【BL】殿下、現世で罪を償ってください

海豚寿司

第1話 最愛の人の、裏切りの瞳

炎と、血の匂い。


それが俺、佐伯陽翔が毎晩繰り返して見る「夢」の始まりだった。


豪華なシャンデリアも、磨かれた大理石の床も、すべてが燃え落ち、崩壊の音だけが響いている。自分は真っ白な、まるで花嫁のようなドレスを身に纏っていた。現実ではただの高校生なのに、夢の中の俺は、この国の誇り高き姫、エリシア・グランディールだった。


「エリシア……!しっかりしろ、目を閉じるな!」


叫び声が、火炎の轟音を貫いて届く。


視界の端には、僕を抱きかかえる男の姿。夢の中でも現実でも、彼こそが俺の最愛の人だった。隣国の王子であり、自分と婚姻を結び、この国の未来を共に担うはずだった人。


彼の名は、ルシアン・グレイヴ。


彼の髪は汗と血で額に張り付き、その美貌は絶望に歪んでいた。鎧は深い傷を負い、その重さにも関わらず、俺を腕の中で強く抱きしめていた。


「ルシアン……」


俺の喉からは、か細い声しか出ない。胸の奥に、鋭い痛みが広がり、もう長くはないことを理解していた。


「もうしゃべるな!今、回復の呪文を……」


彼は傷を気にせず、震える手で光の魔術を唱えようとする。けれど、彼の魔力は既に底を尽き、その光はすぐに途絶えた。


「ああ、くそ!なぜだ。なぜ、俺は……」


血まみれの拳で地面を叩く彼を見て、そっと手を伸ばし、頬に触れた。熱い涙が、その指先に伝わる。


「ルシアン……貴方様のせいでは、ありません」


「嘘だ。俺が、裏切り者の真の目的を見抜けなかったからだ。信じるべき者を間違え、守るべきもの全てを……国も、そしてお前まで……」


彼の青い瞳は、深い後悔と自責の念で満ちている。この戦争は、隣国との結びつきを恐れた国内の勢力が、巧みな計略でルシアンを陥れ、俺らの愛を引き裂くために仕組んだものだった。


裏切り者は巧妙で、私たちはその罠に、最後まで気づかなかった。


「ちがう、ルシアン。私にとって、貴方様が最後に隣にいてくださることが、全てです」


もう息をするのも辛い。体温が急速に失われていくのを感じながら、精一杯の愛を込めて、王子の目を真っ直ぐに見つめた。


「来世も……貴方様の、ただ一人の……」


途切れかけた最後の言葉を、ルシアンは血の滲んだ唇で受け止めた。


「誓う。千の魂を巡っても、お前を見つけ出す。そして……今度こそ、俺の命に代えても、貴方への愛を証明する」


その激しく切実な、地獄の業火のような誓いの言葉を最後に視界は白く染まり、そして――


「ハルト!!!遅刻!!!」


ドンドン、と部屋のドアが叩きつけられる音と、母さんの怒鳴り声で、僕は跳ね起きる。


全身から冷や汗が噴き出し、激しく息を吐いた。身体中の血が、逆流しているような錯覚。


「……あ、ああ、くそっ」


制服のシャツが汗で貼り付いているのを剥がしながら、時計を見た。


時計はとっくに家を出る時間を指している。


「終わった……」


夢の余韻でぐちゃぐちゃになった頭をどうにか動かし、5分で着替えを済ませ、トーストを一口齧って家を飛び出した。遅刻ギリギリで校門を駆け抜け、3年A組の教室のドアを開けたのは、予鈴の10秒前だった。


周りには、いつもの友人たちが呆れた顔で僕を見ていた。


「陽翔、またあの夢か?顔色悪すぎだろ」


席に着くと、幼馴染の祐樹が小声で尋ねる。あの夢のことは、数少ない親友にだけ話している。


「今日は特にひどかった。最期の言葉を交わしたところで目が覚めたから、全身が痛い」


夢の話をするたびに、祐樹は心配そうに眉をひそめる。俺だって、こんなファンタジーな夢が現実と錯覚するほど鮮明なのが異常なのは分かっている。


朝のホームルームが始まり、担任の西川先生がいつも通り穏やかな声で話始めた。


「先週伝えた通り、私事で大変申し訳ないが、今日でここに立つのは最後になる」


ザワザワと生徒たちが騒ぎ出す。西川先生は実家の都合で急遽地元へ帰ることになってしまったのだ。


「そして、急な話だが、今日から新しい担任の先生が赴任してくる。みんな、仲良くやってくれ」


西川先生は教室のドアに視線を送った。


「入っていいですよ」


カツカツと、革靴の音が教室に響く。ドアが開かれ、そいつが教室に入った瞬間、陽翔の全身の血が凍り付いた。


――ルシアン


夢の中で俺を強く抱きしめ、永遠の愛を誓ったはずの、あの王子の顔。そのものだった。


すらりと背が高く、完璧なまでに整った顔立ち。黒いスーツを着崩して立っている姿は、モデルか俳優のようだ。しかし、その顔に宿る眼差しは、王子の瞳にあった誠実さとは程遠い、退屈と諦めを混ぜ合わせたような、冷めた光を放っていた。


「どうも。今日から君たちの新しい担任になった、天城 陵だ」


声。


低く、響くような、そしてどこか人を惹きつける魅力を持つ声。間違いなかった。夢の中で何度も俺の名を呼び、愛を囁いた、あの声。


――千の魂を巡っても、お前を見つけ出す。


王子の誓いの言葉が、耳の奥で激しく反響する。鳥肌が全身を覆った。


天城は教卓の前に立ち、だるそうに片手で黒板に「天城 陵」と書きなぐった。


「教科は英語。特にこれといって話すこともないが……そうだな」


天城は教室全体を見渡し、まるで値踏みするかのように女子生徒たちに視線を向けた。その視線は露骨に品定めをするようで、いくつかの女子が小さく歓声を上げた。


「俺は、まあ、それなりに君たちに『興味がある』。特に、可愛い生徒にはね。遠慮なく声をかけてくれていい。ただし、授業中は別だ。うるさい奴は容赦なく窓から放り投げる」


彼はニヤリと笑った。それは、王子時代には決して見せなかった、下劣で享楽的な笑みだった。


「可愛い生徒が多くて嬉しいよ」


「天城先生、そういうのはあんまり…」


西川先生が天城の言葉を制止する。


「失礼、つい本音が出てしまいまして」


陽翔は、胸の奥で激しく燃え盛る怒りと、抗えない震えを感じていた。


彼は、彼だ。間違いなく、あのルシアンだ。


なのに、この教師は、あの高潔で一途な王子とは似ても似つかない、軽薄な男。


「……ありえない」


陽翔は震える唇で呟いた。


「え?佐伯?」


祐樹が怪訝な顔で僕を見た。天城陵の耳にも、その小さな呟きは届いたらしい。


天城は、初めて陽翔の方へ視線を向けた。その青い瞳が、僕を射抜く。


その瞬間、陽翔は全身を打ち抜かれたような感覚に陥った。それは、夢の最後に見た、燃える城の中で、僕を抱きしめた絶望の瞳。あの時の光が、一瞬だけ、天城の瞳の奥に宿ったように見えた。


だが、それはすぐに消え去る。


天城は、陽翔の戸惑った表情を見て、つまらなそうに鼻で笑った。


「なんだ、佐伯。俺に何か言いたいことがあるのか?授業が始まるぞ。教師には極力目をつけられない方がいいと思うけどね」


そう言いながらも、天城の口元は笑っている。それは、まるで陽翔の心の動揺を見透かしているかのような、挑発的な笑みだった。


陽翔は震えを押し殺し、強く拳を握った。


(殿下、貴方様が犯した罪は、私を守れなかったことじゃない。貴方様はあの時の約束を忘れ、最低な軟派野郎になって、私を見つけ出した。私はこの時を何年も待ち望んでいたというのに)

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