第8話「通い合う言葉と心」

 シオンが人間の言葉を覚えていくにつれて、二人の世界はさらに彩りを増していった。最初は単語だけだった会話が、次第に短い文章になり、やがて複雑な感情さえも伝えられるようになっていく。


「レオは、どうして…いつも、ひとりだった?」


 ある夜、月明かりの下で、シオンが尋ねた。それはずっと聞きたかったことだった。レオニールはいつも一人で、その瞳には深い孤独の色が宿っていたから。

 レオニールは声を出せない代わりに、紙とペンを取り、静かに文字を綴り始めた。


『魔女の呪いで、人の声が雑音に聞こえるんだ。聞いているだけで、頭が割れそうに痛くなる』


 その短い文章に込められた、長年の苦しみをシオンは瞬時に理解した。だから彼は、いつも静かな場所にいたのだ。シオンは、胸が締め付けられるような痛みを感じた。


「…つらかったね」


 シオンの言葉に、レオニールはペンを走らせる。


『だが、君が来てくれた。君の歌声だけが、私にとっての光だ』


 その真っ直ぐな言葉に、シオンの顔が熱くなる。今度はシオンが自分の身の上を語る番だった。「嵐を呼ぶ」と疎まれ、家族にさえ捨てられ、暗い海の底で孤独に生きてきたこと。そのすべてを、途切れ途切れの言葉でレオニールに伝えた。


 互いの境遇、孤独、そして痛み。それらを分かち合うことで、二人の絆は急速に、そしてより深く結びついていった。もはや、シオンはレオニールにとって、ただ歌声が心地よいだけの存在ではなかった。その純粋さ、優しさ、そして儚さ、すべてが愛おしくてたまらなかった。


 レオニールは、無垢で美しいシオンを守りたい、という強い感情が自分の中に芽生えているのを自覚していた。それは、いつしか独占欲にも似た、激しい所有の感情へと変わっていく。他の誰にも彼を渡したくない。彼の美しい歌声は、自分だけのものだ。この腕の中に、永遠に閉じ込めておきたい。


 そんなレオニールの熱い視線に気づかぬほど、シオンは鈍感ではなかった。レオニールが自分をとても大切に思ってくれていることを感じ、そのたびに心が温かくなるのだった。


 ある日、レオニールはシオンを連れて、離宮のバルコニーに出た。夕暮れの空が、赤と紫のグラデーションに染まっている。


『シオン』

 レオニールが紙に書く。

『君は、海に帰りたいか?』


 それは、レオニールがずっと恐れていた質問だった。シオンは本来、海で生きる人魚。いつかは故郷に帰りたくなるのではないか。その考えは、レオニールの心を不安にさせた。


 シオンは首を横に振った。そして、レオニールの手をぎゅっと握ると、彼の目を見つめて、はっきりと告げた。

「僕の居場所は、ここ。レオの、となり」


 その言葉が、レオニールの最後の理性の楔を打ち砕いた。

 彼はシオンの手を強く引き寄せ、その華奢な体を抱きしめた。そして、初めて、自分の声で、たとえそれが雑音としてシオンに届いてしまうとわかっていても、想いを伝えた。


「シオン…」


 それは掠れた、苦しげな声だった。だが、シオンの耳には、確かに愛しい人の声として届いた。

 レオニールは、シオンの唇に、自分の唇をそっと重ねた。初めてのキスは、夕焼けの味がした。

 言葉と心が完全に一つになった瞬間、二人の運命はもう誰にも引き裂けないほど、強く結ばれたのだった。

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