彫刻と朱

雪峰

彫刻と朱

 私のクラスには彫刻みたいな女がいる。

 彫りが深くて綺麗な顔で、背が高くてスタイルがいい。きっちりと身に着けた制服には糸屑のひとつもない。

 いつも物静かで真面目で、目立った言動をするわけでもないのに、自然と人の視線を吸い寄せている。


 あ。きれいな彫刻。と反射的に第一印象で思ってから、私の脳内イメージはずっと彫刻。

 べつに口に出すこともない。本人と話すこともない。だって機会もとくにない。


(高校生離れしてる……というか、人間離れしてる?)


 同じ女で何でこうも違うかなあ、という気持ちも無いわけでもないが、ここまで差があるといっそ清々しい。

 生まれ持った「格」とかが別物なんだなあと、もはや嫉妬する気持ちも湧いてこない。


 私にとって「喜多川きたがわ涼乃すずの」とはそういう女で、単なるクラスメイトの一人だった。

 ある日までは。





 その日、私は居残り補習のプリントを手に、社会科準備室に向かっていた。

 廊下に出るとひんやり肌寒い。そろそろ学校にブランケット持って来たい、まだ早いか? なんてことを考えながら早足になる。


「しつれいしまーす。先生ー」


 担任の結崎ゆうさきあん先生は、放課後は職員室ではなく社会科準備室にいることが多い。

 職員室より近いから、そっちの方がありがたい。


「補習の課題終わりました……け、ど……」


 引き戸を開けて、私は言葉の途中で口ごもった。


 そこには結崎先生と、「彫刻の女」がいた。

 先生は彫刻の胸に頭を預けて寄り添っていて、大理石みたいになめらかな指がその髪に絡んでいる。


 喜多川涼乃と、目が合った。

 思わずくるりと背を向けながら扉を閉める。


「涼乃ちゃん、か、鍵……」


 中から震えた声が聞こえたような気がしたが、構わず廊下を引き返す。


「待って!!」


 たちまち、上履きが廊下を駆ける音が響いて、気づけば肩を掴まれていた。


久木くのぎさん。待って」


 有無を言わせぬ強い力と口調だった。


「なに……喜多川さん」

「いま見たこと、誰にも言わないで」


 形のいい額にうっすらと汗が滲んで、唇の端がふるえている。

 ふうん。このひと、こんな顔もするんだ。

 何か不思議なものを見た心地になった。


「言わないよ。余計なトラブルとか、ウラミとか買いたくないし」

「本当?」

「うん」


 肩に食い込んでいた指から、少し力が抜けたような気がした。


「もういい?」

「あ……ごめんなさい。でも、本当にお願い」

「わかってる」


 喜多川さんは青ざめた顔をして、ようやく私の肩から手をどけた。

 

 そんなにこの世の終わりみたいな顔をするなんて、よっぽどやましいことがあるのか、と勘ぐってしまう。

 まあ先生と生徒だもんね。後ろめたくもなるかあ。


「じゃあね。喜多川さん」

「うん……」


 提出しそびれたプリントを鞄に突っ込んで、廊下を後にする。

 しまった。喜多川さんにプリント預ければ良かったかな。

 いや、向こうからしたらそれどころでもないか。


(……っていうか、意外だな)


 品行方正、ってカンジの喜多川さんが、学校で先生とベタベタしてるなんて。

 結崎先生も結崎先生で、ほわーっとした良い先生って感じだったのに、まさかすぎる。


(だから私にとって何ってワケでもないんだけど……)


 スマホをひと撫ですれば、現れた新作フラペの情報に、私の興味はすぐにそっちへ移っていた。





 翌日の朝、校門の近くで喜多川さんと出くわした。

 目が合って、何かを言いたげに眉間が歪む。

 私が昨日のことを人に言ってないか、心配してるんだろうか?


 声をかけないのも何か不親切な気がして、喜多川さんに向かって軽く手を振る。


「おはよう」

「お……おはよう」


 喜多川さんが立ち止まる。必然的に、歩いていた私が喜多川さんの隣に並ぶ。


「ねえ、喜多川さん」


 教室まで沈黙が続くのも気まずかったので、声をかけてみる。


「……なに?」

「そんなに好きなの? あの人のこと」

「な……なんの話を……」


 喜多川さんの普段は涼やかな瞳が、大きく見開かれる。

 これも、見たことない表情だなと思う。


「ごめんね。ちょっと気になっただけ」


 いきなり深く首を突っ込みすぎたかと反省する。

 でも、ほんの少し好奇心が芽生えてしまった。


「私も中学の時は、人とつき合ったことあるけど、学校でイチャつきたいとまでは思わなかったから」


 それ程までに人を好きになるとは、どういうことなのか。

 恋ってそんなに良いものなのか。


「言えるわけないでしょう」


 彫刻のような無機質のうつくしさを真っ赤に染め上げるのは、どんな感情なのか。


 喜多川さんは、首まで真っ赤に染まっていた。


「ちょっと自販機まで歩かない?  喜多川さんは普段なに飲むの」


 寄り道を提案する。こんな顔の喜多川さんを教室に連れていったら、きっとクラス全員の視線が集中してしまう。


「私は、家で紅茶を作って来てるから……」

「え、いいな。私もそうしようかな」

「先週からホットにしたの。急に寒くなったでしょう」

「だよね。あ、ブランケット持ってこようと思ってたのに忘れた」


 喜多川さんが自分の鞄を少し持ち上げる。 


「私、カイロ持ってる」

「準備いいー」

「何枚かあるから、冷えに耐えられなくなったら言って」

「いいの? ありがとう」


 ふわり微笑が花ひらく。また、見たことのない表情。

 ぜんぜん知らなかったな。けっこう表情豊かってこと。


 校舎に着いたら会話が終わってしまう気がして、なんとなく足がゆっくりになる。


「喜多川さん、寒がり?」

「え?」

「この時期からカイロ常備してるってことは、そうなのかなって」

「私と言うより杏さんが……」


 喜多川さんは言いかけて、すぐに口をつぐんだ。


「きゃー! そこまで言うならもう言っちゃいなよ」


 なんだか楽しくなって、思わず喜多川さんの肩をパシパシと叩く。

 ちょっと力強かったかも? まあ私も昨日同じとこ掴まれたからお互いさまでしょ。


「い……」

「い?」

「言ったら、誰にもひみつにして、聞いてくれる?」


 そう言って頬を朱に染める喜多川さんの表情は、彫刻なんてイメージが吹き飛ぶくらいやわらかくて、あー、結崎先生もこういうとこにときめいたのかな、と思うのだった。


「私が恋してるって知られると、みんな言うの。『依存するな』とか、『自立しろ』とか。でも先生は違った」

「そうなの? 私は『恋愛しないなんてもったいない』って言われたことはある。そんなのひとの勝手っしょ」


 何してようが言葉が飛んでくるなら気にしなくていいじゃんね、と付け加えた。


「恋に夢中になれて羨ましい。それの何が悪いの」

「久木さん……」

「って、ゆーほど私、まだ喜多川さんのこと知らないけど。だから、」


 喜多川さんとまた話す約束をして、そうしたら吹き抜ける風が季節外れに暖かく感じた。

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彫刻と朱 雪峰 @atalayoata

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