バグバグ

藤泉都理

バグバグ




 横断歩道を渡る前は必ず左右左、右左右を見て自動車などが来ていない事を確認する事。

 前の人が横断歩道を渡っているからといって絶対に安全確認を怠らない事。

 前の人が歩いているから大丈夫だとつられて渡ってはいけない決して。

 そんな事をしようものなら。




「ああ。やはり死ねませんでした」

「え? え? え?」



 自殺願望のある魔王と入れ替わる、なんて事態に遭遇するかもしれないのだから。






 漸く勝ち取った就職先はブラック企業で。

 いつの時代だと訴えたくなるほどのハラスメントのオンパレードで。

 二十七時間働けますか精神で会社に尽くせって、一日は二十四時間しかありませんけど、いえそもそも二十四時間働けるわけがないですけどね。

 つらつら思いながら画面上の白文字記号を生み出すべく、ただキーボードを叩き続ける日々。

 あれ俺は一体何をしているんだっけああそうかゲームを作っているんだっけファンタジーRPGゲームを作ってるんだっけ原因不明のバグが出まくって出まくって出まくって俺のひどい隈のせいだって理不尽に怒られているんだっけ俺のひどい隈のせいだからって俺のひどい隈が誕生したのは君たちのせいだっての。


詩紋しもん。おまえ。あそこ辞めて俺のところに来い』


 大学のゲームサークルの先輩に誘われてブラック企業と縁を断ち、ホワイト企業に就職してからもひどい隈は残り続けた二十代男性の詩紋は今、自分と相対していた。




「え? え? え?」

「ああまた死ねなかったです。私が魔王だから。ああもう魔王を辞めたい。七十二時間寝ないで働けますよね魔王だからって。魔王だからって七十二時間寝ないで働けませんよ。勇者の封印から解いてあげたんだから言う事を聞きなさいって。嫌ですよ。誰も頼んでませんよ封印を解いてくれなんてもう眠ったままでいたかったですよこんなに働かせられるぐらいなら。うう。辛い。辛すぎる。結界を張り続けるために地味に体力は削られますし。魔物同士の小競り合いにも人間の襲撃にも駆り出されますし。本当に眠れていませんよ。一か月も眠れていませんよ。眠れていないのに過労死しませんよ。えらく頑丈な肉体が恨めしい。だから人間に擬態してトラックに轢かれれば死ねると思ったのに。うう。人間の肉体に私の魂が入っただけ。人間の魂が私の肉体に入っただけ………っは」


 詩紋はさめざめと泣く自分に両の手を強く握りしめられたかと思うと、あなたは魔王になりましたおめでとうございますと言われたばかりか、君の肉体は私が責任を持って世話をしますのでよろしくお願いしますとも言われてしまったのである。


「では、失礼します」


 詩紋が満面の笑みを浮かべる自分が俊敏に立ち上がって駆け走っていくのを茫然と見つめていた。のは。一分間ほどであった。素早く立ち上がって追いかけては、即自分の身体を捕獲する事に成功したのであった。






「私の名前は月姫げっきと申します。魔王です。君たちの世界とは別の世界に暮らしています。今、私と君が居るのは私の世界です。トラックに撥ねられた衝撃で私と君の魂が入れ替わったばかりか異世界へと移動したみたいで。えへへ。君たちの世界の人間の肉体っていいですね。か弱くて。瘴気に満ちた私の国に立っているだけですでに死にそうです」

「ちょちょちょちょちょっ! 死なないでくれよっ! 俺は漸く人生が楽しくなってきたんだからなっ! これから人生を謳歌するんだからなっ!」

「えへへ。私の、魔王の肉体でどうぞ謳歌してください」

「嫌だよもうっ! 早く俺の肉体を返せよっ! 俺の世界に帰せよっ!」

「あ。ちなみに君の今の姿です」


 濃淡の差はあれど紫の色しか存在せず不気味な木が乱立する世界で半泣きになった詩紋。しかし月姫に見せてもらった鏡で今の自分が、大きな二本の牙と内向きに歪曲した二本の角が加わった二足歩行できるライオンのような姿をしているのだと分かって、涙が引っ込んでしまった。


「うお。強そうだな。流石は魔王」

「でしょでしょ。そちらの世界の人間は異世界転生が盛んで、ノリノリで異世界転生先で人生を謳歌していると聞きます。さあ。君も第二の人生を謳歌するのです! 人間だった時の肉体はもう忘れるのです」

「手助けする」

「え?」


 ぱちくり。

 月姫はやおら目を瞬かせた。


「だから俺が君の過労死塗れの働き方改革に手を貸す………俺も先輩に助けられて、人生を謳歌できるようになった。だから今度は俺が君を助ける」

「え? え? え?」


 赤面した月姫。詩紋の頼もしさに胸が高まり続けた。

 人間にどうにかできる問題ではないと頭の片隅で思いつつも、この人間ならばどうにかしてくれると思ってしまう。思わせてしまうのだ。


(ですがこの胸の高まりは、それだけじゃない。ような)


「え? あの。いいのですか? 本当に」

「ああ。だから入れ替わり状態を解除してくれ」

「逃げませんか?」

「逃げたところでか弱い人間の俺が魔王の君から逃げ切れるわけがないだろ」

「そ。そうですね………では」


 月姫は呪文を唱えた。

 すれば、無事に魂が自分の肉体へと戻ったのである。

 詩紋は見慣れた自分の手を見つめて安堵したのも束の間、急激に身体が重たくなったと危機感を抱くと同時に、月姫に顎クイされるばかりか、ちょこんと、詩紋のひどい隈に月姫の唇が触れたのである。


「え? あ。え?」


 眼前に立っていたのはライオンの姿の月姫ではなく、内向きに歪曲した二本の角は残ったまま、二本の大きな牙は八重歯へと変化した、目つきが鋭くも麗しい人間の男性に変化した月姫であった。

 美しさに性別は関係ないと、思わず魂が奪われそうになった詩紋。なんか身体が軽くなったとぼんやりと思った。


「い。一時的にですが、君には私の眷属になってもらいました。これで私の国でも瘴気に身体が蝕まれる事なく自由に動く事ができます」

「ああ………ああ。助かる。じゃ。じゃあ。君の職場に行こうか」

「はい」


 月姫のはにかんだ微笑に、動悸が激しくなってしまった詩紋。あれ俺って面食いだったのかと思った。


(いやいやいや。魔王だし。恐怖を感じてしまったんだな。うん。働き方改革に成功したら帰るし。俺は俺の世界で俺の人生を謳歌するんだ。うん。ふう。よし。落ち着いてきた。何たって異世界だからな。色々動転しちまったようだ)


「あの。詩紋。働き方改革が成功するまで傍に居てくださいね」

「ああ」


 動揺が鳴りを潜めた詩紋。絶対に成功させるからなと言っては力強く足を踏み出したのであった。


(ああなんて堂々としているのでしょう。異世界だというのに気圧されていない。こんなに頼もしく感じるなんて。っは。もしやこの方が私の運命の番では………だとしたら。元の世界に戻るかもしれませんがもしかしたら残ってくれる可能性も無きにしも非ず。ですよね)


「私、頑張ります」

「元気が出たみたいだな」

「ええ。とてもやる気が出ました」

「それはよかった。絶対に働き方改革を成功させよう」

「はいっ!」


(早く働き方改革を成功させて、この世界で私と共に生きていこうと思ってくれるようにさせて。そして、詩紋と甘い生活を送れるように頑張ります!)

(うんうん。元気になってくれてよかった。やっぱり、ホワイト職場であってこその人生だし。力になるぞっ!)











(2025.10.11)



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