第6話 自覚
天城が赴任してきてから一ヶ月が経った。
あのカフェでの出来事以来、俺は天城を避けるどころか、逆に意識せざるを得なくなっていた。あの日から、天城は週末に必ずバイト先に訪れるのだ。天城に声をかけられるたびに心臓は高鳴るし、授業中は常に落ち着かない。
そして今日は一限から英語の授業がある。
「最悪だ…」
そう呟くと、祐樹が不思議そうにこちらを見る。
「え?陽翔英語得意じゃん!英会話の先生になれるくらいペラペラだよ。どうやったらそんなにうまく喋れるんだよー」
「あー、昔習ってたんだよ」
本当は英会話を習ったこともなければ、海外へ行ったこともない。
英語が得意な理由は間違いなく前世の影響だ。外交のため、様々な言葉を勉強した。前世の言葉だって、日本語とは全然違う。様々な言語を習うのは苦ではない。
英語の授業が始まると、天城は教卓につくなり、まっすぐ俺の席を見た。
「さあ、今日は俺と簡単な日常会話をしよう。佐伯、こっちに来い」
教室が静まり返る中、彼は一瞬の逡巡もなく、俺を指名した。
「佐伯、週末はカフェでバイトしてるんだったな。お前が淹れてくれたコーヒー、美味しかったぞ」
教室全体がざわついた。特に女子からの視線が痛い。
天城の突然の暴露に、顔が熱くなるのがわかる。天城がニヤリと笑ったのを見て、反射的に立ち上がった。
「……ありがとうございます」
冷静に答えたふりをして教卓まで歩いていくと、天城は俺を他の生徒たちに向けて立たせた。まるで、俺が何か特別な存在であるかのように。
「テーマは、週末の過ごし方だ。」
そう言って、天城は英語で話しかけてきた。
『佐伯くんは、週末に何をしていた?』
『アルバイトをしていました』
『カフェだったね。忙しかったか?』
『おかげさまで。ただ、最低な客が来たので、気分は最悪でした』
俺はわざとらしく低い声で、天城先生だけに聞こえるように囁いた。
天城先生は、一瞬だけ楽しそうに瞳を輝かせたが、すぐに教師の顔に戻る。
『それは残念だ。しかしその最低な客は、君のことを気に入っているんじゃないかい?』
『それはわかりませんが。そいつは、たくさんの女性を誑かして遊んでいる最低なヤツなんです』
俺がはっきり言い切ると、天城先生は満足そうに微笑んだ。
『なるほど。つまり、君は彼を改心させたいわけだ』
『……何のことですか』
「ふむ。ありがとう、佐伯くん。とても面白い会話だった」
天城先生はそう言って、俺の肩に手を置き、ポンと軽く叩いた。女子生徒たちの間のざわめきが、敵意を帯びたものへと変わるのを感じた。
(どっと疲れた…。これが一限目…。きつすぎる)
女子の視線は痛いし、天城はそんな俺を見て楽しんでいる。
一日が始まって早々に疲労困憊であったが、テストも近いからと自分を奮い立たし、なんとか授業をこなした。
昼休み、祐樹と一緒に購買へ向かう廊下を歩いていると突然、クラスの女子生徒が俺たちの前に立ちはだかった。
「佐伯くん、ちょっといい?」
クラスの中でも飛び抜けて可愛く、男女問わず人気がある深月 葵(みつき・あおい)だった。彼女は、先週から天城に熱を上げている女子の一人だ。
「何、深月?」
葵は、周りを気にしながら、怒りを押し殺したような声で言った。
「天城先生と、どういう関係なの?」
「どういうって?」
「 授業であんな特別扱い、ありえない。それに、先生、佐伯くんがバイトしてるカフェに行ったって、今日以外にもみんなに話してるんだからね!」
祐樹が横でハラハラと見守っている。
「別に、俺がバイトしていることは隠してないし……」
「先生は絶対佐伯君に特別な感情を持ってる!!!!」
葵はそう言って、さらに一歩踏み込んできた。
「ねえ、佐伯くん。佐伯君は先生のこと、好きなの?」
「はあ?!なんでそうなるんだよ」
思わず大声を出してしまった。まさか自分が、あの女たらしのクズ野郎を好きだと疑われるなんて、想像もしていなかった。
「冗談じゃない! 俺があんな男を好きになるわけがないだろ! 最低な軟派教師だ、できることなら関わりたくもない」
「だったら、先生と距離を置いて。わかった?なんとも思ってないんでしょ。」
葵の言葉に、俺は立ち尽くした。
彼を改心させることが、エリシアの望みだ。
そして、俺のことを…
俺は目の前の葵を見据え、静かに言った。
「悪いけど、そんなこと深月に決められる筋合いないから」
「はぁ?!あのね、天城先生が佐伯君を特別扱いしてるってみーんな噂してるんだからね!変な噂立てられたら困るのは天城先生なんだよ?」
「そんなん今更だろ。元から軟派教師なんだから、そん時はそん時で天城が罰を受けるのは当然のことだと思うけど」
まさか言い返されると思っていなかった葵は驚きに目を見開いていたが、俺は祐樹に「行くぞ」と声をかけ、そのまま購買へと歩き出した。
(最低な男を、振り向かせる。それが、エリシアの望み)
俺の胸の中で、怒りと使命感、そして前世からの「愛されたい」という本能的な望みが、絡み合いながら熱を持つのを感じた。
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