社交デビュー 7
国王夫妻と会ったあと、カルリ侯爵家のパーティーまでは、イアナはのんびりとすごしていた。
途中、仕立屋のマダムから急ぎで仕上げてくれたドレスが一着届いたり、結婚式のドレスのデザインが完成したと報告をもらったので見に行ったり、アクセサリーの一部が出来上がったからと受け取りに行ったりと、細々とした用事はあったけれど、特別忙しかった日はない。
フェルナンドは宰相とか大臣とかに呼ばれて登城する日が何日かあったが、丸一日不在にしている日はなかった。
フェルナンドが登城しているときは、イアナは社交マナーのおさらいをしたり、ダンスのステップの確認をしたりしながらすごした。
ダンスは幼い頃に乳母に教えてもらったきりで、乳母がいなくなった後はアントネッラ伯爵家で一人でステップを踏んだりしていたので忘れてはいないが、思い出してみる限り男性と踊ったことがないので少し不安だ。
かといって、使用人の男性に練習相手になってもらったら、フェルナンドが焼きもちを焼くだろうか。だって、自分の六十二歳の姿にイアナがときめくだけで嫉妬するのだから。
イアナは嫉妬するフェルナンドを想像して小さく笑い、やはり自分一人でステップの確認をした方がいいなと結論付けた。
そして、カルリ侯爵家のパーティー当日――
イアナは仕立屋のマダムが急いで仕上げてくれたドレスを身にまとい、フェルナンドにエスコートされてカルリ侯爵家の前で馬車から降りた。
イアナの今日の装いは、フェルナンドの瞳の色と同じ青いドレスである。
上半身はすっきりと、スカートの部分はドレープが幾重にも重なり、まるで大輪の薔薇のような雰囲気だ。肩が大きく開いているので、薄手のストールを巻いている。
アクセサリーは真珠で統一した。前世と違い、養殖技術が発展していない今世では真珠はとても高い。形が綺麗で粒のそろったものは目の玉が飛び出しそうな価格だ。
だが、前世と同じくこちらの世界でも、真珠は冠婚葬祭に愛用される品で、一つ持っておくと重宝する。
また、年配の女性になるほど、派手な宝石より気品のある真珠の輝きを好む傾向にあった。
デザインもシンプルなので長く使えるし、あると便利だとフェルナンドに乗せられて、ついつい買ってもらってしまったのだ。
フェルナンドは、イアナの瞳の色に合わせて紫色のタイをしめている。
「フェルナンド! 待っていたよ!」
夫にエスコートされて玄関をくぐれば、恰幅のいい男性が現れた。白髪交じりの黒髪に、緑色の瞳をしている。年のころは六十前後くらいに見えた。彼がカルリ侯爵だろう。
「アントーニオ、久しぶりだな。妻のイアナだ」
やはり彼がアントーニオ・カルリ侯爵その人だったようだ。フェルナンドに紹介されて、イアナは丁寧なカーテシーで彼に挨拶した。
「妻のイアナと申します。お初にお目にかかります」
「お会いできて光栄ですよ、夫人。……いやはや、ずいぶん年の離れた奥方を娶ったと聞いたが、仲良くやっているようだな」
「夫はとても優しいですから」
にこりと微笑んで答えると、カルリ侯爵が笑う。イアナは微笑みを浮かべたまま、不躾にならない程度にじっと彼を見つめた。
身長はフェルナンドの方が高いが、肩幅はカルリ侯爵の方が広い。首が太くて、顔が四角。だけど快活な性格が前面に出ていて、笑った目じりの皺が深い。
(こういういぶし銀も、いいわねえ~)
経験を重ねた大人の男性の魅力というのか。やはり男性は六十歳くらいからだ。懐の深さというか、包容感が違う。
な~んてイアナが思っていると、こほん、と隣から咳払いの音が聞こえてきた。
見上げればフェルナンドがどことなく面白くなさそうな顔でイアナを見下ろしている。カルリ侯爵に見とれていたのがばれたらしい。
慌てて笑って誤魔化したが、じっとりとした視線を向けられてしまった。
(大丈夫ですよ旦那様! わたしは旦那様が一番です! 旦那様はスペシャルですから!)
と心の中で言ってみたが聞こえるはずもない。
イアナとフェルナンドは、来客を出迎えるというカルリ侯爵と別れて、使用人に大広間まで案内してもらった。
大広間につくなり、フェルナンドがぼそりと言う。
「イアナ、他の男に見とれるのはやめてほしい」
「み、見とれてなんてないですよ?」
「アントーニオに見とれていたじゃないか」
誤魔化せなかった。
イアナは視線を泳がせた。
「優しそうな方だなと思っていただけです。浮気心なんて起こしてませんよ。わたしは旦那様一筋ですから!」
いうなれば、俳優に見とれるようなものだと思ってほしい。言ったところで理解されなさそうなので言わないが、本当にミーハー心を起こしただけなのだ。愛しているのはフェルナンドだけである。
「普通なら若い男に警戒するのだろうが……、君の場合は年配の男に警戒しておかないといけないな。私の友人は年配の男ばかりなんだが、どうしようか」
「だから浮気心は起こしませんってば」
信じてくださいと口をとがらせると、フェルナンドが微苦笑を浮かべた。
「君が不貞をするとは思っていないよ。面白くはないけどね」
自分自身にも嫉妬するフェルナンドの焼きもち焼きが過ぎる! だけど、焼きもちを焼かれるのも悪くないと思ってしまうあたり、イアナも大概だ。
フェルナンドが事前に教えてくれた通り、招待客は多くなさそうだった。
ほとんどがフェルナンドやカルリ侯爵と同年代の方たちで、イアナにとっては非常に居心地がいい。
パーティーがはじまるまであと十五分ほどあるので、イアナとフェルナンドはドリンクをもらい、壁際のソファ席に座って待つことにした。年配の招待客ばかりだからか、休憩のためのソファや椅子はたくさん準備されている。
「穏やかでいい雰囲気ですね」
「パーティーというよりはただの年寄りの集まりという感じだがな。だいたい集まって近況報告をしあうだけで、若者たちが集まるパーティーのような華やかさはないよ」
「そういう方が落ち着きます」
「そうか?」
とはいえ、年をとってもダンスは楽しいようで、すでに会場の隅で踊っている人たちもいた。そう言えばイアナの前世の友人も、五十をすぎて社交ダンスを学びはじめていた。近くに社交ダンスの教室ができたかららしい。
(体を動かすのはいいことよね。前世の旦那様も年を取ってから朝活とか言ってジョギングをはじめてたわ)
年配の男女がゆったりとしたリズムでワルツを踊るのを微笑ましく見つめていると、フェルナンドが「踊りたいか?」と訊いてきた。答えはもちろん是である。いぶし銀なフェルナンドとダンスができるチャンスをみすみす逃してなるものか。
「もちろん踊りたいです」
「じゃあ、パーティーがはじまったら一曲踊りに行こうか」
「はい!」
まともに社交をしたことがないイアナだったが、この雰囲気なら気負わずにいられそうだ。
この日はフェルナンドと一曲ワルツを踊り(なんとかなった!)、彼の友人たちを紹介してもらって、とても楽しい時間を過ごすことができた。
が――
イアナが王都で楽しめたのも、ここまでだった。
次の日、例の困ったちゃんたちが新たな問題を起こしたからである。
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