第19話 料理人、宿屋に泊まる
「お金はどうにかなったから、何か料理でも食べに――」
「いや、俺は遠慮しておく」
現地調査も含めて何かを食べに行こうとしたら、ゼルフは食べたくないと言ってきた。
そういえば、ゼルフは毒を盛られた料理ばかり食べていたと聞いている。
誰が作ったかわからないやつの料理は食べられないってことだろう。
俺だから安心して食べられていたことを忘れていた。
ただ、それはそれで相当大変な気がする。
「くくく、相当俺を信頼してるんだな」
「ふん、今頃気づいたのか」
ゼルフの言葉に背中がムズムズして、俺は恥ずかしくなってきた。
冗談で言ったつもりなのに、本気で返ってくるとは思っていなかった。
「さささぁ! 宿屋を先に寄った方がいいな」
俺は一番先頭で町の中を歩いていく。
連絡手段がない状況で、何も知らない町で離れ離れになると迷子になる気がする。
帰ってくる宿屋が決まっていたら、それは回避できそうだからな。
俺はさっき冒険者ギルドに向かう時に見た、ベッドの絵が描かれている看板を探す。
「宿屋はここでいいか」
「あぁ、俺は問題ないけど……本当にここにするのか?」
「えっ……? 何か問題でもあるのか?」
ゼルフに聞いてみたが答えは返ってこなかった。
ただ、その代わり視線を宿の看板に向けたまま、ほんのわずかに眉を寄せていた。
まるでこの宿をよく知っているような、そんな表情だ。
「いらっしゃい! 二人と……」
中に入ると、恰幅の良い女性が明るく声をかけてきた。
木のカウンター越しに、油の染みた帳簿が広がっている。
「ペットも一緒にいいですか?」
白玉を抱えて見せると、女将は一瞬だけ眉をひそめた。
「そういうのが好きなのね……」
だが、すぐに笑顔になった。
「部屋を汚さなければ問題はないよ!」
「助かります」
少し聞き取りづらかったが、白玉の羽根が抜けた時の心配でもしていたのだろう。
俺は魔石を売って手に入れたお金を袋から取り出す。
「あれ……金色?」
そこには眩く光る貨幣があった。
「兄ちゃん、うちでは金貨は使えないよ!」
女将は困ったような顔をしていた。
袋の中を覗くと数枚金貨が入っており、銀貨もさっきのものより大きい気がする。
それにこの宿屋がどれくらいの値段で泊まれるのかわからない。
「あぁ、すみません!」
俺は咄嗟に謝ると、とりあえず袋に入っている銀貨を一枚出した。
「大銀貨一枚ね! お釣りは銀貨五枚だ!」
どうやら銀貨より少しだけ大きいのは、大銀貨と呼ぶらしい。
銀貨が一枚1000円だったから、大銀貨は一枚で1万円の価値があるくらいだろう。
「ごゆっくり〜♪」
俺たちは鍵を受け取ると階段を上がっていく。
女将の妙に伸びた〝ごゆっくり〟の言い方に、少し引っかかりを覚えた。
「どんな部屋か楽しみだな」
「あっ……ああ」
どこか歯切れの悪いゼルフの反応が気になる。
日本円で5000円程度の宿屋はどんな感じだろうか。
きっとゼルフはわかっているから、何も言わないのだろう。
「それにしても鍵が一つってことは同室なんだな」
「同室ってよりは……」
――ガチャ!
鍵を回して中に入ると、俺はその場で固まってしまった。
部屋はやけに広かった。それに中央には、どーんと巨大なベッドが一つ。
「ベッドは元から一つしかないぞ?」
「おいおい、それを早く言ってくれよ!」
俺はこめかみを押さえてため息をついた。
「この宿は〝二人専用の休憩宿〟って看板に書いてあっただろ?」
「休憩宿……?」
「……まぁ、察しろ」
ベッドの周りには、やけに柔らかい布と香の匂い。
俺はようやく理解して、無言で天井を見上げた。
「女将のあの態度はそういう意味だったのか」
「ははは、まさか本当に気づかないとは思わなかった。てっきり誘われて――」
「それはない!」
俺はただ知らなかっただけだからな。
ゼルフは俺の反応を見て、肩を震わせて笑っていた。
きっと俺を騙して楽しんでいるのだろう。
「俺が説明してもう一部屋取ってくる」
そう言って、ゼルフは部屋を出て女将の元へ向かった。
『ハルト! 二人専用の休憩宿とはなんだ?』
「あー……」
白玉に聞かれたけど、どうやって答えるべきだろう。
きっと日本にもよくあったホテルだけど、さすがに直接教えるわけにはいかない。
「二人までしか泊まれない宿だな」
『ほぉーそうなのか。だから、オイラも一緒でいいかって聞いた時は険しい顔をしていたんだな!』
きっと険しい顔をしたのは、白玉を混ぜて休憩すると女将は想像していたのだろう。
いや、そこは普通に止めてほしいものだ。
――ガチャ!
ゼルフが部屋に帰ってきた。
だが、その顔は浮かない表情をしていた。
「ゼルフ、どうだった?」
「いや……今日は空きがないと言われた。それに喧嘩は良くないって……」
「俺たち喧嘩してたのか?」
なぜか女将から見たら、俺たち喧嘩しているように見えたのか?
きっとゼルフの無愛想な顔がそう思わせたのだろう。
「まぁ、寝るだけなら十分だろ? それに今までと変わらないからな」
「……あぁ」
俺としてはキッチンカーの中よりは広くて快適だから、特に気にしてもいない。
初めてキッチンカーで寝た時は、ゼルフに追いやられて身動き一つ取れなかったからな。
今回はベッドが中央にあるから、壁に挟まれることはない。
それだけでも天国だ!
「よし、じゃあ飯でも食べにいくか!」
『ご飯だー!』
宿が決まればあとはご飯を食べに行くだけ。
俺と白玉が部屋の外に出ると、ゼルフはゆっくりとベッドの上で腰かけていた。
「なぁ、本当に食わないのか?」
「あぁ……俺のことは気にするな」
いつも大食いかよって突っ込むような男が何も食べないと少し心配になってしまう。
朝はおにぎり7個と昼は肉巻きおにぎりを5個しか食べてないからな。
「あっ、俺が味見してからだったら大丈夫じゃないか?」
「いや、俺はいない方がいい」
まるでゼルフがいること自体が問題のような言い草だ。
毒が入っているかどうかなんて食べてみなきゃわからないし、俺が味見して毒だったら、その時はその時だ。
「俺が一人だと寂しいから来いよ!」
「はぁん!?」
そう言って、俺はゼルフの元へ駆け寄ると腕を持って部屋の外へ連れ出そうとする。
『ハルト、一人じゃないぞ? オイラもいるぞ!』
「だって、白玉が入れるかどうかわからないだろ?」
『クゥ……クゥエ!?』
飲食店ともなればコールダックの白玉が入れるのかわからない。
そうなったら、異世界での初めてのご飯がぼっち飯になってしまう。
社畜の時に一人で食べていたのと、そんなに変わらないからな。
「ご飯はみんなで食べた方が美味いぞ!」
俺はそう言いながらゼルフの腕を引っ張る。
抵抗するかと思ったが、意外にもゼルフは小さくため息をついて立ち上がった。
「……ったく、お前って本当に変わってるよな」
「褒め言葉として受け取っておく!」
廊下に出ると、外の空気がほのかに香辛料の匂いを運んできた。
どうやら町のどこかで夕飯の支度が始まっているらしい。
チラッとみたら、ゼルフはその匂いに一瞬だけ目を細めた。
そして、ほんの僅かに口元が緩んだのを俺は見逃さなかった。
「ほら、早く行こうぜ! 今日は毒なんて入ってない、
「……そうだな」
「いやいや、そこは〝ハルトの飯もうまいだろ〟って返せよ!」
俺は軽くゼルフの背中を叩く。
食事は一日の中でゆっくり心を休める時間帯だ。
そんな時までしかめっ面をしていたら、ご飯も不味くなるからな。
ようやく並んで歩き出したその背に、夕暮れの光が静かに差し込む。
ほんの少しだけ、ゼルフの影が軽くなった気がした。
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