本気を出すまで
人様の耳で羽を休めるハエを手で払う。
そろそろ夢が終わる時間だな。
山肌に穿たれた洞穴を前にして、そんなことを考える。
「先生、あそこにドラゴンがいるっすか…?」
隣で身を屈めるモーガンの声は硬い。
ヘルムで表情は見えないが、ずいぶんと緊張しているらしい。
「ああ」
この調査依頼には初めから目的地が設定されている。
ドラゴンは穴倉を好むくせに自分で穴は掘らない。
だから、バーゲストが棄てた巣や廃城に棲みつく。
目の前で大口を開けている灰色の洞穴は、この辺で暴れていたバーゲストの巣だ。
「いるとすればな」
俺と同期の英雄の卵様が主を討伐してから空っぽの巣。
ドラゴンが棲みつくとすれば、ここの可能性が高い。
まぁ、高いだけなんだが。
「よし、行くぞ」
「はい!」
「声は抑えろ」
「はい…!」
お互いに得物を抜き、茂みから山肌まで一息に駆ける。
最低限の緊張感は保ってるが、散歩みたいなものだ。
だから、クロスボウにボルトは装填してない。
弦に引っかかった葉を払い、枯れ枝の散らばる入口近くを覗き込む。
「まぁ……外れだな」
残された足跡は古い上、どう見てもバーゲストのものだ。
予想通りの結果に溜息が漏れた。
ドラゴンなんているはずがない。
俺たちは成功者の踏み台を拝みに来た、それだけだ。
「モーガン、残念だが……」
「先生、あれ!」
不意に、モーガンが入口の隅を指差した。
足跡以外に確認するものなんてない――
「なんだあれ」
はずだった。
散らばった刈れ枝の間に、ちかりと光る人工物。
あるはずがない黄金の輝きは、不吉の象徴だ。
気づけば、ボウガンにボルトを番えていた。
「踏み込むぞ…!」
「はいっ」
コソ泥よろしく息を殺して巣に踏み込む。
ぱきりと間抜けな音を立てる枯れ枝。
奥から流れてくる家畜小屋みたいな臭いに口元が引き攣りそうになる。
足元の枯れ枝を払い除け、黄金の細工物を拾う。
「…カティ金貨だと?」
この辺では流通していない帝国の金貨だった。
つまり、こんな辺鄙な洞穴まで運んで来たヤツがいる。
バーゲストは黄金に見向きもしない。
となれば、候補は絞られる。
「まさか、本当にいるってのか」
枯れ枝と思っていた骨には、消化できなかった毛が絡んでいた。
なるほど、獣道の利用者が少ないわけだ。
「先生、ここでドラゴンを待ち伏せるっすか?」
まるで状況が分かってないモーガンの言葉に耳を疑う。
こいつ、馬鹿か?
「依頼は調査だぞ。忘れたのか?」
「え、でも」
ここから一刻も早く引き上げる。
鉢合わせなんてごめんだ。
ドラゴンは空を飛ぶ上に、炎まで吐きやがる。
怪物の中で一等厄介だから討伐者はネームドになれるんだ。
「巣にいない今がチャンスっすよ!」
たった2人で挑む相手じゃないんだよ!
怒鳴り散らしてやりたいところだが、争ってる時間も惜しい。
足元の骨を拾い、絡まった毛を引き剥がす。
「新種のドラゴンかもしれん。今は情報収集に徹するんだ」
消化できなかった汚い黒毛を、さも新発見のように見せびらかす。
とにかく理由をでっち上げる自分が、ひどく無様だった。
「ガーランド先生……」
「チャンスは必ず来る。心配するな」
声色に迷いが生じたモーガンへ笑ってみせる。
歯を食いしばって、自己保身のための嘘を突き通す。
チャンスをドブに捨ててるのは、結局――視界の端で影が走った。
風を切る重々しい羽音、背中を伝う冷や汗。
ゆっくりと振り返れば、フライのように翼を広げる影が見えた。
そして、太陽が2つに増える。
「くそが!」
「先生っ!?」
警告より行動。
俺はモーガンの細い腰を抱えて洞穴の奥へ跳ぶ。
ほぼ同時に、背中で太陽が爆発した。
真っ赤に染まる洞穴、吹き飛ばされた骨――世界が回る。
熱と鈍痛。
口の中に広がる土と鉄の味。
柔い塊に脚を突っ込んで、ようやく視界が天井で止まった。
「いてぇな……」
骨と洞穴の凹凸に叩かれて全身が痛い。
だが、手足は動かせるし、目も耳も鼻も潰れてない。
この家畜小屋みたいな臭いは――
「くそったれが…!」
足元で潰れた特大の糞から臭っていた。
アイツの糞に塗れて気分は人生最悪。
くそったれ、くそったれ!
「ひ、酷い臭いっす……」
悪態を吐き出そうとした口を噤む。
隣に転がるモーガンの声が、あまりに情けなくて肩の力が抜けた。
俺は何やってるんだろうな?
ニュービーの世話なんか見て、ドラゴンに殺されかけてる。
「生きてる証拠だ」
焦げ跡のついた天井を見上げたまま、投げやりに言葉を吐く。
糞をひり出したトカゲ擬きの羽音が洞穴を反響する。
ああ、まったく最悪だ。
「ドラゴン!」
「待て」
立ち上がったモーガンの腕を反射的に掴む。
剣士とは思えないほど細い。
だが、俺より遥かに力強く感じた。
――挑戦者の足を引っ張っているんじゃないか?
違う。
俺は現実を知っている。
だから、馬鹿を止めてやっているんだ。
「闇雲に突っ込んでも焼かれるだけだ」
「でも、このままだと!」
そんなこと言われるまでもない。
だが、2人で立ち向かって勝てる相手じゃないんだよ。
ここから逃げ出す算段を――理由を考える。
負けたわけじゃない。
頭数と装備を揃えて、万全を期して挑めば、ドラゴンだって殺せるんだ。
そうとも、本気を出せば――
「俺が囮をやる」
今出さなかったら、いつ出すんだよ。
口に入った土を吐き捨て、凸凹のヘルムに映った俺と向き合う。
冴えない野郎の酷い面だ。
「先生…!」
何を感動してやがる。
まだ始まってすらいないぞ。
痛む体を起こし、腰に下げていた水筒を掴む。
「モーガンは左から回れ」
そのまま中身を自分の頭にぶちまける。
ギャンベゾンに染み込む水の感触が不快で仕方ないが、焼き殺されるよりマシだ。
「隙を見て、アイツの喉にドラゴンスレイヤーをぶち込め」
それからボルトの先端を糞の塊に突っ込んでやる。
エルフの狩人曰く下手な毒物よりも効果がある、らしい。
洞穴を反響する足音が悠然と近づいてくる。
舐めてやがるな、アイツ。
「逆鱗は狙わなくていい」
特製ボルトをクロスボウに番え、動作を確認。
大人しく話を聞いていたモーガンに視線を戻し、ロングソードを指差す。
「とにかく喉を潰せ」
「分かったっす!」
力強く頷くニュービーの頼もしさに思わず笑っちまう。
無謀も行き過ぎれば大したものだ。
ドラゴンの影が洞穴の壁面に伸び、俺たちは腰を浮かせる。
「行くぞ!」
硬い岩肌を蹴る。
出たとこ勝負、勝算なんて分かるものかよ。
目の前にいる糞野郎に、俺の本気を叩きつけてやるだけだ。
ドラゴンの真正面に立つ――黄金の眼が俺を睨む。
天井まで届く巨体、黒光りする鱗、鋭い牙と爪、丸太のような尻尾。
圧倒的な種族差が目に飛び込んでくる。
小刻みに揺れるクロスボウの照準。
だが、今更怖気づいたところで退路はない。
「喰らえ!」
眼を狙って引金を絞る。
鋭い風切り音、そして――甲高い音が鳴り響く。
特製ボルトは狙いを外れて、ドラゴンの額を叩いていた。
「ちっ!」
上手く行かないのが俺らしいな、まったく!
だが、それでいい。
「こっちだ、糞野郎!」
大きく開かれた顎に紅蓮が渦巻いた瞬間、思い切り横合いへ跳ぶ。
じゅっと半身の水分が沸騰する音。
熱さというより痛み。
口を閉じても熱気で喉が焼けそうだ。
無様に地面を転がり――それでも死んでない。
悪運はある。
ああ、くそったれ!
「はぁぁぁ!」
奇襲する気のないモーガンの馬鹿正直な喊声。
そして、ドラゴンの喉元に鉄色の刀身が突き刺さる。
空気が爆ぜた。
『!?』
傷口から眩い火花が噴き出し、俺たちの顔を煌々と照らす。
「いいぞ、モーガン!」
出血はない。
だが、致命の一撃だ。
逆鱗よりも致命的な火炎袋に入った!
未来のドラゴンスレイヤーは良い仕事をした。
「うぁ――」
痛みに悶えるドラゴンの前脚がモーガンを打つ。
ただのラッキーヒット。
だが、女みたいに軽いモーガンは簡単に吹き飛ぶ。
「モーガン! くそっ」
生死を確かめてる暇はなかった。
盾代わりにしたクロスボウは焦げて使い物にならない。
熱せられて鞘から抜けないショートソードを握る。
「うぉぉぉ!」
雄叫びを上げて、がむしゃらに突進する。
頭が下がった瞬間を見逃さない。
糞野郎の横顔にショートソードを全力で叩き込む!
「くたばれ!」
火花が散る。
手応えあった。
柔い眼球を潰す感触に、頬を切り裂く鱗の破片。
『!!』
悲鳴を上げ、壁に巨体をぶつけながら後退るドラゴン。
だが、こっちもショートソードを握る右手の感覚がない。
なんて硬さだよ、化け物が!
黄金の右眼が俺を睨む――追撃はない。
最後は意地の張り合いだ。
左手にショートソードを握り直し、切先を糞野郎に突きつける。
「来いよ」
不細工な唸り声に、空気の抜けるような音が混ざった。
火炎袋の傷が深いらしい。
一歩、また一歩と後退るドラゴンは、ついに巨体を翻す。
「――はぁ」
足音が羽音に変わった時、俺は蓄えていた呼気を吐き出した。
「生きてるか、モーガン」
ショートソードを地面に突き立て、壁際に転がる未来のドラゴンスレイヤーを見遣る。
「な、なんとか生きてるっす……」
モーガンは鎖帷子が裂け、ヘルムの留め具が外れかけている。
糞と煤に塗れて、お互い酷い格好だ。
「逃げられたっす」
しみじみと呟いたモーガンの言葉が洞穴の天井で跳ね返った。
もう笑うしかない。
大したヤツだよ、お前は。
「なに、次があるさ」
生きてる限りな。
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