023最後の木

矢久勝基@修行中。百篇予定

023最後の木

 木、一つない見晴らしのいい丘に、柔らかい風が吹いている。

 なだらかに下っていく広大な野原と、その向こうに見える海。さらに向こうに広がる無限の空が、まるで時を止めてしまったかのように静かにたたずむその姿……。

 その風景に溶けている少年が、足を投げ出して座ったまま呟いた。

「天気だなー」

 彼のすぐ隣には、巨大な石像が埋まっている。なぜ埋まっているかと思えるかというと、首から上だけが丘の真ん中に突き出しているからだ。

 やけに縦長の顔に表情はない。目が彫られているわけでもなく、顔のシルエット……といった感じの、クラフトといっていい手細工の石像。

 二人並んで……空を見上げている。それが、三千年続いている。


「……」

 少年が口を開かなければ、そこにあるのはひたすら無音の時間である。

 雨も降らない。いっそのこと雨くらい降ってくれた方が「うわー雨だー」と言える分だけ楽しいかもしれないのに、ここには何の変化もない。

 人はもちろん、鳥も虫も飛ばない。遠くの海には魚も跳ねない。

「なんかしゃべれよ。お前」

 顔だけの石像にぼやく少年。が、この巨大で無口な造物はただ黙ったまま、空を見上げるだけだ。

「ホントはしゃべれるの、分かってんだぞ」

 声が、風と共に空気を揺らしては消えてゆく。三千年間そうだった。

 でも少年は彼の隣から離れようとはしない。いや、これまで何度も離れようとしてきた。三千年もあったのだ。ここではないどこかへ、彼の気持ちは幾度となく、新たな刺激へと向かった。

 しかし、最終的にはここに戻ってきた。なぜなら、何もなかったからだ。

 海に出ようにも、島にはイカダにするための木も生えてない。島を何百周しても、雑草と海水以外、何もない場所なのだ。

 ではなぜ、ここにぽつりと一体だけ石像が埋まっているのか。

 彼が物心がついてから現在に至るまでの謎であり、この巨大な手細工がしゃべるでもなければ糸口もつかめない。

 ただ……これは明らかに人間によって造られている。もちろん、少年が造ったものではない。

 ということは、この島には人間がいた。もっと言えば文明があった。これは間違いなかった。

「そいつらはどうしたんだ」

 彼は幾度となく聞いてみたが、冷たい石造りはひたすらに無口を貫いている。彼はだから、この無限の風景の中で、有り余る時間の中で、考えるしかない。


 島から脱出したのだろうか。

 いやしかし、手段がない。四面は海に囲まれているのだ。島の一番高いところ……石像の頭によじ登っても、見渡して見える他の島はないのだから、泳いで新天地を目指すなど自殺行為も甚だしいし、イカダなどでも同様だろう。そもそも木がない。この島の民たちに羽が生えていたのでもない限り、自力での脱出は不可能だった。

 では船か。

 その船はここで造られたのではなく、別で造られたものがたまたまその船がこの島にきて、住民を救助した。もしくはそもそもここに人は住んでおらず、よその民が来航し、この顔だけを造って去っていったとか。

「そうなのか?」

 少年は巨大な顔を見上げ、己の紡いだ推論を広げてみた。

 広げながら、少年は腕を組んでみる。違う気もする。だいたい、こんなものを造るだけ造って去る魂胆が分からない。こんなものはよほど土地に根付かなければ造るまい。

「ちょっとはしゃべれよ……」

「……」

 本当に無口な奴だ。でも、逆に言えば、本当に無口な奴というのは、こんなもんだろう。軽いため息一つ、もう少し考えてみる。というかさらにそもそも論がある。

 自分は、なぜ一人でここにいるのか。取り残されたのか最後の生き残りなのか。

 少年もさすがに何もないところからワンタッチで形成されたとは思っていない。

 自分がいる、ということは、誰かがいた……ということなのだ。

「お前、知ってるだろ」

 石像は空を見上げ、静かに呟いた。

「……」

「いやお前、それは何かを呟いたとは言わない」

 何となくナニカにツッコミをいれ、再び石像と同じ空を見上げる。

 しかし……だ。その上で、こうやって一人、思考を巡らせているのは嫌いじゃない。悩んだりしているわけではないのだ。すべての思考は、彼の養分であった。

 久遠の時に揺られながら、少年は己が何者なのか、どうして存在するのか、そしてどこへ向かうのかを考える。……三千年。


 少年は、膝を抱えてみた。

 思えば、自分がここにいる理由を自分が知らないはずがない。なぜなら、こんなに物を考えられるようになったのは、絶対にここに初めて座ってからではないからだ。いや……

 ここにいる理由は知らなくても、ここに取り残されたのか、ここに連れてこられたのかは分かるはず。

 それが分からなくても、何も知らないということはないはず。……はず。

 はず……なのに、何も覚えていない。

 あるいは本当に赤子の頃からひとりでに成長したのか。いや、そんなはずはない。なぜなら、今の姿であれこれ考え始めてから、彼は身体的な意味で一つも成長していないから。三千年成長しないものが、乳児から幼児の間だけ成長していたとは考えにくい。

「うーむ」

 しかし少年は、そのことに悩み沈むような思考を持ち合わせてはいなかった。もともと島には何もないのだ。何もかもから解き放たれたこの空間で、今さら何か覚えていなくても不足するものは何もない。

「仮に……だよ」

 少年は己の思考を繰り返す。

 こんな石像を造る以上、ここには共同体が存在したはずだ。生活があり、規則があり、利害があって、人は生きるためにさまざまな趣向を凝らしていたはず。

 しかしそうなると、これほどに何も残されていないのは不自然だ。

 いや、生活感が消えているのは、少年がここに迷い込んでから三千年が経っているわけだから、あり得るかは別にして、完全に風化したか何かが堆積して覆い隠した可能性もある。

 それ以前に、木もない島だから残る物を造れなかった可能性もあるが、ならばどう暮らしていたのか。この頭だけの石像をどう造り上げ、ここに埋めたのか。

 自然に考えるなら、やはりこの島には木が存在したのだ。人々は木を切り倒し、それをもって様々な加工を行い、原始的でも文明を築いていた。そうでなければこのような石像を造る足場が作れない。

 この石像が自らここまで歩いてきて、ここに腰を落ち着けたのでもなければ、ある程度高度な技術レベルと材料が必要なことくらい、少年にも理解できた。

「すると……」

 この風景は何だろう。なぜ木の一本も生えていないのか。災害が起きてすべてが燃え尽きたか、それとも必要に駆られてすべてを切り倒したのか。

 前者なら、あるいはこの石像の頭の下が埋まっていることも説明がつくかもしれない。

 古代、火山の噴火によって一日弱で灰に沈んだ街があるという。この野原が、堆積した灰に埋もれた都市の上にあるなら、何もない大地が広がっていてもおかしくはない。

 しかし、それならば自分も埋まっていてしかるべきだと思い直す少年。その災害の前からこの島に生きていたことが前提ではあるが。

 検証もできないので、さらに後者の可能性も考える。島に生えている木を、島に住んでいた者たちひとつ残らず伐採したとしたら。

 これほどの愚かで無計画な行いもない。ここの民は目先の利益だけを考えて我先にと自然を搾取し、種木までをも争奪して、ついには最後の一本まで食い散らかしたことになる。……挙句、人の住めない場所にしてしまった。

 彼らはきっと、無我夢中で最後の一本を切り倒したのだろう。罪悪感も躊躇も何もなく、己の欲望のためだけに、未来の芽を摘んだ。そしてここには、何もない地面だけが残った。

「だとしたら馬鹿だな」

 最終的には生活のよすがを失い、醜い争いを繰り広げて、人々は全滅したのだろう。それが欲によるものなら罪深いし、やむにやまれぬ理由があるなら、そうせずに済む方法を僕なら考えるのに……と、心に誓う。

 そのまま、少年は無言で石像の反応を見てみた。

 ……石像は、だまったままだ。


 ではなぜ、自分だけが生きているのか。それも三千年も。

「お前、知ってんだろ。教えてくれよ」

 考えるのは好きだが、ここにはあまりに、手がかりになる材料がなさすぎる。真実を求めるための材料くらいは欲しくなった。なにせ三千年……三千年も考えているのだ。

 ちなみに彼は、三千年経っても少年のまま、腹も減らないし、眠くもならない。

「僕って、ホントに人間?」

「……」

 己の、あまりの人間味のなさ(?)に苦笑いだが、石像は知らんぷりを通している。だが、ここには自信があった。

 自分は人間だ。根拠はないが間違いない。だから隣のコイツが何も答えなくてもいい。

 繰り返すが人間である。自分は確かに人間なのだ。三千年生きようが、過去の記憶がなかろうが、人間であることは疑いようもない。

 いやまて……

 ……〝過去の記憶がなかろうが〟の部分に彼は首を傾げ、違和感を頭に浮かべてみた。

 過去の記憶がないのに、自分は物を知りすぎてはいないか。

 いや確かに、記憶喪失は記憶の一部分だけを忘れることもある。強いショックを受けた部分や、努めて忘れたいことだけを忘れるケースもあるから、記憶がないのに知っていることがあること自体に、それほどの違和感はないとは思う。

 だがそうではない。少年の違和感は、記憶喪失が一部分であるという場所ではなかった。

(僕はあり得ない情報を知っている)

 木のない場所で木を知っているのは、記憶ではない。火山の噴火で沈んだ街の記憶だって、ここで生まれていれば知りえないものじゃないのか。

 ということは自分はここで生まれたわけではない。取り残されたわけではない。

 すべてが終わった後に、来たのだ。そう考える方が自然であった。

「お前……絶対知ってるだろ」

「……」

 こんな造物でも、彼にとっては唯一の相棒である。とりあえず話しかけてみるといういつものやり取りを済ませ、さらに思考を広げていった。

 さまざまな視点がある。ミステリー視点、SF視点、ファンタジー視点、陰謀論……。

 例えば、本当は人間最終兵器だと決めつけられて、どこかのカルト集団にさらわれて妙な手術を施された影響で、不死の身体にされて隔離されてるとか。

「つじつまが合わなくもないな……」

 隔離されてるのは世界を全破壊するための最終兵器だから。一部記憶が欠けているのは手術の影響。

「え、マジでそういうこと?」

 陰謀論を隣の相棒にぶつけてみる少年。しかし石像は動かざること山の如し。というか当たっていたらといって、答えてくれる保証はないのだが。

 では……と、今度はファンタジー視点に頼ってみる。

 実はここは死後の世界であり、他の皆がいなくなったり死んだりしたわけではない。むしろ自分だけが死んでおり、ここはいわゆる、死後のサナトリウムの一種なのではないか。

 つじつまが合わないこともない。だから三千年という時を生きているのだ。もとい、死んでいるのだ。

「そういうこと!?」

 しかしモアイは……(以下略)。

 そうでないとすると、SF視点。実はサイボーグ。だから三千年という時を生きて(以下略)。

「そういうことなの!?」

 しか(以下略)。

 ……意外に三千年という時を刻む方法が多くて驚く。しかし、共通して言えるのは、確かめる術がない……ということだ。

 まぁ、無限の時間を享受している。妄想している間、飽きが来なくていい。


 来る日来る日もそんなことを考えて三千年。正確には三千飛んで四百二十八日目。

 脇を見上げれば、しつこいが石像が空を見上げている。

「お前、ホントはしゃべれるの、分かってんだからな……」

「……」

 その言葉、何万回使っただろう。三千年もここにいれば使う言葉など限られてくる。その間、石像は一度たりとも一言も言葉を発したことはないが、少年にしてみればその言葉が唯一、彼とのコミュニケートだった。

 しかし、その日の少年はハタと気持ちが立ち止まる。

 ……オマエ、ホントハシャベレルノ、ワカッテンダカラナ……。

 幾度となく使ってきた言葉だ。しかし、思えばなぜ、ここ数千年しゃべったことのない石像が、本当はしゃべれることを知っているのか。

 これは、何も強がりやユーモアで言っているものではない。この石像が、実はしゃべることを、本当に知っているから……。

 ではなぜそれを知っている?

 少年が首をひねれば、答えは頭の中で、文字になった。

 ……だって、話しているのを見たことがあるから。

 話しているのを見たことがある……?

 それは誰とだ。自分か、他の誰かか。どこで?

 この島であるなら、他の誰かは考えにくい。少年この丘の上に座ってから一度たりとて、人間を見たことはない。記憶がないだけかもしれないが、いや、少なくとも今の記憶となってから、人を見たことは、ない。

 すると、会話をしたのは自分自身である。いったいどんな会話をしたのか。

 それを……覚えていない。

「うーん……」

 そこに、新たな違和感が生まれた。

「なんかさ。ずいぶん都合よく覚えてないよな」

 記憶喪失はそういうこともあると考えてみたものの、問題はその箇所にある。すなわち、雑学はいくらでも残っているのに、核心部分は覚えていない。

「……」

 石像は黙っている。少年は確信した。つまり、その部分は核心に近い部分なのだ。

 少年は、この石像と話したことがある。ここで、ならいい。しかしここでではない可能性を、少年は考えている。

 思ったのだ。かれこれ三千年の月日が経っているが、ここでやったことなど、ほとんど何もない。そんな中で、石像と話したなんて経験があるなら、忘れるわけがなかった。

 ではどこで?

 少年は再び石像を見上げた。何の会話をした。

 記憶を辿って辿って……なんとか、頭の片隅にある細い糸と糸を繋ぎ合わせようとする。

 そしてふと……みたび石像へと目を向けた。

「お前……」

 少年の目が透き通る。導き出した答えは、本人が意外なものだった。

「サン=タ=クルースのマザーコンピュータか……!?」


 石像は、動かない。動かないが、彼から、声が発せられた。

「ご名答です」

 その声で……

 すべてを思い出した。自分が何者なのか。どこから来たのか。

なぜ老いることなく、飢えることもなく三千年という歳月を生きたのか。

 ……これは仮想空間なのだ。

 少年は、少年ではない。隣のこれも、石像ではない。

 一人の博士号を持った研究家と、彼が生み出したスーパーコンピュータであった。

 彼はその頭脳と見識を、危機に瀕した世界に使おうとした。しかし世の中は彼の偏った主張を理解できず、耳を貸そうとしないばかりか嘲笑や攻撃の対象にしたのだ。

 彼は世界に手を貸すことを諦め、眠ることにした。地下数十メートルのシェルターに身を隠し、一体のコンピュータに睡眠状態の維持や栄養や体温、体調管理などの一切を任せたのである。

 『サン=タ=クルース』というこの電子頭脳は、人のゲノムを解析し、睡眠状態の彼の老化までをも極端に遅らせ、博士の生命の維持に努めていた。三千年……それは続いた。

「たいしたもんだ……」

「すべて貴方が作ったプログラムです。貴方には頭が上がりません」

「……思い出した」

 少年は笑った。そう。だからこの頭だけの石像は、ずっと斜め上を見上げているのだ。


 眠ってしまいたいと、当時彼は思った。しかし同時に惜しい……とも思った。

 彼は物を考えるのが大好きなのだ。眠ってしまったら物を考えることができない。せっかく生きているのに物を考えることができないことが、彼にとっては残念でしかたなかった。

 別に、難しいことでなくてもいい。有益なことでなくてもいい。何か考えることがあり、その考えに没頭できる状態こそが、彼の至福であった。

 そこで、彼はサン=タ=クルースに仮想空間を用意させた。眠りについたことや世界のしがらみを忘れた子供に転生し、何もない無人島で、日がな一日美しい自然に囲まれた夢を見る。

 自分のことだから、おのずとなぜそのような状況に置かれたかを考えるだろうし、肝心なことはすべて忘却しているわけだから、答えを導き出すのは容易ではないはずだった。

 サン=タ=クルースは仮想空間を作り出した時、シンボルとしての自分を設置してほしいと少年に……いや、男に告げた。

 彼はそれを了承した。唯一の相棒だし、何かのエラーが発生した時、アクセスが容易な方がいい。ただ、その際余計なことをしゃべられると興ざめなので、この電子頭脳に言っておいたのだ。

「俺がすべてに気づくまでは、一切の言葉を口にするな」と……。

 すべてに気づく時……それは、彼が目覚める時だった。彼にとってはそういうゲームであり、それらの仕組みをすべて、プログラムに組み込んでおいたのだ。

 仮想空間の隣に据える〝サン〟のデザインはこの男が決めた。大空を見上げるモアイ像。『貴方には頭が上がりません』が〝サン〟の口癖だったから、自分よりもはるかに巨大な石像にして、上を見上げさせたのだ。

「これで頭は下がらんだろ?」

 ……そう、笑いながら言ったのを思い出した。


「世界はどうなった……?」

「……」

 〝サン〟は相変わらず空を見上げたままだったが、

「貴方の比喩を借りれば……人類は、最後の木を、切り倒してしまいました」

「愚かだな」

「そして、その重大さに、彼らはいまだ気づいておりません」

「ふむ……」

 木を見て森を見ない。人は今だけを考え、己の利益だけを追求している。

 結果将来がどうなろうとも、その時に自分たちはいないのだから関係ないという利己的な考えが、世界を不可逆なものにしていく。まったく、人間というものは愚かなものだ。

「そうせずに済む方法を僕なら考えるのに……」

 何も知らなかった自分が呟いた言葉を一度反芻し、彼は続けた。

「さて……ではそろそろ俺の出番かな」

 少年は立ち上がった。伸びをして海のずっと向こうに目を向けると、〝サン〟は口も開かずに言う。

「世界はもう、不可逆なのに?」

「なぁに、そんな世界をどうするかを考えるのが俺の役目であって、解決できるかは世界の勝手だよ」

「貴方らしい」

「終わればまた寝るだけさ。もっとも、次は永眠でもいい」

 〝サン〟はそこで初めて……身体を震わせたように見えた。

「……では、そろそろ戻りましょう。木さえ生えない混沌の現代へ……」

 彼のそれは、一体どのような比喩なのか。こんどこそ、自分に居場所はあるのか……。


 ……三千年を生きた少年は、眠そうな目でその現実を受け入れようとしていた。

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