アルシオン旅記

金賀 治武峯

プロローグ

目を覚ますと、窓から真っ赤な光が差し込んでいた。久しく見なかった朝焼けだ。

最近は夜中心で生活してたからなぁ、と思いつつ、窓を開けた。

すぐに、潮風と波の音が部屋に入り込む。本が積まれ、カビ臭くなっていた部屋の空気は、あっという間に塩の香りに包まれた。


この慣れ親しんだ部屋とも今日でおさらばと思うと、ちょっと寂しかった。だがそれでも、私は止まらないだろう。


用意していた荷物を魔法でひとまとめに小さくして、肩に掛けた。見慣れた腕が視界に入る。

自慢の白く若々しい肌。私は、「寿命延長魔法」を使っていない人としてみれば、だいたい18歳くらいの見た目だ。だが、実際は今日で…260歳くらいか?それにしても、寿命延長魔法というのは素晴らしいものだ。


だがそれでも、私の心臓は、肺は、脳は、依然として動き続けている。

寿命が無くなったわけじゃない。私もあと数百年もすれば、天国行きだろう。

だからこそ、私は常々この世に爪痕を残したいと考えていた。


例えば…世界一周とか。





この世界は、とんでもなく広い。

ある研究者の発表によれば、一周の長さは4000万キロ以上になるそうだ。

私は、その道のりを辿った人を知らない。

いや、この広い世界のことだ。もしかしたら、誰か一人くらいはいるのかもしれない。

でも。

そんな「誰か」の言葉よりも、私は自分で行って、見て、感じたかった。

だから、旅に出ることにした。

長年、研究院では「天才」と呼ばれて来たが、それはもういい。称号なんて、ただの見せかけだから。

これからは、私による道を、私の足で歩きたかった。



準備を終えた私は、黒いフードを目深に被り、朝の商店街を歩いた。

途中、私は焼いた鶏肉をいくつか購入した。

肉。魔力の源。

原理は不明だが、肉を食べると同時に魔力も摂取できる。

そして現状、魔力を得る手段はそれだけだった。


魔力とは、魔法を使うための燃料のようなものだ。

ガソリンがなければ車は動かないが、魔力が無ければ魔法は使えない。

魔法は、この世界において半ば必需品と化している。何故なら、街の外には賊が蔓延り、日々絶えず病魔に脅かされているからだ。まあ、それ以外にも肌荒れの改善やシャワーにも使えたりするが。

魔法というのは、とにかくなんでもできるものだ。




鶏肉を頬張りながら、魔力について考える。

もしかしたら、魔力とは記憶のようなものなのかもしれない。

肉体に染み付いた、記憶と経験。

私が食べている鳥にも、あったのだろう。

幸せ、不幸、快楽、痛み。

……これ以上考えると吐き気がしそうなので、やめておこう。





昼になって、私は予約しておいた船に乗った。

行き先は、大陸リムナ。この街から一番近い行き先だ。それでも1、2週間ほどはかかるだろう。


なにか暇の潰せるものは無かったかと肩のカバンをまさぐると、指先に何かが触れた。

引っ張り出してみると、それは小さな手帳だった。

思い出した、ちょっと前に商人から買った「無限に書ける手帳」とやらだ。興味を持って買ったものの、38兆4486億3176万5081ページで終わっているという詐欺商品だった。



せっかくだし、日記でも書いてみようか。

私は、手帳をパラパラとめくってみる。

その薄い本体から、どんどん紙が現れては消えを繰り返していく。

そんな手帳を、私は無感情に眺めていた。



船は、そろそろ港を出るようだ。

壁や床がギシギシと音を立て、窓の隙間から波の音が聞こえる。

小さくポゥ、と汽笛を鳴らした船は、ゆらゆらと揺れながら進み出した。

「さて。」

私はカバンの中からペンを出した。

「書きましょうか。」

自分の日々を綴るために。



まずは筆者の名前を書かなくちゃ。

アルシオン・デルフォード。

私の、名前を。

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