第7話「忍び寄る魔女の影」

 大陸の西、瘴気が立ち込める深い森の奥。そこに、忌まわしき魔女は棲んでいた。

 蝋燭の灯りだけが揺らめく薄暗い小屋の中で、魔女は水晶玉を覗き込み、気だるげにため息をつく。


「おや…?これは面白い」


 水晶玉には、海辺の離宮で穏やかに微笑むレオニール王子の姿が映し出されていた。

 数年前、王子の叔父に雇われ、レオニールに「他人の声が雑音に聞こえる」呪いをかけたのは、この魔女だった。王子が孤独の中で心を蝕み、いずれは王位継承権を放棄するだろうという算段だった。


 魔女は、定期的に王子の様子を水晶玉で監視していた。呪いは完璧なはずだった。彼の孤独は深まり、その魂は確実に闇に近づいていた。しかし、ここひと月ほどで、その呪いの力が明らかに弱まっているのを感じ取っていたのだ。


「あれほどまでに深く根付かせた孤独が、癒され始めている…?一体、何によって?」


 魔女は水晶に更なる魔力を込め、原因を探る。すると、レオニールの傍らに寄り添う、銀髪の美しい少年の姿が浮かび上がった。少年は、人間ではない。その腰から下には、明らかに人ならざる者の証である尾鰭が見えた。


 人魚。


「なるほど。陸の人間ではない者の近くにいることで、呪いの効果が薄れているのか…?いや、それだけではない」


 魔女はさらに注意深く観察を続けた。やがて、人魚の少年が唇を開き、何かを歌い始める。水晶玉を通して音は聞こえない。だが、その瞬間、レオニールの魂を縛り付けていた呪いの鎖が、微かに揺らぎ、輝きを失うのを魔女は見逃さなかった。


「…歌…?」


 魔女の口元が、歪んだ笑みに吊り上がる。

 呪いの源である王子の「孤独」が、何者かによって癒され始めている。それも、ただの慰めではない。呪いそのものに干渉する、特殊な力が働いている。


「どこぞの雑魚人魚かと思ったが、どうやら特別な力を持っているようだね。面白い。実に、面白い」


 王子の叔父からの報酬は既にもらっている。契約は完了しており、これ以上関わる義理はない。だが、魔女の探究心と、他者の幸福を壊したいというサディスティックな欲望が、彼女を突き動かした。


「せっかく与えてやった静寂の世界を、邪魔する者は誰だい?許さないよ…王子の耳に届くのは、不快な雑音だけでいい。美しい音など、必要ない」


 魔女は立ち上がると、黒いローブを翻した。

 王子の呪いを揺るがすイレギュラーな存在。その正体を確かめ、そして排除するために。


 不穏な影が、動き出す。

 シオンとレオニールが育む、温かく穏やかな日々に、その黒い翼が静かに影を落とし始めていた。二人はまだ、迫り来る脅威に気づくことなく、互いへの愛おしい感情を募らせていくのだった。

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