第2話への応援コメント
結婚についての考察、読みました。
トルストイもドストエフスキーも途中で投げ出してしまっていて、僕なりの意見が述べられないのが一寸残念です。もう一度勉強し直そうかという気持ちについ誘われます。
岩波で「罪と罰」は読みましたが、あまりに散文的な調子で、くどいほど物を描き尽くすのがドストエフスキーだという印象です。で、ここで妙だと思ったのは、ロシア文学について造詣の深そうなかいまさんの文体が、感性の側に振り切っている点です。あのくどいほどの散文調とかいまさんの詩文とが、上手い具合に折れ合ってある程度長さのある作品になってくると、これは、かなり面白いことになってきそうですね。
ドアベルの響き、蓄音機、氷の解ける、赤色鉛筆のすべる音、時計のチャイム、ガラス玉のつめたいさやぎ、椅子の脚が床にこすれて吃る声……父娘が一言もしゃべらないかわりに、本来行間に息をひそめているべき物たちが囁き合って、冷めた関係性の二人のあいだに置かれている沈黙を充填してゆく。まるで一般文芸のストーリテリングにありがちな、動作と会話が連鎖してゆく文章を、そのまま裏返しにしたような、行間にあってひそかに息づいている物たちの動作と会話の連鎖ですね。父娘の関係性がそこはかとなく伝わってきます。
作者からの返信
朝尾様
日頃より拙文をお読みくださって、ありがとうございます。
露文の文体が、とてもくどく長ったらしいことは、読む上でも読者に相当の苦労を強いるものでありますよね…。
名作というのは相応にして、完読までに読者へ物語上の苦悩すら植えつけんとして、読破の達成感や問題の解消と云った、読後感をより強めてくれる緩急に秀逸なところがあるのかとも思います。
私はというと為体、全くの遅筆ゆえに怠惰な短文と苦し紛れの比喩によって、長文を書けないのを誤魔化してしまっている次第です…。
ただひとつ、私は読者の方々に相応の課題を設けておりまして、私の表現や物語から単に受容するのではなく、それを起点として我々の日々の生活について捉え直して頂きたいと考えております。
その為にも、拙い文章ではありますが、今後ともご批評、ご叱正のほど賜れますよう、精進して参ります。
第3話への応援コメント
コメント失礼します。
「文学の蟲」に参加しております亜咲加奈(あさきかな)と申します。
近況ノートも拝読しました。
そういえば「語る」ことを避けて来たきらいはあるなと自らを振り返りました。
それを聞いてくれる人は限られると思っていたので。
こちらの物語、かいまさやさんの書く世界の、自分が身を置く周囲を自分と一続きとして見ずに新たな未知のものとして描くというのを私もやっております。
違っていたら申し訳ありません。
わかりやすく書かないと読み取れない・落ち着かない人たちを相手にしていると、あきらめざるを得ない時もあります。
カクヨムにおけるジレンマでもあります。
また来ます。
企画ありがとうございました。
作者からの返信
拙文をお読みくださって、また自主企画へもご参加くださって、ありがとうございます。
限られた人数であっても、何かしら感じとって頂くために、自らの言葉で以って「語る」ことは重要であると感じております。
またそこには、自分が大きな位置を占めていると考えております。
「語り」や表現を通して、自身の考えに納得してゆくことも、私の文学の目的でありますゆえ。
なので、自分のために書くことも立派な文学の大義であると思います。
亜咲加奈様も是非一度ら自分のための文学についてお考えになっては如何でしょうか。
改めてコメントをくださって、ありがとうございます。