第5夜 不運な邂逅

 不意に現れた他者の気配に、三人はいっせいに声のしたほうに視線をやる。


 紺青色こんじょういろの詰襟の洋装は、まぎれもなく輝真組の隊服。

 隊長格のみに許された長めの裾がふわりと風に揺れ、腰に帯びた刀が小さく音を立てる。


「こんばんはー、おねーさん」


 ひたいに鉢金を締めた聖が、のんびりとした足取りで近づきながら小さく手を振っていた。


(綾部? と、もう一人いる……?)

「っ!?」


 聖から一歩遅れて現れた男の姿に、巴はおもわず息を飲んだ。


 笑みを浮かべる聖に対して、男の表情は険しい。

 束ねられた長髪は烏羽色からすばいろで、揺れる毛先が今にも闇に溶けてしまいそうだった。


(輝真組副長、加茂徹也かもてつや……!)


 鋭い眼光を向ける彼の顔に、巴は人知れず息をひそめる。


「なんだぁ!? てめぇら!」

「お前らこそ何者だ。娘ひとりに、男が寄ってたかってなにしてやがる」

「ああん? オレたちゃ見てのとおり取り込み中だぁ!」

「わかったらさっさと行きな!」


 男たちが口々に吠える。野良犬を追い払うがごとく、男の一人が一歩前に出て空中を手で払った。

 だがその言動が単に強がっているだけなのは見え見えで、威勢のわりには二人とも腰が引けてしまっている。

 なんとも、情けないことこの上ない。やはり忠軍の幹部だというのは、ただのはったりだったようだ。


「っ、助けてください!」


 忠軍に身を置く者としては、輝真組に厄介になるのは非常に気が進まない。だが背に腹は代えられなかった。

 今ここで自分が大立ち回りを演じれば、逆に彼らから疑惑を持たれかねない。

 面倒ごとを最小限に抑えるには、素直に彼らに助けてもらうほうが得策である。


「この人たち、忠軍の幹部だって言って、さっきから無理やりっ……!」

「女! 黙ってろ!」

「っ!」


 前にいた男が振り向くと同時に頬を打たれる。

 乾いた音が周囲に反響した。

 余計なことをしゃべるなと脅す男に余裕がないのはあきらかで。


「ぐあっ……!?」

「よっちゃん!?」


 次の瞬間、巴に手を上げた男―よっちゃんとやらが背をのけぞらせてうめき声を上げた。

 彼の体は糸が切れた操り人形のように、その場に力なく崩れ落ちる。

 どこからか、錆びた鉄のにおいが鼻をかすめた。


「忠軍の幹部様が、俺たち輝真組を知らないとは驚きだな」

「輝真組だぁ?」

「ふふっ、本当に知らないんですね。かわいそうな人たち」


 抜き身の刀を構えた聖の後方で、徹也はあきれたようにため息をついた。

 市中では有名すぎるほどの彼らの存在を知らないとは、つくづく不運な男たちである。


「さ、下がれ! こっちには人質がいるんだぞ!?」


 相棒が斬られたことで、男に焦りが生じたらしい。

 刀を抜き、切っ先を輝真組の二人に向けると同時に、彼は慌てて巴の首に左腕をまわした。

 弾みで、頼りなかった蝋燭の火が消える。


「うわぁ、女の子を盾にするとか、卑怯にもほどがあるでしょー」

「聖、真面目にやれ」

「えー、僕いっつも真面目にやってるじゃないですかー」


 聖は悪びれる様子もなく、不敵な笑みを浮かべたまま。

 その表情は今の状況を楽しんでいるかのようで、感情が読み取れない。


 男の恐怖心はさらに煽られる。

 じり、じり、と後ずさりしようとする男に抵抗するように、巴は腹に力を入れた。


「巴ちゃん、そのまま動かないでね。ちょっとだけ、目ぇつむっててくれる?」


 聖の言葉に、巴は素直に従った。視界を遮断し、目の前を闇が覆いつくす。


「ひっ……! うぐぁっ!?」


 くぐもった男のうめき声とともに、頬になにかが飛び散ったのを感じた。

 馴染みのあるにおいが強くなり、首にまわされた拘束がすべるようにしてゆっくりと解かれる。

 どさりとなにかが地に沈む気配に、巴は静かにまぶたを上げた。


「大丈夫か?」


 いつの間にか目の前に立っていた徹也を無言で見上げる。

 次いで男が倒れているであろう地面に目を向ける前に、巴は聖に手を引かれ道の反対側へと誘導された。今は男たちが転がっているであろう後方には目を向けないほうがよさそうである。


「……あの、ありがとうございます」


 巴は徹也と聖に向かって深々と頭を下げた。

 都合よく現れた彼らを利用こそすれ、おかげで助けられたのは事実である。


 一方で礼の言葉もそこそこに、巴は早々にこの場から立ち去るつもりだった。これ以上は彼らに関わりたくはない。

 しかし、どうやらそれは叶わないらしい。「帰る」と口にした瞬間、すばやい動作で聖に両手を掴まれる。


「だめだめだめ! そんな格好のまま帰せないよ!」

「え……?」


 聖にそう言われてはじめて、巴は自身の身なりを確認した。

 着物の右袖は返り血で汚れ、白い帯には斑点のように不規則な模様が染み込んでしまっている。


「あ……」


 普通は悲鳴を上げるべきなのだろう。

 血の感触とにおいに慣れすぎてしまっていて、まさかこんなにもひどいありさまだとは思わなかった。


 あいにくと、巴はそこらのか弱い町娘ではない。

 いまさら血を見たくらいでうぶな反応などできるはずもなく。


「あの、大丈夫ですので、わたしはこれで」

「だからだめだって!」

「いえ、本当に……」

「怖い思いさせちゃったお詫びくらいさせて?」

「あの、えっと……」


 覗き込むように目線を合わせて小首をかしげた聖と目が合う。

 断固として譲る気がない聖は、眉尻を下げ申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


(ど、どうすれば……)


 返答に困った巴が徹也を見上げれば、彼は盛大にため息をついた。


「こいつは言い出したら聞かねぇんだ。悪いが、一緒に来ちゃくれねぇか?」


 できれば無茶を言う聖を止めてほしかったのだが、どうやら逃げることは叶わないらしい。

 徹也が懐から取り出した手ぬぐいが、まだ固まりきっていない返り血をぬぐう。

 巴は小さくため息をつきながら、彼らの言葉にうなずくしかなかった。



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