第6章
それから少し経った週末。
鈴香たちを乗せたリムジンは、市街の中央部を抜け、海を隔てて南側に位置する人工島へと向かっていた。
窓の外には、遥か彼方に長く伸びる橋のシルエットが霞み、その向こう側へと続く青い海面が穏やかに光を反射していた。海風が窓の隙間から柔らかく流れ込み、室内の空気を少しだけ冷やす。岸壁沿いに並ぶ倉庫群が徐々に視界に入ると、鈴香は胸の奥に、期待と緊張が満ちていくのを感じる。
やがてリムジンは、人工の地面の上に建設された倉庫群の前に到着した。金属で覆われた建物は、冷たい工業的なたたずまいを見せ、背後には広く続く海と、その向こうにはまばゆい光が広がる。潮の香りが風に乗って漂い、鈴香の頬をそっと撫でる。岸壁に打ち寄せる波音が、静かな緊張をさらに引き立てていた。
倉庫群の一角に立つ建物の前には、黒服の男たちが整然と列を作り、緊張感がその場全体を支配している。視線を前方に移すと、威風堂々と立つ老人――鈴香の祖父の姿が見えた。その横顔には、冷たい倉庫群の風景の中でも、不思議なほど暖かさと懐かしさが宿っていた。
鈴香は小さく息を整え、リムジンの座席に背筋を伸ばす。潮風と海面に反射する光の中で、次に待つ出来事への覚悟が、静かに心の奥で芽生えた。
「お祖父様」
鈴香はすぐに車を降り、腕を組む祖父に駆け寄る。胸が高鳴るのを感じた。
祖父は目を細め、朗らかに笑う。
「お前たち、見事だ。ワシの予想を超える速さで、鮮やかに事件を解決した。流石はワシの孫娘、そしてその仲間たちよ」
その言葉に、鈴香の胸が高鳴った。誇らしさと照れくささが入り混じり、思わず胸を張る。
「ふふん、当然よね! わたしにかかればこれくらい――」
「……自分ひとりで解決したみたいに言うなよ」
颯太がすかさず呆れたように口を挟むと、鈴香はすぐに眉をひそめて反論した。
「な、何よ! 大体、颯太がのんびりしてるから――」
そのやり取りに、綾音はくすりと笑みを漏らす。
「お嬢様と颯太様の掛け合いは、息がぴったりで、見ているこちらまでなごみます」
鈴香は小さく笑い返し、視線をそっと颯太に向ける。
颯太は軽く肩をすくたが、鈴香と目が合うと、意思を通わせるようにうなずいた。
祖父は腕を組んだまま、にやりと笑った。
「さあ――これからお前たちに見せたいものがある。ついて来なさい」
四人が祖父の後に続くと、建物の中にある監視室へ通された。部屋には複数のモニターが並び、そこには秘密オークションの会場が映し出されている。すでに多くの人影が集まり、開始を待つようにざわめいていた。
その光景に、鈴香の心臓が微かに速くなる。胸の奥に、期待と緊張が同時に波打った。
「そろそろだ」
祖父が低く呟いた瞬間、モニターの中で警察官たちが一斉に会場へ踏み込んだ。
鈴香は思わず身を乗り出し、颯太の肩を軽く押さえる。颯太も目を見開いて、戦慄を隠せない。
祖父はゆっくりと語り始めた。
「鈴香たちが手に入れた美術品不正取引情報を、ワシは隅々まで調べ、真の黒幕が誰なのかを特定した。だが、それだけでは不十分。そこでワシは、黒幕を誘き寄せるため、行方不明の美術品を競売する秘密オークションを利用した」
短くも重みのある言葉が室内に響く。
「もちろん、本物だと信じ込ませるため、収集した美術品のデータを添えて案内を送っておいたのだ」
周平は立ち上がって目を丸くしている。
「それって……あのオークションを本気で開催したってことですか?」
鈴香の手がわずかに震える。胸の高鳴りを抑えつつ、息を整える。
祖父はうなずき、顔をほころばせた。
「そのとおり。拘留中の黒川に、こうもちかけたのだ――
『神戸家所蔵だが公には行方不明となっている美術品を秘密裏に売却したい。秘密オークションを開催せよ。代わりに学園と美術教師に手を回して贋作事件を取り下げさせ、報酬も支払う』
と。奴はこれを受け入れ、裏世界の関係者を呼び寄せたというわけだ」
綾音が感嘆の息を漏らした。
「誘導と摘発、すべてが計算どおり……。完璧な罠です」
秘密オークションから一週間後。
神戸邸の応接間では、鈴香たち四人が祖父を囲んで座っていた。窓の外には夜景が広がり、室内には暖かなランプの灯が満ちている。祖父は静かに笑みを浮かべ、皆の視線を受け止めていた。
警察の取り調べと祖父の提供した情報により、連行された参加者の中から真の黒幕――鷹見定信が逮捕され、黒川も過去の罪が暴かれ再逮捕された。祖父の策は見事に功を奏し、組織的な不正の全体像がついに白日の下に晒されたのだ。
鈴香は祖父をじっと見つめながら頭の中で事件の一部始終を反芻する。
父はゆったりとした笑みを浮かべ、鈴香を見つめる。
「どうだね、鈴香。ワシの金の使い方、気に入ったか?」
鈴香は少しの間、言葉を探す。やがて静かに息を吐き、柔らかな声で答えた。
「……こんなやり方、わたしには思いつかなかった」
祖父は肩をすくめ、少し真面目な口調になる。
「当然だ。ワシが長年積み上げたものだ。しかし、お前にはできる。お前には、ワシの血が流れているのだから」
鈴香は小さくうなずいた。胸の奥で何かが動き出すのを感じる。
祖父の言葉が、その何かに力を送るように続いた。
「鷹見は、お前の父も刑事時代に追っていた相手だ。その娘と被害者の息子が追い詰め、ついに真相を暴いた。世代を超えて、ようやく決着をつけられたのだ。お前たちの信念が、壮大な事件を解決に導いたのだよ」
周平が軽く笑い、場をなごませる。
「いやー、俺も歴史の一ページに立ち会えた気分だ」
颯太は静かに祖父の話に耳を傾けている。その顔には今までにない穏やかさが現れていた。
長い緊張がようやく解け、鈴香の胸にも安堵が広がる。
鈴香はふと窓の外を見やり、街の灯を見つめる。そして、祖父に向き直り、小さく、しかしはっきりとした声で告げた。
「わたし……わたし、お祖父様のように、ただ大金を使うだけでなく、狙いを決め、先を読み、優雅に、そしてスリルのある人生を歩むわ」
言葉を口にした瞬間、胸の奥に確かな決意が灯るのを感じた。
祖父は満足げに微笑み、その横でランプの灯がゆっくりと揺れた。夜の邸内に静かな余韻が残った。
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