんな夕焼けを見たことがあったっけ。
ラノベの世界に憧れはあった。けど、実際に巻き込まれてみるとそれだけじゃないな。
帰りたい。
部屋のベッドで寝たい。
かーちゃんの作ったメシが食いたい。
友達とくだらない話がしたい。
でも、帰れない。
「帰る方法は、まだ分からないね」
シノンが淡々と答える。
「だよな……」
俺は深く息を吐いた。
「まあ、ウジウジしててもしょうがねえか。とりあえず、この世界で生き延びる方法を探さないとな!まずは、宿を探してから今後の方針を決めよう。当面の資金もあるしな」
そう言って、宰相から奪った小袋に目をやった。
やがて、通りを一本入ったところに、手頃そうな宿屋を見つけた。石造りの二階建てで、こぢんまりしてるけど、悪くない感じだ。
(とりあえず、一晩だけ……明日の朝には出よう)
木の扉を開けると、中は食堂になっていた。客はまだおらず、奥のカウンターで店主らしきおっさんが一人、椅子に座っている。
「泊まりかい? 二人部屋なら空いてるぜ。朝飯付きで一人銀貨2枚だ」
「ああ、それで頼む」
俺は金貨をカウンターに置いた。
「二階に上がって突き当りの部屋な」
主人はカウンターの下から鍵を取り出し、釣り銭と一緒に寄越す。
(やっぱり、何も知らされてないみたいだな……)
鍵を受け取って、俺はさっさと二階へ上がった。シノンも黙ってついてくる。
部屋にはベッドが2つと、小さな机が1つ。シンプルだけど、掃除はちゃんとしてあるみたいだ。
「落ち着いたところで、今後の方針を決めよう」
俺はベッドに腰を下ろすと、そう切り出した。
「まず……この街をすぐに出るべきか、だけど」
「大丈夫じゃないかな。あの痛がり具合からすると、感覚保護フィルターも入れてないだろうし、宰相も全力で隠蔽するよ」
シノンがそう応じる。
「感覚保護フィルターって……まあそれは置いといて」
俺は自分なりに状況を整理する。
「そういえば、王族がいるのに警備が皆無だったよな?あれ、おかしいと思わなかったか?」
「確かに。普通なら、もっと厳重な警備があってもいいはずだよね」
「だろ?つまり、召喚自体が極秘で行われてたってことだ」
俺は推理を続ける。
「おそらく、魔王討伐のための正式な勇者召喚じゃない。あいつが言ってた通り、帝国との戦争の切り札として、勝手に召喚したんだろう。そうなると……」
「王国としても、隠蔽せざるを得ない?」
「そういうこと。下手に俺たちを追えば、勝手に召喚したことがバレる。それは王国にとって致命的なはずだ」
自分の推理に、少しずつ確信が持てるようになってきた。
「店主の反応を見ても、手配書は出てない。つまり、宰相の隠蔽は成功してるってことだ」
「なるほどね。だったら、この街にしばらく留まっても大丈夫そうだね」
「ああ。少なくとも、当面は安全だと思う」
そう口に出してみて、ようやく肩の力が抜けた。まだ完全に安心はできないが、少なくとも今すぐ追手が来る心配はなさそうだ。
「……そういえばお前って何者なんだ?」
「ん?僕はただの
「ゔぃ……なんだそれ」
聞いたこともない単語に、俺は眉をひそめる。
「珍しい体験を記録して、提供している」
「体験を……提供している?」
「そう。僕の視覚、聴覚、触覚、感情。全部を記録して、他の人に追体験してもらうんだ。特にセレブ層は、自分じゃ体験できないことを喜ぶから」
「へえ……で、この異世界の体験も売るのか?」
「当然。異文明なんて、僕の世界じゃもう存在しないから。この異世界の体験なんて、ものすごい希少価値があるはずだよ」
シノンが、顔をほころばせながら、無邪気に言う。
「お前……あれだけのことしといて、まだこの世界を楽しむ気でいるのか?」
「当然だよ。せっかくの貴重な体験なんだから」
「それよりこの状況が『ラノベ』って?のに似てるって言ってたよね?その物語だとこういう時どうするの?」
「ああ、そうだな。まずはこの目立つ服を取り替えて、その後はギルドに登録するのがテンプレだな」
「ギルド?」
「そう、冒険者ギルド。依頼を受けて薬草集めたり、モンスターを倒したりして報酬もらうことろ」
「じゃあ明日はまず、着替えを調達して、冒険者ギルドを探そう。楽しみだね」
「お前すっかり観光気分じゃねえか。下手すりゃお尋ね者だって判ってんのか?」
「でも観光できるのは今のうちだけだろうし、僕は全力で楽しむよ」
「なんだそりゃ。まあ、今日は色々ありすぎたし……疲れた。俺、もう寝るわ」
俺はぽつりとそう言って、ベッドに体を沈めた。すぐに、深い眠りがやってきた。
「ああ、おやすみ」
シノンはそう言って窓の外を眺めていた。
*
一方、神殿では――
宰相は、血の海と化した神殿で、我に返った。
「まずい、まずいぞ……!」
手が震える。首の首輪が、自分の失態を嘲笑うように、冷たい。
あの二人は、何者だ?
規格外のスキル。人間離れした動き。
そして、何より—あの無関心。
まるで、人の命など、石ころほどの価値もないかのような。
「まずは、陛下たちの遺体の隠蔽だ。公式には病に倒れられたとでもするか。そして何より教会だ。魔王出現の神託もなしに勇者召喚をしたことが露見すれば、この国は終わる…」
考えをまとめると宰相は隷属の首輪を襞襟の奥に隠して、懐から取り出した魔道具に魔力を込めた。
やがて音もなく現れた、黒尽くめの男が目を瞠る。
「これは……」
「見ての通りだ。勇者召喚は失敗だ。陛下と殿下は召喚した勇者の手によって……」
「では、直ちに追手を……」
「ならん!まずはこの状況の隠蔽が最優先だ。教会に勇者召喚の事実が露見すれば、王国は破滅だ。下手に勇者を追えば、露見するリスクが増すだけだ。奴らは規格外のスキルを持っている。闇に葬るのは、容易ではない」
宰相は冷徹に命じる。
「直ちに陛下達の遺体を運び出せ。血の一滴、灰の欠片すら残すな。勇者召喚の痕跡が露見すれば、この国は終わる」
彼は、血溜まりに浮かぶ王冠を一瞥すると、踵を返した。
これからの長く困難な隠蔽工作を思い、重い頭痛を覚えながら、王城 へと向かうのだった。
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