空は繋がっている

クロノヒョウ

夜明けの空にまいた種




 辞令は突然だった。

 海外支部への転勤。

 当時二年間付き合っていた彼女にそれを告げたのは出発の日の朝だった。

『どうしてもっと早く言ってくれなかったの』

 そう責められて当然だ。

 俺は電話越しにすすり泣く彼女に『ごめん』と謝ることしかできなかった。

 仕事が大好きで生きがいにしていた彼女の心労を増やしたくなかった。

 いや違う。

 俺が弱かっただけかもしれない。

 素直に『待っていてくれ』とも言えなかったし『ついてきてくれ』なんてあの頃の彼女には到底言えなかった。

 断わられるのが怖くて彼女の前から逃げたのかもしれない。

 だけど残ったのは後悔ばかりで彼女のことを忘れることなんてできなかった。


 空港は様々な人で賑わっていた。

 キャリーバッグを引く旅行客。

 家族連れはもちろんカップルや友人同士、大きなリュックを背負った若者など皆これからのフライトを楽しみにしているようだった。

 搭乗時刻まであと少し。

 待ち合い席に腰を下ろした。

 五年間の就任を終え俺は日本に帰る。

 飛行機に乗るのも久しぶりだ。

 日本にいた頃は出張でよく飛行機を使っていた。

 フィリピンに行く時にはいつも深夜一時台の飛行機に乗っていた。

 そうすると飛行機の中から夜明けが見れるからだ。

 暗かった空が少しずつ明るみを増す。

 と思っているうちに太陽が頭を出す。

 その時に雲があれば、雲の上に黄色とオレンジに輝く光の帯が見られるのだ。

 濃いブルーの空と光の帯と白い雲が作り出す幻想的な空。

 その景色があまりにも美しくて一番のお気に入りだった。

『夜明けの空、綺麗ですよね』

 そう声をかけてきたのが何度も乗り合わせたことのある客室乗務員の彼女だった。

『私、この夜明けの空を見るのが一番好きなんです』

 今まで気にも止めていなかった彼女のその言葉と、朝日を浴びて輝いている彼女の美しい笑顔が胸に刺さった。

 同じものを見て同じように感じられる。

 一瞬、心と心が繋がっているのかとさえ思った。

 それがきっかけで親しくなり付き合うようになったのだ。


 空港内に搭乗開始のアナウンスが流れた。

 乗り継ぎも含めて約二十時間のフライトだ。

 窓から見える空は青々としている。

 右腕の腕時計を見た。

 日本は今午前四時くらいか。

 昨年、友だちづてに彼女は今も客室乗務員を続けていると聞いた。

 五年間音信不通だったわけではない。

 最初の頃は連絡を取り合いお互いのことを話していた。

 でもやっぱり会えないという距離と時差とが二人の邪魔をした。

 慣れない場所での仕事でくたくたになっていたのもあり、徐々に連絡が減るのは時間の問題だった。

 彼女がまだ客室乗務員を続けているならば、今頃フィリピンの空は夜が明けている頃だろう。

 彼女はあの景色を今でも眺められているのだろうか。

 俺たちのお気に入りのあの空を。

 飛行機に乗るこの状況で彼女とのことを鮮明に思い出していた俺はいてもたってもいられなくなっていた。

 乗客の列に並びながらスマホを取り出した。

 『今から日本に帰ります。会って話がしたい。会いたい』

 自分勝手だということもわかってる。

 わがままだともわかってる。

 でもどうしても彼女に会って謝りたいし、できることならばやり直したいと思っている。

 もう逃げたりしない。

 今度こそ彼女をそばで支えていたいし、また二人で笑って過ごしたい。

 俺の心の片隅にずっと残っていた火種がめらめらと音を立てて燃え上がっていた。

 彼女の心の中にもまだ火種は残っているだろうか。

 残っていなかったとしてもまた種をまこう。

 最初からやり直せばいい。

『あの夜明けの空をまた一緒に見たい』

 飛行機は飛び立った。

 種はまいた。

 あとは待つだけだ。

 はやる気持ちをおさえながらアイマスクをつけた。

 もしも返事がなかったとしても、日本に着いたら彼女のことを探して会いに行こう。

 きっと会える。

 夜は必ず明ける。

 この空が繋がっている限り必ず会えるはずだ。

 そう思いながら眠りについた。


 数時間後、乗り継ぎのために降りた空港ですぐにスマホを確認した。

 返信があることに胸が高鳴った。


『空はどこまでも繋がってる』


 彼女からのそのメッセージを見て俺は思わず笑みを浮かべた。



           完





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