異世界引きこもり、通販だけで王都を支配する〜怠け者スキルで成り上がり!?〜
妙原奇天/KITEN Myohara
第一章 ポテチが異世界経済を救う
目が覚めたら森の中だった──と書くと、いかにもテンプレめくけれど、私の状況は少しだけ違う。
スマホが、圏外じゃなかったのだ。
ホームボタンを押す。指紋認証はいつも通り私を認め、黒い鏡の向こうに日常が戻ってくる。通知の海。ニュース。天気。ショッピングサイトの「あなたへのおすすめ」。
風は草いきれを運び、遠くで鳥の声。見渡せば、苔むした石と、ねじれた大樹と、石造りの塔みたいなものが遠見に一本。絵本の中みたいな風景だ。
でも、親指一つ動かせば、そこには現代日本がある。
「……まさか、異世界でネット接続?」
呟いた声が森に吸われていく。私は深呼吸を三回、心拍を落ち着けてから、カートに入っていたお菓子や日用品の一覧を開いた。
電波のアイコンは満タン。バッテリーは──この世界に来た瞬間、満充電になっていた。不思議だ。理屈はわからない。けれど、わからないまま生き延びることに関して、私はちょっと自信がある。引きこもりの処世術、なめないでほしい。
「まずは、ポテチ」
動揺すると塩気が恋しくなるのは、世界が違っても変わらない。塩と油は文明だ。
私はカートの中身を整えた。非常食、ミネラルウォーター、缶詰、保存パン、チョコ、ビタミン剤、ウェットティッシュ、簡易寝袋、火を使わずに温められる加熱袋。
そして、シャンプーとリンスとボディソープ。歯ブラシと歯磨き粉。
あと、段ボールを開けるカッター。ガムテープ。軍手。ポリ袋。
「……よし、注文」
配送先は──画面の自動入力が、私の現在地を指す奇妙な座標で埋まった。住所欄に見慣れない文字列。けれど、「お届け予定:三日後」。
三日後に届くなら、三日間を凌げばいい。
その晩、私は倒木の下を拠点にした。落ち枝を集め、ポケットの火打石アプリで──うそうそ、さすがに火は使わない。目立つから。
代わりに、保温シートと銀色の非常用寝袋にくるまって眠った。夜の森は意外と明るい。大樹の隙間から覗く星は、見たことのない配置で、けれど目に染みるくらい綺麗だった。
◇
三日後。
森の奥へと続く小径に、コトン、と乾いた音が響いた。
置き配だ。
草むらに、見覚えのある茶色い段ボール箱。印字はあの馴染みの物流会社だが、伝票の住所はやっぱり奇妙な座標で、ハンコはいらなかった。
何もいない空間に礼を言って、私は小さく手を振った。
段ボールは二箱。開けると、ポテチの匂いが世界に広がった。ああ、文明。
私はポテチを一枚、ゆっくりと舌で溶かすみたいに食べ、次にシャンプーのボトルを掲げた。光が反射して、森の緑が表面に揺れる。
ここで問題がひとつ。
私は引きこもりだ。引きこもりの定義は、できる限り動かないこと。
でも生き延びるには、食料と水と場所がいる。この森は、きれいだけど、長居するには不便。
ならば、街へ行って、引きこもるための環境を整えよう。
つまり、仕組みを作る。
私は「怠け者スキル」を持っている。
ゲームのパッシブみたいに、がんばらないほど効率が上がる、という謎仕様だ。努力値がゼロだと、なぜか自動的に物事が転がっていく。
たとえば、荷物運び。私が重たい荷物を運ぼうとすると腰をやるが、「運ばずに済む方法」を考えると、なぜか道が開ける。外注先が見つかる。人が集まる。
怠け者は、根本的な最短経路を嗅ぎ分ける。
「まずは、試供品で釣って、流通を作る」
私はシャンプーを詰め替えボトルに小分けし、クラフト紙で包み、麻紐で括った。ラベルはマジックで手書き。「髪つやつやになる水」。
見た目は素朴だが、効能はガチ。文明は中身で勝負する。
◇
森を出て半日で、石畳の街道に出た。荷馬車が行き交い、遠くに城壁。王都だろうか。
城門の前は人でごった返し、物売りの声が飛び交っていた。私のボロマント姿は浮かない。旅人風。
門をくぐると、香草と革と鉄の匂いに混じって、ほんのり獣臭が鼻を刺した。市場のはじっこに並んだ桶の水は濁っている。
髪は脂で重く、風が吹くたびに人々の髪がばさりと揺れる。……シャンプーが刺さる世界だ。
私は商業ギルドを探し、受付で木札を受け取った。
受付嬢は愛想よく、けれど警戒は怠らない目で私を見る。
「持ち込みの品を査定しますわ。ご職業は?」
「仲介業。里から里へ、良いものを運ぶ仕事をしてるの」
笑顔を作って、手のひらサイズの試供品を三つ、カウンターに置く。
受付の子は首を傾げ、蓋を開け、香りを嗅いだ。
次の瞬間、目が丸くなる。
「……甘い花の香り……いい匂い……これ、何の油?」
「油じゃない。泡立てて使う、髪用の洗い水。試してみる?」
「え、ここで?」
「うなじにちょっと。拭き取れば平気」
私は腰の水筒から、ポリ袋に汲んだ清水を少し。泡立てて、彼女の髪先にくしゅくしゅと揉み込む。
周りの視線が集まる。香りが空気を変える。
拭き上げると、濡れた髪先が光を拾い、手櫛がするりと通った。
「……す、すごい。絡まない……」
「乾けば、もっとさらさら。艶も出る」
ざわ、という音がギルドの中に広がった。
男たちは興味なさげに見せかけて、鼻をひくつかせる。女性たちは真正面から近づいてきて、目を輝かせた。
「それ、いくら?」
「うちの女将にもほしい」
「この街で売るつもりは?」
私は笑って、指を三本立てる。
「まずは、見本を置く。貴族用の浴場と、街一番の宿の女将に。気に入ってくれたら、定期配送の契約を。価格は月三銀貨で、人数により変動。最初の一月はお試しで半額。
ただし、私を探さないこと。対面販売はしない。受け取りはギルド経由の置き配。支払いは前金。返金不可。
もし私の素性を探ったら、契約は即時解除。二度と取引しない。それでも良ければ──」
カウンターが静まり返る。
無茶を言っているのはわかっている。でも、引きこもるには、絶対条件だ。私は店頭に立たない。対面しない。
代わりに、仕組みが私の代わりをする。
受付嬢が、ごくりと唾を飲む音が聞こえた。
彼女は一瞬だけ上を見て考えてから、こくりと頷く。
「上長を呼びますわ。少しお待ちを」
◇
面談室。粗末なテーブルと椅子。壁に王国の紋章。
入ってきたのは、腹の出た商会主と、細身の帳簿係、そして、鎖帷子の上に礼服を羽織った青年騎士だった。薄い銀色の髪、真面目そうな薄茶の瞳。
騎士は、室内をざっと見回してから、私の正面に座った。
彼だけが、品物より先に人を見た。観察眼。厄介そうだ。
「私は王都警備騎士団のロベルトだ。商業ギルドの立会いを命じられている。──まず、確認したい。君はどこから、この香油……いや、洗い水を仕入れている?」
「企業秘密」
私はさらりと笑い、麻紐で括った小瓶を一つ、テーブルに置いた。
商会主の目が金貨の形になる。帳簿係は冷静に単価を試算している顔だ。
ロベルトは、一拍ののち、小瓶を手に取り、匂いを嗅いだ。
ほんの少し頬が緩むのを、私は見逃さなかった。
「契約条件はさきほどの通り。定期配送に絞る。卸先は、最初の月は二件だけ。王都浴場組合の本館。それから、王都一、二を争う宿。
両方が満足し、私を探らず、規約を破らずに一月を過ごしたら、件数を四に増やす。二月目は貴族街の理髪店と、城下の仕立屋の女主人に。
それが守れたら、三月目に街の一般売りに段階展開を検討」
商会主が身を乗り出す。
「一般売りはまだ早い、貴族筋だけで十分儲かるぞ。一本いくらで売るつもりだ?」
「一般売りは、他の追随が現れた時の牽制。独占はしない。独占すると、私を探しに来るものが増えるから。
単価は──一本、銀貨一枚から始める。詰め替えで安く。使い続けやすい価格にする」
ロベルトが机を指先で軽く叩いた。
「そして、対面を拒む理由は?」
「怠け者だから」
私は真顔で言った。
商会主が吹き、帳簿係が口元を押さえる。ロベルトだけが表情を変えない。
「怠け者が仕組みを作る。会わない、動かない、働かない。金だけ動く。
私が表に出ると、誰かが私を囲い込みたくなる。だから最初から壁を作る。壁越しだけど、品は約束通り届く。仕事はきっちり。怠けるためには、信用が命」
ロベルトはほんの少しだけ目を細め、やがて頷いた。
「……理はある。だが、王都に新しい品が入る時、騎士団は安全確認を怠らない。毒や幻惑の類なら困る。検査のため、我々の管理下で開封したサンプルを使わせてもらう。それが条件だ」
「いいよ。検査の費用はそちら持ちで」
取引は、あっけないほどすんなり進んだ。
私はギルドに置き配の手順と、支払の分配ルール(ギルド手数料は市価の七パーセント、遅延は一週間まで可・それ以上は契約停止)を渡し、初回納品は五日後とした。
帰り際、ロベルトが一歩、私に近づく。
「ひとつ忠告だ。王都は表向きは平穏だが、裏で情報を買う連中は多い。『姿を見せない供給者』は、好奇心と欲を煽る。……気をつけろ」
「忠告、ありがとう。あなたも、倒れないでね」
口をついて出た言葉に、ロベルトが瞬きをした。
彼は礼をして去っていく。背筋はまっすぐで、歩幅は一定。几帳面な性格が靴音に出る。
◇
拠点に決めたのは、王都から半日の森のはずれ。小川が近く、岩陰に自然の窪みがある。
私は通販で簡易小屋と工具を取り寄せ、折り畳み式のコンテナをいくつも並べて、在庫管理の棚にした。
納品は週二回。置き配はギルドの裏口の三番樽の中に。受領印は不要、替わりにギルドの魔術印──受領刻印を樽の蓋に。
私は人と会わずに、荷だけを動かす。
怠け者スキルが、ここで輝く。
私は在庫数を気にしない。気にしないほど、自然と「不足しないライン」でカートに手が動く。
手間のかかる計算や最適化は、私が眺めているだけで、なぜか一番安いまとめ買いと一番無駄のない納期に落ち着く。
怠ける才能は、怠けのための努力を一切させない。
私はただ、ポテチをつまみながら「次回のおすすめ」を眺める。世界は、勝手に回り出す。
◇
初回納品の朝。
王都の朝は早い。パン屋が最初に火を入れ、井戸は列ができ、鍛冶屋は炉に風を送る。
ギルド裏口の三番樽に、クラフト紙に包んだ詰め替え袋がきっちり三十。樽の蓋の裏に、受領刻印の板を貼っておく。
私は人影のないうちに置き、すっと路地に紛れた。
次の瞬間、ガシャン、と硬い音。
路地の出口で、誰かが崩れ落ちた。
倒れていたのは、昨日の騎士──ロベルトだった。礼服ではなく、薄い鎖帷子姿。額に冷や汗、唇が白い。
私は本能で駆け寄り、脈を取る。速い。呼吸は浅い。脱水と低血糖。
周囲を見回す。人影はまだまばら。私は迷わず、背負子から小さなパウチを取り出した。
「口、開けて。これは……甘いから」
エネルギーゼリー。文明は、尊い。
ロベルトはうっすらと目を開け、ぼんやりと私を見る。
「……君……なぜ……ここに……」
「朝の散歩」
私はゼリーを半分ほど押し込み、水筒から少し水を含ませる。
数分で、彼の呼吸が落ち着いた。頬に血色が戻る。
「すまない。夜番明けで、書状を運ぶ途中だった……倒れるとは、情けない」
「情けなくないよ。人間は水と糖で動く。足りなかっただけ。……それ、書状?」
彼の肩から下がった革袋の口が開いている。封蝋が見える。
ロベルトは身を起こし、袋を抱え直した。
「大したものではない。ただの巡回報告書だ。……恩は、必ず返す」
「じゃあ、今日の検査、厳しすぎないやつで」
うっ、とロベルトが言葉に詰まる。彼は眉を寄せ、しかしすぐに口元を緩めた。
「規定は守る。だが、検査官を選ぶ権利はある。鼻の利く、まっとうな者に頼もう」
「お願い」
彼は深く頷き、立ち上がった。そして数歩行ってから振り返り、真っ直ぐに私を見る。
「君の言っていた“壁”の話。君が壁を作るなら、我々はその壁を守る。街の利益にもなる」
言い捨てて、朝の光に消えた。
騎士団って、けっこう、かっこいい。
◇
初回納品は、成功した。
ギルドからの受領刻印が、私のコンテナの蓋に同じ印で返ってきた。検査済。問題なし。
夕方、ギルド経由で簡素な紙片が来る。
《浴場本館 使用感:良。香り:良。泡立ち:驚異的。髪質改善:実感あり。続行希望/宿の女将 使用感:良。客の反応:非常に良。予約増/両先より契約継続と増量要請 ※次回十本増》
紙片の隅に、細い字がある。《検査官ロベルト・ハルト 異常なし》
私はポテチの袋を開け、夜の森で星を見上げた。
袋の底の塩気は、努力の味ではない。ただの塩の味。でも、十分に勝利の味だ。
舌の上で砕ける芋の音を聞きながら、私は次の手を考える。
商品ラインを増やす。歯磨き粉、ボディソープ、柔軟剤。
詰め替えが可能で、使用感に感動があるもの。広告はしない。口コミだけで王都を回す。
そして、決済は前金、置き配、非対面。すべては、私が怠け続けるために。
翌朝、ギルドからもう一枚、紙片が届いた。
《王都貴族クラウス・アーデルマン家より使者。浴場にて使用した者が屋敷に導入希望。追加契約可否を問う。対面希望》
私は迷わず、定型の返書をしたためた。
《対面は不可。使者をギルドへ。規約順守を条件に、月次二本の追加は可。代替案:屋敷の侍女長に使い方指導の紙を同封》
そして、最後に一行、いたずら心で添える。
《髪がさらさらになったら、侍女長の残業が減ります。怠けられます。おすすめです》
怠け者は、怠け者を味方にする。
私の怠惰は、誰かの効率と機嫌を改善する。
その輪が広がるほど、私はますます動かなくてよくなる。
王都はまだ、私を知らない。
けれど、香りはもう、王都を歩きはじめた。
◇
その夜。
森のはずれの小屋で、私はスマホの画面をスワイプし、新しい商品をカートに入れていた。
柔軟剤、入浴剤、ハンドクリーム、リンスインではなくアウトバス用オイル。
そして、業務用の詰め替えタンク。
画面の向こうの倉庫で、誰かがこれをピックして、ラベルを貼り、トラックに載せる。
私の居場所が、住所としてどこにも存在しないのに、荷物は届く。
私はやっぱり、この仕組みの理屈を知らない。知らないけれど、使えるなら使う。その手際の良さだけは、長年の通販生活で鍛えた。
購入ボタンを押す前、ふと、画面の隅に表示された「あなたへのおすすめ」に視線が止まった。
そこには、簡易監視カメラと、防音シートと、ルームシューズ。
引きこもりの味方たち。
私は小さく笑って、全部カートに入れた。
「怠ける準備は、怠けずにやる」
私の口癖は、今日から座右の銘になった。
そして、画面の「購入確定」をタップする。
お届け予定:三日後。
森を渡る風が、少し甘く香った気がした。
──王都の裏側で、静かな支配がはじまる。怠け者の、最短経路で。
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