2-3

 一悶着ありそうな雰囲気を脱して、涼介も気持ちを切り替えて美波の正面に座る。


「それじゃ東さん。今日も記憶術について指導を始めるけどいいかな?」

「おう。始めてくれ師匠」


 有紗が気になるのか、有紗を一瞥してから言った。

 涼介は昨日と同じように美波の気持ちが出来上がったのを見計らってから記憶術の授業を始める。


「昨日は僕が使ってる場所法の仕組みについて説明したから、今日はまずどうして覚えられるのかを解説するよ」

「おう」


 美波が頷くのを見てから解説に入ることにした。

 涼介の隣に席を取っている有紗は、涼介に解説を任せるらしく黙っている


「最初に基礎的なことを聞くけど、トランプには四種類のスーツいわばマークが十三枚ずつあるんだけど、東さん四種類わかるかな?」

「なんだっけか。クローバー、ハート、ダイヤ……あと一つ忘れた」


 美波は指折り数えて答えるが諦めて涼介に目を戻した。

 涼介は微笑みを浮かべながら親切に答えを教える。


「あと一つはスペードだね。クローバー、ハート、ダイヤ、スペード、この四種類があることをまずは頭に入れてほしい。とはいえ、トランプのスーツ自体の知識はそれほど重要ではないけどね」

「そうか。ならどんな知識は重要なんだ?」

「知識というよりも準備かな。例えばハートの1は『ハイ』という語呂に合わせる。次に語呂に合わせて覚えるときに使うイメージを決める。ハートの1だったら灰皿とか、ハイエナとか、ハイボールとか。

 ハートの2だったら『はに』や『はつ』。イメージは埴輪とか初詣とか。

 ハート3だったら『はみ』や『はさ』。歯磨き粉とか、ハサミとか、こんな感じでトランプ一枚一枚に固定のイメージを作ってるんだ」

「じゃあ師匠は覚えるときに毎回同じイメージを思い浮かべていたのか?」

「完全に同じってわけじゃないけど、まあ同じに近いかな」


 美波の質問に涼介は微苦笑して答えた。

 初心者の美波に考慮した話し方をする涼介だったが、美波の斜向かいに座っていた有紗が聞き捨てならない様子で口を開いた。


「東さんが考えてるほど簡単じゃないですよ。涼介くんぐらいになると一枚に二つ以上のイメージを作ってあります。一つだとイメージが被りやすいですから」

 涼介を持ち上げるように有紗が補足するも、美波は理解しかねたきょとんとした目を涼介に向けている。

 涼介は有紗の後を継いで説明をつけ足す。

「平野さんのやり方は確かPAO式だったかな。PがPersonで人、AがActionで動き、OがObjectで物、人と動きと物の三つでストーリーを作るんだよ」


 出来る限り易しく説明したつもりだったが、当の美波は眉をしかめて難解そうにノートの上のペンを持つ手を止めていた。

 美波が匙を投げてはいけない、と涼介は慌てて口を動かす。


「いきなり三種類もイメージを作らなくていいよ。まずは一枚に一個のイメージを作ってトランプを記憶してみようか」

「すまねぇ師匠。あたし頭悪いな」


 不甲斐なさで落ち込む美波に、涼介は首を横に振って否定する。


「そんなことないよ。昨日七つも覚えられたじゃないか」


 もちろん涼介の実力でいえば七品目ぐらい朝飯前の記憶数である。

 それでも彼の慰めは美波には効いたようで、美波は褒められた子供のように嬉々として表情を緩めた。


「そうか、そうだよな。師匠の教えがなかったら七品目も覚えられなかったもんな」

「いきなり僕や平野さんみたいにはいかないよ。でも段階を踏んでいけば東さんだって覚えられる量が増えていくはずだよ」

「それで師匠。今日はどんなこと教えてくれるんだ?」


 前向きに弾んだ声で涼介の指導を催促した。

 傍の有紗が気に食わない様子で不服な目を涼介に注いでいるが、涼介は有紗の視線には気が付かないまま授業を再開する。


「そうだなぁ。トランプの記憶に使うイメージの話をしたから一緒にトランプ五十二枚のイメージを作ってみようか?」

「師匠と一緒にか。やる。ノートに何か書くことあるか?」

「せっかくノート出してくれてるから、縦13マス、横4マスの枠を書いて」


 涼介の指示に美波はいそいそとノートに升目を作り始める。

 美波が線引きに意識を傾けている間隙を突いて、有紗が涼介の袖を引っ張った。

 涼介が振り向くと、有紗は機嫌を損ねた膨れ面で上目遣いに睨む。


「初心者だからといって甘やかし過ぎです。こんな調子じゃ涼介くんからの免許皆伝がいつになるのか目途がつきません」


 有紗の指摘を最後まで聞いてから涼介は困った顔を返す。


「別に甘やかしてるつもりはないけど、東さんの意欲を挫きたくないんだよ」

「そうですか。優しいのは涼介くんの良い所ですけど、あまりのんびりしないでください」


 美波の線引き作業が終わるのを見計らって有紗は話を締めると、拗ねたように口を噤んでしまった。

 涼介の指示を遂行した美波がペンを止めて顔を上げる。


「師匠、出来たぜ。こんな感じでいいのか」


 浮ついた声で五十二個の升目を書いたページを見せて、涼介は頷いた。


「それでいいよ。じゃあ次はその升目一つずつにイメージを埋めていこう」

「おう、師匠」


 意気込む声色を出す美波。

 彼女の意欲に乗っかるような心持で涼介は指導を進める。


「それじゃ、まずはスペードから埋めていこう。1は『スイ』だね」

「スイか。スイ……すいか?」


 どう、と窺う目で美波は涼介を見る。


「すいか、いいね。イメージしやすいと思うよ」

「そうか。いいのか……」


 涼介に合格を貰うも実感に乏しい反応をして、じんわりと喜びは身に染みてきたように笑顔を浮かべた。


「こんな感じでいいんだよな、師匠?」


 お土産を買ってもらった子供のような喜色を見せる美波に、涼介は微笑を我慢しながら頷きを返す。


「次はスペードの2。『スニ』とか『スツ』だね」

「スニーカー、スーツ。他にはあるか師匠」

「スツールとか、背もたれのない椅子のことだよ。東さん自身がイメージしやすい物を選ぶといいよ」

「わかった。じゃあスニーカーだ」 


 上機嫌な美波と意欲ある教え子を前に指導の熱が入る涼介。二人で話し合いながら順調にノートの升目を埋めていく。

 だが一人だけ蚊帳の外に置かれている有紗が表情を歪め、スペードの欄を埋めたタイミングで美波のノートの端を軽く二度指で叩いた。

 不意の介入に目を見張る涼介と美波に向かって、有紗が怒り眼で口を開く。


「二人で勝手に進めないでください。私がここにいる理由は何ですか?」


 不機嫌に告げる有紗に、美波が五月蠅げに眉根を顰める。


「知らねぇよ。教える人は二人もいらねぇ、用がないなら帰れ」

「私も協力するって言いました。なのに私の方を見向きもしないじゃないですか!」

「師匠一人で事足りるんだよ。勝手に言い出しただけだろ」


 有紗の抗議が癪に障った美波は容赦なく言い返した。

 口論になりそうな雰囲気を感じ取った涼介が慌てて有紗へ声を掛ける。


「せっかく協力を申し出てくれたのに意見も聞かずに進めちゃって、ごめんね平野さん」


 涼介が謝った途端、有紗は顔を綻ばせて首を横に振った。


「涼介くんが謝ることじゃないです。先生役が二人もいるのに片方には視線も合わせない東さんが問題なんですから」

「あたしが悪いのか、どうなんだ師匠?」


 有紗の物言いが不服で美波は涼介に聞き返す。

 涼介からすれば美波が悪いとも思っていないので美波へ笑いかけた。


「東さんが悪いわけじゃないんだよ。東さんはトランプのイメージを覚えるのに集中していたから」

「そうだよな師匠。あたしは無視してるつもりはないから悪くないよな」


 涼介の返答に気を良くして繰り返し頷く美波、一方で有紗が涼介へ非難の目を送る。


「涼介くん、私の身にもなってください。先生役を引き受けた教え子に意図的ではないにしても無視されてるんですよ。どうしてここにいるんだろう、って思うじゃないですか」

「まあ、東さんに悪気はないから。そんなに責めないで」


 有紗に寛容を求めつつも、涼介はすぐに美波へ顔を向ける。


「東さんも僕だけじゃなく平野さんにも意見を求めてみてよ。平野さんは本当に実力も実績も申し分ないから良いアドバイスをしてくれると思うよ」


 美波は納得いかない顔つきをしたが、師匠である涼介に反抗したくないらしく仕方なさそうに愁眉を開いた。


「師匠がそう言うなら……そうする」

「ありがとう東さん。それじゃ、続きを始めようか」


 こくんと頷いて美波が涼介に促されるままノートへ視線を落とす。

 美波のあまりの従順さに有紗が呆けた顔をしているが、涼介と美波は有紗の表情には気が付かないままイメージ作りを再開する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る