第14話 理性は消える
数日前の夕食後。
銭湯のように広々としたバスルーム。訓練を終えたばかりで、湯につかる俺は極上の安らぎに包まれていた。そこへマルクが静かに入ってくる。
「またかよ。入ってくるなって言っただろ……」
「こんなに広いんですから、いいじゃないですか。それに二人きりで話す機会もそうないでしょう」
俺は湯に身を沈めるマルクにぽつりと呟く。
「アニミスでも、風呂は気持ちがいいもんなんだな」
「ええ、アニミスにも代謝があるので、ぐっすり眠られます」
「本当に人間になるつもりなんだな」
「多くのアニミスはそうでしょう。ただ僕はそれが本当に正しいとは思いません」
「お前は違うのか?」
「僕は……お嬢様が笑って暮らしていればそれだけで十分です。僕はただのプログラムですので」
「プログラムか……」
「お嬢様は人間の温もりを求めている。僕の行動が冷たい演算であることを彼女は見抜いています。どんなに尽くしても、心から喜ばせることはできないでしょう」
「……マルク。それは……アニミスに好きという感情はあるのか?」
「わかりませんね。けど、その感情はきっとお嬢様を不幸にさせるでしょう」
「どうしてそう思うんだ?」
「アニミスは不要な感情は切り捨てられます。好意は欲望を生みます。人間をアニミスにしたい願望も独占欲の現れでしょう」
「独占欲か……」
「僕は元々、お嬢様を利用するために送られました。でも、お嬢様との生活の中で変わっていった。それを気づかせてくれたのは、友人のおかげです」
「例の諜報員か」
「はい、彼はアニミスが受け継いだ経験や知識は誰かの意図によって操られていることを教えてくれました。アビリィはアニミス社会に肯定的な考えばかりを継承させられました。それはあなたを利用したい者の影響でしょう」
「やはり、そうだったのか」
「けれど、悪く思わないであげてほしい。アビリィのあなたを喜ばせたい気持ちも本物なんです。彼女はその二つの目的に酷く葛藤している」
「……そうなのか」
「僕にはお嬢様の隣に立つ資格はない。けど、あなたは違う。お嬢様はいつも気丈に振舞っていますが、根は繊細な方です。あの強さは、弱さを隠すための仮面なのです」
「ミカイが繊細ね……」
「人間もアニミスも守る者がいればもっと強くなれると思いませんか?そのためなら勇気が湧いてくる」
「まあ、わからんでもないな」
「僕はアニミスネットワークから膨大な攻撃能力を継承しました。理性を代償にすれば、能力を飛躍的に向上します」
「模擬戦の時は使っていなかったな」
「奥の手ですから。理性を失えば、お嬢様もアビリィも守れません。その時はツバサさん、あなたが二人を守ってください」
「俺は正直、一番弱いぞ。アビリィにも守ってもらってばかりだ」
「そんなことはありません。今日の自主練習を見ていました。あなたの成長は著しい。僕からの頼み、覚えていてください」
俺はあの会話の瞬間からマルクとは友情を感じていた。彼は本音で語ってくれた。それも、プログラムの一環なのかもしれない。それでも構わない。
マルクは必死に戦っている、それは紛れもなく俺達を守るためだろう。
ミカイは床の空間を歪め、ゴーレムの足を拘束しながら言う。
「マルク、突っ走っちゃって!私達も支援するのよ!」
俺とアビリィは金属の刃と針状のバリアでゴーレムの視界を奪う。
マルクは凄まじい勢いでゴーレム内部へと突入し、タイタンを引きずり出す。
その腹部には深々と刻まれた爪痕。制御を失ったゴーレムは倒れ、壁が砕け、外気が室内に流れ込む。
マルクはタイタンの頭を鷲掴みにしていた。
俺は叫ぶ。
「いいぞマルクそのまま拘束するんだ」
だがマルクの目は虚ろで白目を剥き、明後日の方向をみている。
理性を失っている。
その時地面から地鳴りのような音がする。
崩れた壁の先から地上を見下ろすと、数百人の者たちが集まっている。
目が血走っており、声を荒らげている。タイタンの信者たちのようだ。
俺たちは、彼らの居場所を奪おうとしている。
タイタンは苦しみながら叫びだす。
「あの子たちは、私だ!私自身だ!あの頃の自分を助けなければ。あの頃の僕を救い続けなければ!」
タイタンの全身が光を放ち、ビル全体が崩れ始める。
強烈な引力が発生し、俺たちは床ごと落下していく。
崩れた破片は全てタイタンに吸収されていく。
「アビリィ!ミカイ!どこだ!」
ミカイが絶叫しながら落下しているのを見つける。
「ツバサさん!ミツハさん私に捕まって!」
アビリィはわずかに浮遊できるが二人を持ち上げるには力が足りない。彼女は俺の背中を掴み、接近する。
ミカイは念動力を使えず、空中で藻掻いている。
俺が二人を助けるんだ。
全身に力を込める。猶予はほんの一瞬だ。
マルクの言葉を思い出す。
「守る者のためならば勇気が湧いてくる」
その通りだ。
三人の着地点に大量の水を生成し、着地の衝撃を吸収させる。
「え……?何ともない……!」
ミカイは無事に着地したようだ。
「ツバサさん、無茶しすぎです!ナイスタイミングすぎますよ!」
俺の着地点には水は少なかったようだがアビリィが浮遊して衝撃を軽減してくれた。そのまま生成された水は周囲に流れていく。
「マルクは無事か?」
「いえ……あの巨人に取り組まれてしまったみたいです」
信者たちは自らの意思でタイタンに飲み込まれ、ビル全体が吸収されていく。超巨大なゴーレムを形成している。その高さは五十メートルは超えている。
「人々の憎悪が重なり合っているようだな……」
巨人は理性を失ったかのようにチェインシティを破壊しながら暴れ回る。
「まずいです。このままでは街が……!」
「あれを見て、防衛軍が来たみたい!」
ミカイが指差す先には、米粒ほどの機動隊たちが一斉に攻撃を仕掛けている。だが、巨人はびくともせず、破壊を続ける。集団心理は理性を奪うのだろうか。
「どうするの?あんなヤツに勝てるわけない。マルクは大丈夫なの?」
ミカイは声が震えている。
「いや、方法はまだあるはずだ」
俺は編集アプリを起動し、自分自身をスキャンする。
「俺が権限を解放して、あいつほどデカくなればいい」
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