第17話
八月六日金曜日、快晴。七夕祭りの初日は、午前中の子供
午後からは大人神輿が出て、夕方までに商店街に到着し、日が暮れた頃にやぐらの提灯に火がともる。そこからは三日間は、祭りの熱に街全体が浮かされる。
俺は朝から蓮水に貼りつき、例の薬を飲ませるタイミングを見計らった。蓮水は意外なことにバイトを休み、午後からの大人神輿に参加するようだ。
これは俺にとっては有難い誤算だった。
俺は適当な店で地味なエプロンとキャップを買い、ボランティアスタッフに紛れ込んだ。特に疑われることもなく、スタッフ用の
男手ということで、
夕方近くになり、最後の休憩で飲み物を配る係りを買って出て、氷入りのバケツの中のペットボトルに隙を見て薬を仕込む。大した罪の意識も感じずにこんなことが出来てしまう自分に、我ながら驚いてしまう。
大義名分を得た小心者というのは、けっこう怖いんだな。これからの人生は自重して過ごそうと心に誓う。
蓮水に飲み物を手渡した時は、さすがに少し手が震えてしまった。
そのあとは、真面目にボランティアの仕事をこなした。
街の外れにある神社まで神輿を担ぎ、その後は祭り執行部の本部席まで戻っての三本締めだ。そしてその場で打ち上げとなる。俺は蓮水からなるべく離れて様子を
蓮水は鉢巻きを外して、缶ビールを受け取ると一気に煽った。途端に顔をしかめて首を傾げる。例の薬は通称を『抗酒薬』または『嫌酒薬』と呼ばれている。酒を飲むと少量でも悪酔い症状が出る他に、酒が不味く感じるらしい。
蓮水はそのあともチビチビとビールを飲んでいたが、徐々に具合が悪そうになった。
「達ちゃん、どうした? もう酔ったのか⁉︎」
友だちらしき若者が、からかうように声をかける。
「んー、なんかビール不味い。具合悪いのかも」
「顔色悪いよ。もう飲まない方がいい」
しばらく様子を見ていたら、やがて蓮水は友だちに連れられて帰って行った。薬の効果は12~24時間だ。今日はもう酒を呑む可能性は限りなく低いと考えて良いだろう。
俺はさり気なく
18時を回ってそろそろ宵闇が迫る頃、中央のやぐら前で和太鼓の演奏がはじまった。大小の和太鼓の腹に響く音が、祭り本番開始を告げた。
屋台の少しガラの悪い若者が、客を迎えるための最後の準備のために走り回る。あたりに、ソースや醤油の焦げる良い匂いが漂いだす。
まだ人通りのまばらな祭りのメインストリートを、克哉との待ち合わせ場所に向かうために走った。
実際はまだ時間に余裕があるのだが、気が
けっきょく克哉は美咲と早川を連れて、祭りに来ることになった。遠くに出かけてしまう案は却下された。
歴史の強制力が『祭りで事故が起きる』と『美咲が事故に遭う』の、どちらを優先するのか、全く予想がつかないのだ。何かが起きるのならば、手の届く範囲で起きて欲しい。
克哉は美咲と早川の近くで、俺は俯瞰出来る位置で警戒する。祭りは車両通行止めなので、その範囲内で交通事故は起こり得ないはずだ。
三人の送り迎えは姉貴に頼んだ。祭りの間は事故現場から少し離れた場所に、そのまま車で待機してもらう予定だ。
19時30分。克哉が美咲と早川を連れて、メインストリートへと続く大きな橋を渡って祭りへと向かう。歩道と車道が完全に別れているので、美咲とバイクの接触は考えられない。
帰り道で事故現場になったのはこの橋ではなく、路地から続く小さな橋だ。二人は人混みを避けてその橋を渡ったらしい。
克哉に蓮水の件で連絡を入れる。
「克哉、ミッション成功だ。蓮水は具合を悪くして帰宅した。祭り会場では
「わかった。イチさんも気をつけて」
俺と克哉は警戒すべきものを『加害者』『被害者』『事故現場』『事故発生時間』の四つに絞ることにした。それ以外の可能性については、さすがに手に負えない。
一番の警戒対象である『加害者 蓮水達彦』は、凶器となったバイクを壊し酒を飲めない状態にして退場してもらった。『被害者二人』は事故発生時間より前に、現場に近づくことなく退場してもらう予定だ。姉貴に保護してもらって、消防署と警察署の隣にオープンしたばかりのカフェで待機してもらう。
例えば俺や克哉が手に負えない、テロや天変地異に見舞われた場合でも、その場所ならすぐに対応してもらえるはずだ。
残りの『事故現場』と『事故発生時間』を俺と克哉で出来得る限り安全な場所へと変える。
事故発生時間まで、あと二時間半。
これはたぶん、俺と強制力を持つ『得体の知れない
俺の知らない未来をはじめるための戦いだ。
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