事情

 ふと目が覚めた。


 朝の5時、肩まで毛布をかけていても暑くない。

 つい先日まで残暑が隣にいたはずなのに、いつの間にか気配すらなくなった。

 

 数週間前まで簡易ベッドで丸まって寝ていた。数日前は、床で雑魚寝だった。

 それが、今ではしっかりしたベッドにひとり、大の字になって爆睡していた。


 こんな贅沢、してもよいのだろうか。


 隣の部屋から、いびきが聞こえる。

 二度寝しようにも、目がバッチリ覚めてできそうにない。


 そうだ、昨日買ってきたやつ、洗濯しよう。

 私は、ベッドから起きて脱衣所へ向かった。



 この洗濯機、変な機能がないから使いやすそうだな。

 他に、洗うものないか聞いてからにしようか。


 トイレのドアが閉まる音が聞こえた。あのひと、起きた?


 ジャーと水の流れる音のあと、彼が眠そうな顔で目の前に現れた。


「あ、おはようございます」


「……おお、早いな。もう、洗濯すんの?」


「ええ、昨日買ってきたのとか、まとめて。他に洗うのありますか」


 彼は眉間にしわを寄せて、私をじっと見た。


「ねえな。ねえけど……他人のものと洗うの嫌じゃないのか」


「もう、慣れてますから。健康ランドでも、その前の仕事でも、みんなまとめて洗ってましたから平気です」


「ああ、そう」と言って、彼は臀部を搔きながら自分の部屋に戻っていったが、洗濯機を回し始めると、再びやってきて「ありがとう」と小声で言った。


「え、なにが?」


「いや、なんていうか、ここに来てくれて、どうも」


 私が聞き返すと、彼は照れくさそうにペコリと頭を下げた。


「こちらこそ、全く知らない赤の他人の私をここにおいてくださった。本当にありがとうございます」


 私が同じように頭を下げると、彼はハハッと笑った。


「あー、ちょっと早いがメシにするか。なに食う?」


「昨日買ったロールパンがありますけど、それでいいですか? あと、牛乳で」


「あ、わりぃ。俺、牛乳ダメなんだわ。すぐピーピーになる」


「では、白湯にしますか」


「じゃあ、お湯沸かしとくわ。カップ、ネコちゃんのでいいか?」


「はい、それで」


 私が愛用している三毛猫柄のカップ。ここに来る前から、もう何年目か覚えていないくらい同じ柄のものを使い続けている。一目ぼれして買ったものだが、茶渋が付いても決して割れることなく苦楽を共に過ごしてきた。


「ロールパンいくつ食べます?」


「適当でいい」


 彼は浄水器を通した水をやかんに入れ、ガスコンロに火をつけた。

 そういえば、この浄水器、なんだか高そうだけど……。


「どうしたんですか、それ」


「ああ、これ? 大家さんがつけてくれたんだ。この辺りは、水が不味いとかで、全部の部屋につけてあるらしい」


「へえ、太っ腹ですね」


 私は6個入りのロールパンをすべて袋から取り出し、オーブントースターに入れる。あとは、ウインナーでも温めようか。安売りだったウインナーを皿に、ラップをかけて電子レンジのドアを開けた。


「待て」と彼が少々慌てた様子で私の前に手を出した。


「あっ、もしやブレーカーが?」


「そうだ。一瞬で落ちる」


 しばらく待ち、オーブントースターのチンの合図で、私は電子レンジのスイッチをひねった。ウインナーがくるくると回りだす。しまった、穴を開けていない。


 私はロールパンを皿にのせ、彼は沸いたお湯をカップに注ぐ。


「あのさ、メシ食ったらちょっと話しねえか。言ってなかった気がすんだけど、実はここ、訳あり物件なんだ」


「えっ?」


 その時、ウインナーの爆発音が部屋中に何度も響き渡った。


 ねえ、なんでいま、それ言うのよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

これが恋なら終わってる たろさん @vakezouri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ