クイーンオブ・ポイズン

深海馨

第1話

ここは某県某所、人里離れた森の奥深くに存在する、東堂院先進医療ラボ。


 広大な敷地に最先端の機器が並び、国内最高峰の頭脳が集うこの場所の表向きの顔は、難病治療とアンチエイジングを専門とする、完全会員制のクリニック。しかし、その純白の施設の地下に広がるのが、神代玲の『ザ・サンクタム』と同様、『虚無の祭壇』に「製品」を供給するための加工拠点――否、ここは『素材』を『作品』あるいは『廃棄物』へと作り変える、**終着点ターミナル**の一つである。


 この施設のトップに君臨する所長は、コードネーム『毒の女王』。謎に包まれた研究者、一ノ瀬霧葉(いちのせ きりは)


 組織に加入する前、彼女は「神の手を持つ」とまで謳われた天才美人外科医として、世の脚光を浴びていた。しかし数年前、突如として失踪。その間の経歴は闇に包まれ、再び姿を現した時には、彼女はメスを置き、創立者である日本医師会の重鎮、東堂院幻庵の庇護の下、このラボの支配者となっていた。見えざる圧力が、マスコミに彼女の過去を語ることを禁じている。


 4月某日、霧葉は、東京にある東堂院の本宅に呼び出された。書斎には、老いてなお、爬虫類のような生命力を瞳に宿す幻庵が、静かに座っていた。


「霧葉。今年もまた、宴の季節が近づいて来た。我ら東堂院からも、評議会を愉しませるための『芸術品』を献上せねばならん。お前にしか描けぬ絵だ。引き受けてくれるかね?」


「御意のままに、東堂院様」


 霧葉は、深く頭を下げた。その所作は、弟子であり、愛人であり、そして、完璧に調教された猛獣のそれであった。


「よろしい。お前の『筆致』は、年々、冴え渡っていく。毎年、宴の席で、お前の作品は最高の評価を得る。ワシも鼻が高い」


「もったいなきお言葉」


 霧葉は謙遜の言葉を口にしながらも、その美しい顔には、隠しきれない愉悦の表情が浮かんでいた。


「今年も、見る者の魂を凍らせるような、名画を期待しておるぞ」


 そう言うと、幻庵は二枚の電子カルテを、彼女へと手渡した。


 そこに記されていたのは、二人の女の情報。


 一人は、櫻井詩織(23)。大物代議士の娘。その血統の良さと、気の強そうな瞳が、写真からでも見て取れる。


 もう一人は、水野亜美(19)。今をときめく国民的アイドルグループの、絶対的センター。純粋無垢な笑顔が、多くの大衆を虜にしている。


 この二人が、約一ヶ月後、禍神島での『神嘗の宴』に並べられる、東堂院からの「作品」となる。


(……ああ)


 まだ見ぬ獲物(検体)のデータを眺めながら、霧葉の内で、冷たい興奮が、ゆっくりと沸騰していく。


 この時間こそが、彼女にとって、何物にも代えがたいエクスタシーだった。


 どのようなオペを施そうか。


 あの代議士の娘の、気高い瞳が、私が調合した感知不能の神経毒によって、ゆっくりと絶望に濁っていく様は、どれほど美しいだろう。


 あのアイドルの、完璧な歌声を奏でる喉が、声帯を麻痺させる毒によって、か細い喘ぎしか漏らせなくなった時、大衆は、何を思うだろう。


 その想像が、彼女の全身を駆け巡り、肌が粟立ち、指先が微かに震える。霧葉失踪の理由を知る唯一の証で霧葉自身の下腹部に刻まれ今も消えることのない淫紋が疼き、さらにその奥、子宮がきゅう、と疼き、彼女の肉体は、これから始まる創造(=破壊)行為への期待感で、恍惚と打ち震える。


「承知いたしました」


 霧葉は、込み上げる性的興奮を、完璧な無表情の下に隠し、ただ、それだけを告げて、東堂院邸を後にした。


 彼女の頭の中では、すでに、二人の女を、最も美しく、最も残酷に「殺す」ための、完璧なオペのシミュレーションが、始まっていた。

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