第3話

文化祭の一週間前となった今日。


 私は二つの企てを実行した。


 一つは今日から三日間、私たちのクラスの文化祭準備を休止するというもの。


 これはうまくクラス内の意見を誘導できた。伊達さんが演劇関係について用意周到だったこともあって、準備が極めて順調に進んでいたのが大きかった。


 もう一つが、私から山田への手紙。


 いや、ラブレターだ。


 私の山田に対する気持ち、ではなく恋心をつづった手紙をしたためて。今朝のうちに山田の下駄箱へ入れておいた。


 告白をしたいから、放課後に校舎の屋上へ来てくれ。その旨を手紙に書いた。


 名前は書かなかった。私の名前を見たら山田は屋上へ来てくれないような気がしたから。

 

 さて、屋上といえば漫画やアニメなどのフィクションにおいて度々登場する人気の青春スポットという印象を受ける。


 しかし、やはりそれはフィクションであって現実とは大分勝手が異なる。


 まず基本的に鍵が掛かっていて立ち入りが禁じられている。


 よしんばそこに掛かった南京錠が壊れていたとして、その扉の向こうにある空間は清掃なぞ入らないから非常に汚い。


 また、屋根や囲いが一切ないから、夏は照り付ける日差しがじりじりと過酷で、秋や冬場になれば吹きすさぶ木枯らしが執拗に肌を痛めつける。


 今だって一陣の風がびうっと吹いて、落ちている枯葉や木の枝がざりざりと屋上のコンクリートの上を引き回された。


 こんな環境だから基本的にロマンチックとは縁がなく、人が滅多に訪れないのだ。現実の屋上というやつは。


 だからこそ、二人きりになるという目的においては一定の有用性を発揮してくれるわけだが。


 今は放課後になって間もない時刻。


 私はSHRが終わるなり真っ先に教室を抜けてここへ来た。


 塔屋の陰に身を置いて、山田が来るのを待つ。


 ここなら風が身体に当たらないし、山田が来ればすぐにわかる。



 秋晴れの空に流れる雲をぼうっと眺めて2、30分くらい経っただろうか。


 塔屋の扉の蝶番がきいい、と音を立てる。


 扉の内側から出てきたのは、ふわふわとした栗色の髪の少女。


 きょろきょろと辺りを見回す山田に、横から声をかけた。


「山田」


 びくっとしてこちらを振り向く。


 あっけにとられている山田の表情。


 私は山田を驚かせるのが結構好きかもしれない。


「どうして伊川がここに……」


 と声に出してから数秒。何かに気が付いたような表情になった山田が、ポケットから白い便箋を取り出す。


 私が山田に宛てて書いた手紙だ。


「もしかして、これを書いたのは伊川?」


「そうだよ」


 私の答えを聞いて、山田は眉を顰めた。


「これは、あたしに対して失礼だと思う」


「どうして?」


「だって、あたしを呼び出すためにこんな、

 ラブレターみたいな手紙を作ってさ。

 何かの手段として、好きでもない相手に嘘の言葉を送るなんて……」


「好きだよ」


「え?」


 私は山田の両肩に手を置いた。


 伝わってくる、山田の体温。


 大丈夫だ。私はできる。


 見上げてくる山田の鳶色の瞳と視線を合わせる。


「山田。いえ、山田侑子さん。

 私はあなたのことが好きです。

 あなたが傍にいない日々はとても寂しく、

 毎日が凍てつくように感じられました。

 私は朝と夜とを問わず、

 寝ても覚めてもあなたのことばかり思ってしまいます。

 未熟な私は恋愛がよくわかりません。

 しかし、あなたへの思いを恋と呼ばずしてどう表現すればよいのでしょう。

 山田、あなたは私の思い人です。

 だからどうか、私と恋人になってくれませんか」


「…………」


 山田からの返事はない。


 ただ、お互いの眼を見つめあって。そして反らすことができない。


 やがて山田の鳶色の瞳が潤んだかと思うと、その双眸に湛えた涙が目尻から零れて肌を伝った。


「ど、どうして泣くの!?」


 私は何か変なことを言ってしまっていたのだろうか。


 確かに、テンパって長々と喋った自覚はあるけれども……。


「ご、ごめん。その、すごく、うれしくて」


 そう言って山田はますます泣いた。


 私に抱き着いて、顔を私の身体にうずめてくる。


 シャツに浸み込む山田の涙の冷たい感触。


 この冷たさは嫌いじゃない。


「どうしよう。夢なんじゃないかって、すごく不安になる。

 伊川と結ばれることなんて、きっとないって思っていたから。

 ねぇ伊川。これは夢なんかじゃ、嘘なんかじゃないよね?」


「うん。嘘なんかじゃ、ないよ」


 私は山田の背中に手を回して、そっと抱きしめた。


 山田が私の身体から顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃになった顔。それでもなお美しい相貌。


「えへへ、やばい。嬉しすぎてめっちゃにやける」


 そういって山田がふにゃっと笑う。


 そうだ。これは嘘じゃない。


 私の恋心は真実になる。


 二度と山田の表情に悲しみを宿らせはしない。




 山田の家は高校生にとって非常に都合がいい。


 それは両親が滅多に家に帰ってこないという点だ。


 上記のことは、もちろん多くのデメリットがある。


 しかし高校生にとっては少なくとも一つだけ、非常に有用に働く要素があるのだ。


 それは家に恋人を連れ込んでエチエチな行為ができるということ。


 ……メリットですよ? はい。


 学校から山田の家に直行した。私は今、山田のベッドの上に座っている。


 慣れ親しんだはずの山田のベッド。何故かそのシーツの桃色であったり、スプリングの硬さがひどく異質なものに感じられる。


 部屋に生息するぬいぐるみたち。彼らのビーズの瞳が、そのいくつもの視線が全て私に注がれているような心持がする。


「やっぱり、恋人になっていきなりこういうことするのは嫌?」


 私の緊張が伝わってしまったのだろうか。山田が私に問いかける。


「ううん。大丈夫。私たち仲の良さはもう上限値突き抜けてるしさ。いきなりなんかじゃないよ」


 腹を決めたはずだぞ、私。山田を絶対に不安にさせるな。


「よかった。あたし、ワクワクしすぎてさ。もう我慢できないかも」


 多い被さってくる山田。私はベッドに押し倒されてしまう。


「ちょ、ちょっと。こういうのってまずシャワー浴びたりしないの?」


「いいよ。こっちのほうが興奮するし。あたし伊川の匂い好きだし」


 お、おぅ。


 そういうもの、なのか。


 私には色恋がわからない。


 わからないから山田に合わせることにした。


「一旦退いてほしいな。制服、脱いじゃうから」


「だーめ」


 起き上がろうとして、肩を押さえつけられる。


「あたしに脱がさせて? 伊川のブラ、脱がせたいってずっと思ってたんだ」


「……いいよ」


 山田、こいつ。けっこうムッツリだな。書いている小説の感じからその傾向は見受けられたが。


 ブレザーを取っ払って。首元のリボンを解き。ワイシャツのボタンを開いて。


 山田の指が私の背に回った。ブラジャーのホックを外す。


 露になる乳房。冷たい空気が触れてぞわぞわとする。


「伊川、すごく綺麗だよ」


 頬がほんのり朱色に染まって、上気している山田の表情。


 悪い気はしない、はずなんだ。褒めてくれてるんだから。


「じゃあ、するね?」


 山田の白く細い指が私の乳房に伸びる。


「最初にキス、してほしい」

 

 私はそっと山田の手に指を絡ませて止めた。


 最初はキスから始めたかった。


 キスは、愛する行為の象徴だと思うから。


「うん」


 山田の小さな薄桃色の唇が、私のそれに触れる。温かく、そして湿った柔らかい感触。


 肌に感じる山田の吐息。長いまつげ。その奥にある鳶色の瞳。


 お互いの唇が離れる。


 今の私には、この行為で心に起こった感情の名前がよくわからない。


 それを今から探っていくのだ。


 山田を必ず幸せにするために。




 二つの身体が重なり合って。 ぬくもりにとろけて。 そしてはじけた。




 ひどく吐き気がする。


 てか吐いた。


 山田の家を出て、自宅について。


 私はトイレに直行した。


 げえげえと吐いて、胃の中の内容物をあらかた放出してしまった。


 ヤバい、結構キツいぞ、コレ。


 山田との行為の最中、私は脳みそがぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような心持だった。


 心地よい山田の温もり。

 私に夢中になっている山田の真剣な眼差し。


 そして、股下のぬるりとした感触。


 快と不快が一緒くたになって。その二つの刃がぐるぐる回って私の脳みそを切り刻んだ。頭骨内部が脳みそ専用のミキサーになってしまったようだった。


 くそ。初回でこれってどうなってやがる。


 しっかりしろ、私。


 私は、山田を幸せにするんだ。山田と幸せになるんだ。


 これから何回も肌を重ね合わせるんだ。きっと。


 この程度でへこたれるな。




 ……早々に私はやらかした。


 一日過ぎて山田と2回目の行為の最中に、私は吐き気を我慢できなかった。


 汚らわしい吐瀉物が私の肌を、そして山田の白い柔肌を穢す。


 桃色のシーツにも私の胃液が浸み込んで異臭を放った。


「ごめ、山田、う、」


 謝りたいのに、吐き気を堪えるのに精いっぱいでうまく言葉が出てこない。


「……伊川に無理をさせてしまっていたんだね。ごめん」


 そう言葉を口にする山田の視線は悲しげに下へ落ちている。


 違う! 私は、山田にそんな顔をさせたいわけじゃないんだ!


 そう伝えたいのに言葉が出ない。


 山田がベッドから立ち上がる。


 私の肌についた吐瀉物を、山田がティッシュでそっと拭ってくれた。


 そうして部屋を出て階下へと降りて行った。



 私は今、山田の家の浴室にいる。


「タオル、ここに置いておくね」


 磨りガラス越しに、山田の声と影。それはすぐに去ってしまった。


 私がベッドを汚してしまったことを、山田は一言も責めなかった。


 浴槽にお湯を張って。用意が出来たら手を引いて私をここまで連れてきた。


「…………」


 シャワーとボディソープで体を流す。


 髪を頭上部でまとめて湯船に浸かった。


 普通の家の、狭くもなく広くもない普通の浴槽。


 山田の家に泊まりに来た時は、いつもこの浴槽に二人で浸かった。


 だから、私ひとりじゃ広すぎる。


 体にまとわりつくお湯は確かに温かなはずなのに、私はなぜか冷えを感じる。


「お風呂は、山田と一緒に入りたかった」


 不意に漏れ出た私の声は浴室内に反響するだけで山田には届かない。

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