ヒーロー坂田と臨界点山本

イロイロアッテナ

ヒーロー坂田と臨界点山本

「ただいま。」

夜の9時半を少し過ぎた頃、玄関のドアが開き、重いリュックを背負った康太が帰ってきた。

「おかえり。今日は早かったやん。」

「うん、今日は最後の授業をこっちの校舎で受けてん。」

そう言うと、康太は大きなリュックをソファの上に投げ出した。あまりの重さにリュックがソファの上で、2度、3度跳ねる。

「あぁしんど。」 

康太は、ソファの空いたスペースにダイブした。

「お父さんが子供だった頃、昭和キッズは、どんな感じやったん?」

ひっくり返った状態で宙を見ながら康太は尋ねた。

「どうしたん?急に。」

「雑談。昔の子供も苦労してたんやろかって思っただけ。」

康太の父は、席を立つと台所から、アイスコーヒーを2つグラスに入れて持ってきた。

「昭和キッズか。お父さんな、康太と同じくらいのとき、クラスに竹内君いう子がいてな。」

「なんや急やな。うん、ほんで?」

「ほんで、まぁ、簡単に言うと、竹内君は、運動もできへん、勉強もできへん。鼻っ柱も腕っぷしもない、まぁ、のび太や。ドラえもんとあやとりと射撃抜きの。」

「竹内、詰んでね?」

康太の父は、少し、困ったように笑った。

「せやな、厳しいな。何やらしてもアカンから、ドッヂボールとかチーム戦するときは、竹内君がいる方が、ほぼ確実に負けんねん。」

「竹内、キーマンやな。」

「だから、ついたあだ名は「たけうんち」」

「今初めて小学校であだ名禁止の理由が、体感で分かったわ。」

康太の父は、ますます困った顔をして、コーヒーを一口飲んだ。

「そいでな、竹内君、6年のときにクラスでおしっこ漏らしたことがあるねん。」

「え?6年で?」

康太はスプーンを止め、目を丸くして聞いた。

「せや。朝から体調良くなかったみたいやけど、先生にトイレ行きたいって言われへんくてな。」

「マジかぁ。竹内詰んだわ。」

「もし康太のクラスで、そんなことあったら、どや?」

いきなり問われて、康太は、びっくりして動きを止めた。

「えぇ、うちでそんなん起こったら、大パニックやろ。男子は囃し立てるやろし、女子は泣き出す子も出るん違うかな。」

「せやな。実際、お父さんときのクラスも同じような状況になった。」

「ほんで?」

「ほんでな、クラスに坂田君いう子がいてん。その子、正義感の強い子やってんけど、いつもちょっと、やり方を間違えんねん。」

「ほう。坂田迷惑やな。」

「で、坂田君は、この事態を収拾しようと思ってん。もし、康太やったら、どうやる?」

康太は「えぇ!?」と言いながら、苦いものでも食べたように口を曲げて、難しい顔をした。

「まず、モップとバケツやな。あと保健室で替えの下着をもらえるか聞いて。みんなで手分けせなあかんな。」

「せやな、正しいで。お父さんときも、みんな、特に女子は「大丈夫やで」とか「気にしないで」とか声をかけてくれてん。」

「ええやん、ええクラスやな。」

「せやけどな、坂田君は違ってん。坂田君は、いきなり自分の机の上に立ち上がって、でかい声で、みんなに「俺を見ろ!!」って言ってん。」

「ほう。」

「そいで、坂田君は、そのままおしっこ漏らしてん。」

「え!?何でなん?」

康太はテーブルに手を置いて椅子から立ち上がって叫んだ。

「そや。お父さんたちも同じ反応や。竹内君をリカバリーして事態を収拾しようとしているのに、なぜ汚染地域を増やすねん。教室は大混乱や。」

「何やってんだ、おまえ。やな。」

康太は椅子を引き寄せて、とりあえず座る。

「そのとき、ケツバットの菊田が、みんなを落ち着かせて、坂田君の行動を説明してくれてん。」

「また、えらいの来たで。ケツバットの菊田って誰やねん。」

また康太が立ち上がる。

「まぁ、座ってや。お父さんたちの6年ときの担任の先生や。悪さするとテープで補強した鉄の定規でケツ叩きよんねん。せやから、あだ名がケツバットの菊田や。」

「それは暴行違うん?」

「そこはええねん。」

「ええんか?すごいな昭和。」

康太は父の顔を見ながら、片手で椅子を引き寄せ、お尻で椅子を探すようにして座った。

「それでケツバットの菊田がクラスの混乱を一旦収めて、みんなに坂田君の行動を説明してくれてん。」

「なんでなん、坂田。」

「ケツバットの菊田は、みんなに「失態を犯した竹内のことをみんなが気遣ってくれたこと本当にいいことやと思う。」って言ってん。」

康太は無言で頷く。

「「でも、明日から、また竹内が学校に来たとき、みんなどう思う?この話はきっと学校中に広まるやろ。そしたら口に出さんでも竹内は恥ずかしい思いをすることになるやろ。だから坂田はおしっこを漏らしてん。竹内の話が広まるとき、そういや坂田も漏らしたでっていう話が一緒になったら竹内は一人じゃないねん。坂田は竹内を一人にしないため、おしっこを漏らしてん。」って説明してくれてん。」

「やるやんケツバットの菊田。ただの暴行犯ちゃうな。」

「せやろ、えらい先生や。でもな、事態はこれで終わらんかってん。」

「どういうこと?」

康太の父は康太の様子を伺うと当時を思い出すように言った。

「お父さんらも、ケツバットの菊田の話と坂田君の英雄的な行動にすごい感動してん。そしたら、クラスで1番お調子者だった山本君が立ち上がってん。そんで、目に涙をためて「マジでめちゃくちゃ感動した。竹内、俺だって!!」って叫んで、ぷるぷる震え始めてん。」

「山本!?」

「そしたら、その様子を見たクラスの男子達が次々立ち上り「俺も俺も」って叫び始めてん。」

「マジか!?」

「もうクラス中が、「え?お前、立たねぇの?」「最早、漏らさない方がダセェぜ!」みたいな空気になって、女子も活発な子は「後片付けは任せて」なんて言い出してん。骨は拾たるがな的な感じで。」

「ほんで、みんな漏らしたん?」

康太は身を乗り出す。

「いや、その前にケツバットの菊田が、大慌てで「違うそうじゃない」って叫んでん。「心意気は買うけど、クラスの半分が漏らすて地獄絵図やんけ。坂田の心を汲めいう話で、お前らが漏らす話、違うねん」って。」

「ケツバット菊田、つくづく正しいな。」

「そしたらな、最初に言い出した山本君が、「あかん、俺、さっきトイレ行ったから、おしっこでえへん」って言ってん。」

「いいやん、いい流れや。地獄回避やな。」

「けど「何か違うの出そう」って言い出してん。」

「山本!?」

「それは全員で「お前それは、さすがに話が違うだろ」とか「お前がそれをしたら俺たちは全員、新しいステージへ行ってまうで」って突っ込んでん。」

「山本、危険すぎるやろ。」

「食後に汚い話でごめんな。でもな、みんなで山本君に突っ込んだ後、もう誰も竹内君のことを問題にしてなかってん。」

「うん。」

「竹内君、坂田君、山本君、クラスの全員、みんなが、ちょっと間違ってるし、厳密に言うと問題も解決してへんねん。それなのに、次の日から竹内君が学校に来づらい状況は解消してん。」

「うん。」

「これは再現性もないし、教材としてテキスト化できることでもないねん。ケツバットの菊田も、予想してへんかったと思う。でも、この事には、すごく大切なことがたくさん入っていると思ってんねん。」

「うん。」

「勉強の中にもあると思う。だけど、他者をいたわる心や優しさを学ぶことは、勉強以外にも、あり得るって、覚えておいて欲しいねん。」

「うん。分かった。話ありがとう、お父さん。」

康太は、グラスを流しに置き、少しだけ水を入れて、父親を振り返った。

「とりあえず、おしっこを出せってことやんね。トイレ行ってくるわ。」

「いや、全然違うて。話、分かってる?」

慌てて席を立つ父に、康太はクスクス笑い

「きっとケツバットの菊田も、そんな気持ちやったんやろね。冗談や、お風呂入ってくるわ。」

康太は、鼻歌を歌いながら、バスタオルを振り回し、脱衣所に向かった。

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