第23話:王都の貌

 王都ルミナス。

 それは、アレンだった頃の俺が、命を賭して守ろうとした場所だ。

 白亜の城壁に囲まれ、陽光の下で輝く美しい街並み。行き交う人々の、活気に満ちた声。

 記憶の中の王都は、そんな場所だった。


 だが、今、俺の眼下に広がる王都は、どこか違って見えた。


 バルドたちと別れ、俺は斥候の記憶を頼りに、夜陰に乗じて王都への潜入に成功していた。

 身を隠しているのは、下層民が暮らすスラム街の一角、打ち捨てられた古い教会の鐘楼だ。

 ここからなら、街の大部分を見渡すことができる。


 街は、一見すると、平和そのものだった。

 昼間になれば市場には人々が集い、子供たちの笑い声も聞こえる。

 だが、その平和は薄い氷のように、脆く、そして不自然だった。

 街の辻々には、見慣れない紋章をつけた衛兵が二人一組で立っている。

 黒地に、オルティス家の紋章である「絡み合う茨」が、銀糸で刺繍されている。

 宰相の、私兵だ。


 彼らは、街を守っているのではない。監視しているのだ。

 人々の会話に耳をそばだて、少しでも体制を批判するような素振りを見せた者を、容赦なく連行していく。


 そして、街には、奇妙な噂が流されていた。

 俺が、村の酒場で聞いたような、「英雄アレン」を讃える歌だけではない。

 もっと、悪意に満ちた噂だ。


「聞いたかい? 嘆きの谷で蘇ったアンデッドは、人の魂を喰らって、その姿を真似るらしいぜ」

「本当かい? なんて恐ろしい……」

「ああ。だから、少しでも様子のおかしい奴がいたら、すぐに衛兵様に知らせないとな。そいつは、もう人間じゃないかもしれねえからな」


 恐怖を煽り、民衆に、互いを監視させる。

 密告を、推奨する。

 オルティスのやり方は、巧妙で、そして、陰湿だった。

 彼は、王国を、巨大な、息の詰まる牢獄へと作り変えようとしている。


 俺は、鐘楼の暗がりで、静かに夜を待った。

 夜になれば、この街の、もう一つの貌が姿を現す。


 月が、雲に隠れた頃。

 俺は、亡霊のように、スラムの裏路地を歩いていた。

 ここには宰相の監視の目も、まだ完全には行き届いていない。

 だが、その代わりに、別の法が支配していた。

 弱肉強食。力こそが、全て。


 俺は、ある場所を目指していた。

 斥候の記憶にあった、情報屋の隠れ家だ。

 その男は、かつて白銀のグリフォン騎士団のために、裏の仕事を請け負っていたという。


 隠れ家は、汚水が流れる水路の脇に、ひっそりとあった。

 俺が、古びた木の扉を叩こうとした、その時。

 中から、怒声と、何かが壊れる音が響いてきた。


「さあ、払うもんは払ってもらうぜ、じいさん!」

「今月分のショバ代だ! 無いとは言わせねえぞ!」


 チンピラだ。

 俺は、舌打ち――鳴らないが――をすると、扉を、力任せに蹴破った。


 部屋の中には、三人のチンピラと、床に倒れ込んでいる、一人の老人がいた。

 チンピラたちは、突然の闖入者に、一瞬呆気にとられていた。

「な、何だ、てめえ!」

 一人がナイフを抜いて、こちらへ向かってくる。


 俺は、何も言わなかった。

 ただ、フードの奥の、蒼い魂の火を、ぎらりと燃え上がらせただけだ。

 そして、ミノタウロスの骨腕を、振るった。

 風圧だけでチンピラは壁まで吹き飛び、ぐしゃり、と嫌な音を立てて崩れ落ちた。


 残りの二人も、悲鳴を上げる間もなかった。

 一人の頭蓋を、俺は鷲掴みにして砕き、もう一人は、床に倒れた老人の前に、叩きつけた。

 そいつは、気絶しているようだった。


 部屋には、静寂が戻る。

 俺は、床に倒れたままの老人を見下ろした。

 痩せこけてはいるが、その目だけは、まだ死んではいなかった。

 鋭い、探るような目で、俺を、足元から頭の先まで、じろじろと見ている。


「……あんた……一体、何者だ……?」

 老人は、掠れた声で言った。

「……その、腕……人間じゃねえな……。それに、その佇まい……どこかで……」


 俺は、黙って、懐から一つのものを取り出した。

 騎士団の紋章が刻まれた、認識票。

 アレン・ウォーカーの、私室から見つけた、唯一の遺品だ。

 それを、老人の前に、放り投げる。


 老人は、認識票を手に取ると、その刻印を、指先で、何度もなぞった。

 そして、信じられない、というように、顔を上げた。

 その目が、俺のフードの奥の、蒼い火を、まっすぐに見つめる。


「……まさか……。まさか、な……。団長……さん……なのか……?」

 その声は、震えていた。


 部屋の隅。気絶していたはずのチンピラが、いつの間にか目を覚まし、震えながら後ずさっているのを、俺は、視界の端で捉えていた。

 そいつの震える唇が、何を囁いたのか。

 俺には、聞こえなかった。

 だが、その言葉が、この王都に、新たな火種を放つことになるだろう。

 それだけは、確かだった。

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