宛先のない手紙
音翔
ドアを開ける。
窓の外から暖かな風が吹き込み、カーテンが大きく膨らむ。
インクの香りが顔に届いた。
結止めから零れ落ちた、ブロンドの髪が微かに揺れ、空のように青いドレスを身にまとう女性が「ほう」と息を吐く。
アメトリンのような、美しい紫の双眸が、窓辺に置かれた鉢植えで咲く、黄に染まった小さい花を捉えると、直ぐに逸らされた。
アウラは、妹の部屋で咲いている、名前も分からないような花に、興味を持てなかった。
***
アウラの八つも下に生まれた妹は、この町の誰よりも聡明な女性だった。それと同時に、病弱な身体を抱えていた。
昨年の晩冬、凍てつく空気に肺を痛め、最後には血を吐いて、十八の齢でこの世を去ってしまった。
自分よりも遥かに頭が回り、常に全てを見透かしたような目をしていた妹。
アウラが妹の部屋を訪れたのは、木々が枯れた季節に母と、彼女を看取ったときが最後だった。
それから月日が経ち、草木が再び葉をつけ、青空の下に緑が広がる季節となった今日。
数年前から交流のあった町一番の良家に嫁ぐことが決まったアウラは、再び、妹の部屋へ足を踏み入れていた。
部屋の中心にまで進むと、アウラは周りを見回した。
左手側には、アウラの頭二つ分ほど高さがある本棚に、厚い本が何冊も収まっている。
右手側には、真っ白なシーツがかけられたベッドが置かれていた。
正面には大きな窓が、その下に妹が日々、勉学や日誌の記入に使っていた机が置いてある。
細かく草木の彫刻が施された良質な木製の机は、誰からの贈り物だったか。それと合わせて作られたサイドチェストには、鉢植えが載っていた。
生前、妹が大切にしていた、この小さな花を今は母が水をやり育てている。
この植物を母はまるで、妹の代わりとでもいうように慈しむので、正直見ていられなかった。
アウラはこみ上げてきた不快な気持ちを、強く目を閉じ振り払う。
今日、この部屋にわざわざ足を運んだのは、記憶を反芻するためではない。
妹が何か、お金になりそうなものを隠していないか探すためだ。
アウラは、妹が時々家を空けては、都会へ足を運んでいたのを知っている。
頭の切れる彼女の事だから、都会で資産を積み上げ所持していたに違いないと、そう、アウラは信じて疑わなかった。
険しい顔つきで、タンスの引き出しを次々に開ける。
目に入ってくるものはどれも、売りものになどならない、よれた服と使いかけの画材ばかりだ。
よその家に嫁げば最後、自由が限られるとわかっていたアウラは、大きな不安から冷静さを欠いていた。
盛大なため息をつき、次は鉢植えの置かれたサイドチェストの引き出しを開ける。
「はっ」と短く息をのんだ。
アウラは、文書のような紙の束を見つけたのだ。
キメの細かさから良質な紙だとわかり、アウラは心の奥底で期待する。
しかし、荒い手つきで束を掴み上げると、それが単なる白紙だと気づき、乱暴に机の上に投げ置いた。
その時、一封の封筒が、アウラの目に留まった。
先ほどの束の間にでも、挟まっていたのだろう。
物珍しい紫の封蝋がおされているそれは、宛先の書かれていない、枯葉のような封筒だった。
***
「なんて、みすぼらしい封筒だこと」
アウラは鼻で笑い、こげ茶の封筒を、再び手に取った。
昨日は、封筒に手を伸ばした瞬間、誰かの足音が聞こえ、机上に散らばった紙を慌てて引き出しに戻した後、部屋を離れたが、あの封筒のことが、アウラは気になって仕方がなかった。
わざわざ、珍しい紫の封蝋で封がされ、切手まで貼られていたのに何故、引き出しにしまい込んでいたのか。
何か意味があるに違いないと、アウラは、そう思わずにはいられなかった。
それに、封筒に何も書かれていなくとも、手紙には相手の名前を書くのが常識というもの。
中身さえ見れば、答えはおのずとわかる。
そして今日は、家に自分以外が誰も居ない事を確認して、妹の部屋に入った。
暖かい風が、変わらずアウラの頬を撫でる。
ふと、目に入った窓辺の花が、まるで妹のように思えて落ち着かない。
次の瞬間、アウラは妹の気配を振り払うように、「ザッ」っと音をたて、刃物で封筒を切り開いた。
これから、あの完璧だった妹の弱みを握れるかもしれない。抜け目のない妹の財産の在りかを知れるかもしれない。
——手紙を出す意思があったのに実際に送らなかったのは、隠したい、重要な何かがあったからよ。
アウラは興奮を隠しきれず、息を荒くする。
震える手つきで封筒から手紙を抜き取り、薄ら笑いを浮かべた。
しかし、開かれた手紙は、次の瞬間、床へ投げ捨てられた。
アウラは歪んだ顔で、声ともいえないような罵声を手紙にたたきつける。
紫の瞳に飛び込んできた、たった一行は、彼女の期待を裏切るものだった。
『幸せになって。姉さん。』
宛先のない手紙 音翔 @oto_yomuyomu
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