第5話 中性子星蟲を釣る

 凡そ五十kmの彼方にある直径2cmの球、中性子星蟲ニュートラーバを見分けて釣り針に引っかける。

人類の光学技術の粋を尽くした超望遠照準器ハイパースコープを、こちらも人類の遺伝子操作技術の粋を尽くした超遠距離視覚人間ミーミルが駆使して初めて可能性が生まれるものの、これまで実現したことのない釣りに挑むカゼハの心は不思議と穏やかだった。

 パートナーのヤジリが、釣りを開始してから10分経過した頃に、サイカにて少し形の悪い棒状の中性子星蟲ニュートラーバを補足して、カゼハがネゴロでほぼ同じ重量の蟲を見つけるのを待っている。だがカゼハはプレッシャーを感じていない。

 釣りを開始してから13分が経過した時、カゼハの感覚がゾーンに入った。中性子星内部のランダムな分子の動きが揺らいで生き物のような像を結ぶ。人の顔のような模様を背中に浮かび上がらせた小さなカブト虫が浮き上がる。そしてその顔は子供の頃からいつも一緒だったあの存在。

「ゴロー、あなた、ここにいたのね」

“姉さん、親戚のヴィクター将軍に初めて会えたよ。姉さんと同じ髪と眼の色をしていて驚いたよ!〟

弟に最後に会った時の、憧れの人を語る言葉がその面影にオーバーラップする。

 それは疲労の限界にあるカゼハの心が生じた幻覚かも知れない。彼女は今、オケハザマ・ナガシノ戦役で亡くなった弟の面影を釣り糸の彼方の蟲の背中に見出している。そして極限状態の中で、スローモーションでなければ判らない程の微かな笑みを浮かべ、

「ヒット」とヤジリに伝える。そして二人でタイミングを合わせてトリガーを引いた。

 蟲を捉えた二本の釣り糸は、蟲の抵抗で猛烈なスピードで双子の星の各々の中央に向かい沈み込んでいく。

凡そ2分後に、両側に伸びた釣り糸はすべてリールから引き出され、両端の双子の中性子星と捕蟲艇の中央を貫く一本の弦となり、様々な倍音で振動して不思議なメロディを奏でる。中性子星深部のストレンジ領域まで達して止まった蟲は、弦が振動している間、眠っているかのように動きを止めた。そしてストレンジレットで薄くコーティングされる。ヒッグス粒子と重力波を通さないコーティングが施されたことで、重さを失った蟲塊は、沈んだ時を上回る速度で浮かび上がろうとする。

カゼハは、蟲塊が有り余る浮力で明後日の方角に飛び去らないように釣り糸を最高速で巻き上げる。

 永遠とも思えた浮き上がる蟲と巻き上げる少女の闘いは実際には5分程度、紙一重の差でカゼハに軍配が上がった。今、ストレンジレットでコーティングされた、オレンジ色のビー玉ほどの大きさのカブト虫に似た物体がカゼハの掌に載っている。

 ヤジリが私の方が先と言わんばかりの表情で、掌に載せた芋虫によく似た蒼い色の中性子星蟲塊をカゼハのそれに並べて見せる。

「二人とも釣ることができて、本当に嬉しいよ」

「私の蟲は、毒を持つムカデらしいからドクマと呼ぶよ」

笑顔でそう語るカゼハに、いつもは冷徹な反応を返すヤジリが珍しく微笑みながら、蟲の名前を告げる。


「二十秒後に赤色巨星ヒダルの重力圏を利用したスィングバイでこの宙域から脱出します。対衝撃防御姿勢を取ってください」ACウラヌスのガイド音声が双子の中性子星宙域からの離脱を告げている。

「同じ大きさの双子の中性子星の衝突、接近する星の間に起こる互いの重力が打ち消し合った狭間、衝突直前の自転と公転が同期する潮汐ロック、星同志に綱引きさせた釣り上げ、脱出に必要な巨星のスィングバイ。どれか一つでも欠けたら成り立たない、二度と起こらないような奇跡が揃った時と場所だった。しかもたった一回だけのトライで成功するなんて……ゴロー、あなたが守ってくれたのかな? この子の名前……小さな角を持つカブトムシだから……オズノ、そうオズノと呼ぼう」

カゼハはそう呟きながら掌の小さな蟲塊を撫でた。


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