第11話「君のすべてを、私が守る」
海の王子の脅迫にも、レオニールの表情は一切揺らがなかった。彼の心は、とうに決まっていた。国の安寧?民の平和?それらも確かに王族としての責務だ。だが、今の彼にとって、シオンのいない世界など、想像することすら耐え難い地獄だった。
あの雑音と孤独に満ちた日々に戻るくらいなら、死んだ方がましだ。
シオンの兄が、焦れたように再び口を開く。
「どうした、人間の王子。決断はついたか。弟を差し出せば、我らの海は貴殿らの船を祝福しよう。だが、拒むというのなら――」
その言葉を遮り、レオニールはゆっくりと、そしてはっきりと首を横に振った。そして、傍らで不安げに佇むシオンの肩を強く抱き寄せ、兄の前に立ちはだかった。
彼は、傍にあった紙とペンを手に取り、力強い筆致で文字を綴る。その紙を、兄の目の前に突きつけた。
『シオンは渡さない』
たった一言。しかし、そこに込められた決意は、何よりも雄弁だった。
兄の目が、驚きに見開かれる。一介の人魚のために、一国の王子が、自国の危機を招くかもしれない選択をするとは。にわかには信じがたいことだった。
「正気か、貴様…!たかが人魚一人のために、国を危険に晒すというのか!」
兄が激昂する。しかし、レオニールの瞳は、氷の湖面のように静まり返っていた。彼は続ける。
『彼が災いを呼ぶというのなら、その災いごと私が受け止めよう。彼が背負う重荷があるのなら、私も共に背負う。彼はもはや、私の世界のすべてだ。誰にも渡すものか』
その言葉は、兄だけでなく、隣にいたシオンの心にも深く突き刺さった。
(レオ…)
自分のために、レオニールが、彼の兄に、ひいては人魚の国にまで逆らおうとしている。その事実に、シオンの胸は喜びと同時に、激しい痛みで締め付けられた。自分のせいで、愛する人が苦しい立場に追い込まれている。
「やめて、レオ…!僕のせいで…!」
シオンが悲痛な声を上げた。
しかし、レオニールはシオンの言葉を遮るように、優しく、しかし力強く彼を抱きしめた。そして、耳元で、自分の声が雑音になることも厭わずに、はっきりと囁いた。
「君のせいではない。私が、君を望んでいるんだ」
その声は掠れ、決して美しくはなかったかもしれない。だが、シオンにとっては、どんな美しい歌よりも心に響く、愛の言葉だった。
兄は、二人の間の絶対的な絆を見せつけられ、言葉を失った。人間の王子が、ここまで弟を想っている。それは、彼の計算を遥かに超えていた。
「…よかろう。それが貴様の答えだというのなら、覚えておくがいい。必ず、後悔させてやる」
そう言い残し、兄は嵐の中へと姿を消した。
部屋には、レオニールとシオン、二人だけが残された。シオンは、レオニールの胸に顔を埋めて泣いていた。自分の存在が、愛する人と、自分の同胞を対立させてしまった。その罪悪感に、シオンの心は張り裂けそうだった。
レオニールは、そんなシオンをただ黙って、優しく抱きしめ続ける。大丈夫だ、君は私が守る。その強い意志を、腕の力に込めて。
二人の前には、困難な道が待ち受けている。だが、レオニールに迷いはなかった。この腕の中にある温もりこそが、彼が守るべきすべてなのだから。
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