私とあなたの歪で不毛な恋愛

ロゼ

第1話

──捨てられることにはとっくに慣れた。


 そう思い込むことで自分を守ってきた。


 だけど本当は誰よりも愛情を欲し、もう二度と捨てられたくないのだということは、自分自身が嫌というほど知っている事実で、それは覆しようがなかった。


 見て見ぬふりを続けたその思いはいつしか私自身を歪ませ、歪で不毛な恋愛へと堕としていく。


──ただ誰かを愛し全力で愛されたい。


 彼はそんな感情を抱いている人だった。


 軽薄さを見せながらもどこか怪しげな雰囲気をまとい、常に誰に対しても明るく振る舞うことで人から注目を浴びながら、そのくせ人に壁を作っているようなところがある、それが彼に抱いた印象で、まさか自分がそんな男を好きになるなんて思いもよらなかった。


──この男はきっと本気で愛したら絶対に相手を手放さないのだろう。


 本能的にそう感じていたのかもしれない。


 事実、私を愛した彼の執着は異様で、私がどれだけ堕ちようとも手放すということだけはしないのだから。


 きっと私達は歪に歪みながらもその歪みごとピタリと嵌ってしまうパズルのピースのようなのかもしれない。


■■■


 私のことを説明するならば、きっと私の人生を説明しなければならないだろう。


 私は桃園家の長女として生を受けた。


 奈江なえと名付けられたその瞬間はきっと誰よりも幸せな赤ん坊だったのだろうと思う。


 私が生まれた当初の両親は仲が良かったようだけど、私が物心つく頃には父はいつだって不在で、その存在は写真の中でしか知らないのような人物になっていた。


 母は駆け落ち同然で入籍し、父の母、私にとって祖母となる人物に大変嫌われていて、何かにつけて辛く当たられていた。


 そのことで父と祖母は言い合いが絶えず、だけど出ていこうとすると泣いて縋り付く祖母を無下にできなかった父。


 祖母は子離れができていない、息子を溺愛していた人間で、そんな息子を奪った母の存在は「泥棒」でしかなかった。


 だけど私が生まれたことで状況は幾分か緩和され、ついに別居に祖母が同意するまで折れてくれた。


 しかしその矢先、父の妹であり、既に他家に嫁いでいた叔母が末期の乳ガンであることが分かり、彼女の希望により嫁ぎ先ではなく実家の近くでの療養という名目の終末治療が行われることとなる。


 理由は「愛する人に醜い姿を見られるのは耐えられないから」


 その結果、私達親子が暮らすためにと整えていた実家からほど近い家は、祖母の強い願いにより叔母のために提供され、別居の話は叔母を安心させてあげたいという祖母の言葉により消えてなくなることになった。


 余命一年だと宣告されていた叔母だったが、私が四歳になるまで苦しみながらも命を繋ぎ続けた。


 調子がいい時は私にもその姿を見せ、元々子供が大好きで、自分の子供を持つことを強く願っていた叔母は私を大変可愛がり、そんな彼女に私も懐いていた。


 だけど徐々に鎮痛剤では隠せなくなった痛みの苦しみにより、そんな姿を私に見せたくないと言う叔母の願いを叶えるため、最後の瞬間ですら彼女に会うことが叶わないまま、いつの間にかこの世界から叔母は消え去った。


 自分の娘を失った悲しみを祖母は母を虐めることで解消しようとした結果、再び父との仲は険悪になり、そのことに嫌気がさした父は家に寄り付かなくなってしまった。


 いっそのこと私達親子を連れて無理にでも家を出てくれればよかったのだろうが、いい意味でも悪い意味でも父は自分の母親を最終的には切り捨てられない人だったため、自分が逃げるという道を選んでしまった。


 その結果は明白で、祖母はそれまで以上に母に辛く当たるようになっていった。


 私の物心がついた頃には母はいつも祖母に虐められており、祖母は私のこともあまり好んではおらず、平気で私の前で母を罵倒していた。


 そんな母を助け、祖母を激しく叱り飛ばすのは私と母にとても優しい祖父だけだった。


 しかし祖父は古書店を営んでおり、いい本があると聞くと数日家を空けることもあるような人だったため、完全に私達母子を守りきることはできず、貯金もなく、行く宛てもない母は必死で耐え忍んでいた。


 その頃には父は外に他に女性を作っていて、その女性の生活の面倒を見ていたため、母の元に生活費が入ってくることはなく、母はそれまでに貯めていたお金を切り崩しながら暮らしていた。


 義理の両親と同居しており家事全般は母が一手に引き受けていたのに、祖母は祖父がいない間を狙って母から生活費を家に入れるように強要しており、出さなければ家を追い出すとまで言われていたようだ。


 絶縁に近い形で実家を飛び出した母は本当に行く宛てもなかったためその要求を飲み続けていた。


 いよいよ貯金も底を尽きると、母は祖母に「嫁いできた嫁が外で働くなんて恥さらしだ!」などと罵られながらも外へと働きに出て、私の幼稚園の費用などを作り出し、せめて私には苦労はさせないようにと精一杯頑張ってくれていた。


 いつも笑顔を絶やさず、苦しくても私の前ではそんな素振りを見せない、そんな人だった。


 そんなある日、写真でしか顔を知らなかった父が私の前に現れた。


 この人がお父さんなのか……と漠然と思ったが、それ以上の感情はなく、所詮は顔だけ知っている他人であるという感覚はずっと消えず、だけど父親に嫌われてはいけないのだろうとも思い、父に車で知らない家に連れていかれた。


 そこには母よりも若い女性がエプロン姿で住んでいて、居心地の悪さだけを感じながらも、何も言えずに出されたジュースをチビチビと飲んでいた。


「今日からこの人がお前のお母さんだよ」


 優しい声でそんなことを言われた私は、その瞬間「嫌!」と叫んでいた。


 その時のその瞬間の記憶だけは二十七年生きてきた今でも鮮明に思い出せる。


 当時の私はもうすぐ五歳になるという年齢で、「嫌!」と叫んだ瞬間の目の前の女性の悲しそうな顔と、父親の呆気に取られた顔が心の中に写真の一枚のように鮮明に刻まれているのだ。


 その後どうやって家まで戻ったのかの記憶はない。


 ただ、家に帰され、パートから戻ってきた母の姿を見た瞬間に泣き出したことだけ覚えている。


 安堵の気持ちが膨れ上がり、それまでの不安や恐怖、緊張感が一気に崩れたのだと思う。


 だけどその件は絶対に母には知られてはいけないというのも幼いながらに感じており、困まり顔の母にしがみついて泣きながらも離れようとはしなかった。


 その後、深夜になると時折帰ってくるようになった父。


 どんな心境の変化だったのかは分からないけれど、その後六つ年の離れた妹が生まれた。


 だけどその直後に両親は離婚しており、それを知らされたのは私が十歳、小学四年生の時だった。


 行く宛てもなかった上に二人目の子供まで生んだ母を祖父が家におき、母はそれまで同様に父の実家で私と妹を育てながら暮らしていた。


 妹が生まれると、祖母はどういうわけか妹のことだけは猫っ可愛がりをし、母への虐めは若干減ったものの、私への対応はいつだって冷たかった。


 母に似てパッチリとした二重の可愛らしい顔をした妹は、親戚からもとても可愛がられていた。


 対して私は父や祖母ととても似ており、腫れぼったく薄い奥二重で可愛いというよりは落ち着いた雰囲気を纏っており、可愛いという言葉は妹だけのもので、私にその言葉が注がれることはない。


 祖父と母は私を「可愛い」と言ってくれていたけど、親戚が集まる度に妹にだけ注がれ続ける言葉に幼心は多大に傷つけられ、いつの頃からか「自分は可愛くない」と思うようになっていた。


──可愛くないのなら、お利口さんになればいい。そうしたらきっとみんなが私のことも褒めてくれる。


 そう考え、母の手伝いを率先して行ない、確かに親戚には褒められるようにはなったけど、やはり「可愛い」の言葉だけは誰からももらえない。


 私の中でその言葉の意味はとても大きく、どんなに「奈江はお利口さんだね」、「お姉ちゃんだからしっかりしてるね」と褒められてもあまり嬉しさは感じなかった。


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