その名はレッドシャドー

柊 悠里

第1話 和平の間にて


 照明の落ちた暗い部屋の一方の端で、大きな体躯の男が椅子に腰かけて、両肘を膝に乗せ両手指をからませて、思案しながらその時を待っている。男が身にまとう服は、色褪せて本来の色を想像できる状態ではない。ところどころ破れや綻びを直した跡があった。あまり手入れをしていない総髪、伸び放題の口髭と顎鬚、右頬を斜めに横切る生々しい傷跡、それらは男が過酷な戦場を生業としている軍人であることを物語っている。

 時が満ちたようだ。暗かった部屋に照明が点き、全容が見渡せる状態となった。差し渡し二十メートルほどの、ドーム状の天井を持つ白い円形の部屋であることがわかる。男が座る場所の反対側に同じように椅子に腰かけた、同じくらいの背丈の男の姿が現れる。先ほどまで気配さえ感じられなかった男の出現と、どこかピントの合っていないその姿が、もう一人の男が虚像であることを教えてくれる。


「ヴィクター、久しいなあ。フォルセティの士官学校以来か? うぬは変わらんな」

 総髪、髭面の男が良く響く大きな声で、もう一人の男に呼びかけながら、立ち上がり、部屋の中央に向かってゆっくりと歩み寄る。

「レオニダス、久しぶりだな。随分くたびれた風体だが、ペルセウス座渦状腕は激戦だったらしいな」ヴィクターと呼ばれた男も歩みよる。

 背丈は、最初の男とかわらぬものの、染み一つない純白の軍服を纏った細身の体は貴公子然とした印象を与える。

「そうよ、まともに眠れる夜の方が少なかったさ。うぬは戦場など縁のないような綺麗な身なりをしおって、射手座渦状腕では楽していたみたいだな? ああ?」

 レオニダスと呼ばれた汚れた身なりの総髪の武人は、若干の羨望の混じった口ぶりで相手を挑発するような言葉を投げかける。

「将校が最前線で戦うわけでもなかろうに、何故ぬしはそこまで身だしなみが整わぬものかな? いまや俺と同じ巨大軍区の元帥級ではないか」

 ヴィクターも大分打ち解けた風情の言葉を返す。彼の皮膚と髪は透き通るように白く、虹彩は白兎のように紅い、生まれついてのアルビノの様だ。


 部屋の中央で抱擁する二人が感じる互いの身体は、風圧とサイバネティクスによって操作されたフェイクボディにテクスチャーを貼り付けたものの感触だ。それでもこの目的であれば、抱擁する互いの腕が空を切るよりはずっといい。

『和平の間』と称されるこの白いドーム状の仮想空間で、歴史上どれだけの交渉が行われてきたことか? 時に合意に至り、時に決裂し、数多の命の帰趨を司ってきた。

レオニダスとヴィクターの和平会談は、互いに本音をぶつけあう胸突き八丁の場面に差し掛かっていく。


「ぶっちゃけて言おう。ヴィクター、俺はうぬとタケダを滅ぼしたくない。俺の軍門に下れ。ナンバー2の座を約束する」

「レオニダス……それは俺のセリフだ。俺もぬしとは戦いたくない。ナガシノ宙域に結集したタケダ覇権艦隊は、ぬしのゲリラのごとき艦隊の十倍を超える規模だ。どこからその自信が生まれる?」

「それは……ここでは言えない……だが間違いなく俺達が勝つ……だから」

 レオニダスが口ごもる。その目がヴィクターの翻意を促そうと懇願しているのが判る。

 しばしの沈黙の後に、ヴィクターが交渉の最後の言葉を発した。

「勝算はあるらしいな。よかろう、明朝に決着をつけようではないか」

 そう言い放つと、貴族のようなオーラを纏った武将は、長い銀髪をたなびかせ、身を翻して交渉の場から去っていった。

“ハンニバルが俺達の軍師だ。彼は失われた戦術サーガを復活させた。お前達に勝ち目はないのに〟

 ヴィクターが去った『和平の間』で、レオニダスは言えなかった最後の言葉を心の中で繰り返していた。


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