第5話 キスシーン
「んふふ〜渥美さん、照れてる?」
「別に。そんなことないし」
「ふぅーん」
嘘である。ばっちり照れている。はたして可愛い女の子から急に手を繋がれて照れない人はいるのだろうか。
少なくとも私は無理。佐倉さんからにしか繋がれたことないから一概には言えないけれど。
それからは普段と特に変わりない時間を過ごした。相変わらず百合を摂取してる50分は一瞬で過ぎ去って授業の50分は無限に続くように感じられたけれど。
けど隣を見れば佐倉さんがいる。見る度にニコーって笑ってくれるからそれだけでいつもの倍は短く感じられた。
「えー今日の授業は自習とします。各自静かに集中すること」
「はーい」
先生はそれだけ伝えると教室を出て行った。クラスメイトは皆集中してるのか、教室がしーんとする。
やった!自習だ!
そんな中私はめちゃくちゃに喜んでいた。だってめちゃくちゃ嬉しいんだもの。
自習、と聞いて喜ばない生徒はいないんじゃないかと思う。当然私も例に漏れず自習時間は大好きだ。
そんな気持ちでいるからかタブレットを操作する手も軽やかで今にも踊り出しそう。
「んっ」
そんな画面の前に栗色の綺麗な髪がサッと被さり私の視界ももれなく栗色で包まれる。
そのままガタッと椅子の音がなる。耳に吐息がかかる。くすぐったい。けどなんだか心地良い。
「渥美さんは〜自習中になーに見てるのかなぁ」
「……か、課題何かあったかなって確認しようとしてただけ…だよ」
「じゃあここに写ってるこのかーわいい女の子は〜?」
「うぐっ」
画面に映っているものが何よりの証明であるのになぜ嘘をついたのだろう。それに"百合友達"なんだしお互い隠す必要もない。堂々と言えばよかった。
隣を見ると自習中であるからか声をできるだけ出さないようにくすくすっと佐倉さんは笑っている。
「私にも見せて。一緒に読も」
「え、うん………!?」
タブレットを机と机の間に持っていこうとしたらガタッと椅子が動いて佐倉さんが身を乗り出してきた。当然距離はものすごく近くなって。だから胸が高鳴って抑えられない。手に汗が滲んできて慌ててスカートを握りしめる。スカートで汗を拭くなんてしたくないけれど。
「これ私も連載追ってるやつだっ!原作が好きだったから楽しみにしてるんだ〜」
私も原作からのファンであるから毎話毎話を楽しみにしている。文章で織りなされる百合も好きだけど、絵がつくとよりその状況を目に見ることができるから小説とは違った良さがある。
「そうなんだ」
「確かさこの後…」
キスするよね、原作だと。と言おうとしたのだろう。でもその言葉は佐倉さんの口から聞くことはなかった。
その後は私も佐倉さんもその口を開くことなく漫画のワンシーンを見る。ちょっとだけ濃厚なキスシーンを。
「……原作が良かったから楽しみにしてたけどやっぱすっごく良いね」
そう言う佐倉さんの声に少し熱っぽさを感じる。
「…うん」
多分私の声も少し熱っぽい。
佐倉さんの呼吸がすぐそばで聞こえる。耳に息がかかる。少し生温くて、くすぐったくて。
「ま、漫画も読んだし自習戻ろっかっ」
「そう…だね」
「わっ渥美さんが素直!」
どうせこの後も漫画読むと思ってた〜、なんて声が聞こえたような気がしたけれど私は自分の心臓を抑えることに必死だった。
けどなかなか落ち着かない。やっぱ誰かと見るにはキスシーンは少し刺激的すぎた。
結局残りの授業も大して集中できなかった。まあ普段もそんなに集中しているわけではけれど。だけど原因は全部あの時の自習のせいだって勝手に言い聞かせている。
「椿ーこの後カフェ寄ろ」
「新作のスイーツがめっちゃ美味しそうなんだよっ!」
私が荷物をまとめていると人気者の佐倉さんは友達からひっきりなしに声がかかる。その誘いに「行くー荷物まとめるから待ってー」と返事をする佐倉さん。
今日は私とは帰らないんだ。
そうは思うけど特に驚きもしない。だってまずまず住んでる世界が違いすぎるから。昨日が珍しい日だった、ってだけだ。
佐倉さんは荷物をまとめ終えると「渥美さんまたあしたっ」とちょっと小声で言って半ば友達に連れて行かれるように教室を出て行った。
なんだか心にポッカリとした隙間ができたような気もしたが気付いてないことにした。
私も帰ろ。
大して重くもない鞄を持つ。けど重く感じてしまったのは気のせい。
今日の私の右手はある意味自由だった。
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