第16話 影の棲む殿堂
自動車はロンドンの街を縫うように走り、やがてヴィクトリア朝様式の重厚な石造りの建物前に到着した。リチャードソン警部に導かれ、アーサーは地下入口から秘密の通路を通り、MI5の核心施設へと導かれた。
「まずは医務室で手当てを」リチャードソン警部の言葉に従い、アーサーは傷の手当てを受けた。腕の傷は深くないものの、痛みは依然として鋭い。
処置が終わると、サー・ジェレミー・ウォルポールが現れた。
「ペンドラゴンさん、あなたの報告は極めて重大だ。我々は直ちに上層部に伝える必要がある」
ウォルポールはアーサーを連れ、エレベーターで最上階へ向かった。エレベーターが静かに上昇するにつれ、アーサーは緊張を感じていた。ついに真相に迫る時が来るのか。
エレベーターの扉が開くと、そこは別世界だった。分厚いペルシャ絨毯が敷き詰められた廊下には、歴代長官の肖像画がずらりと並んでいる。重厚なマホガニーの扉の前でウォルポールは立ち止まった。
「サー・ハロルド・フィルビー=キング。我が国の対敵諜報を統括する男だ」
扉が開くと、広々としたオフィスが眼前に広がった。天井まで届く書架には膨大なファイルが整然と収められ、大きな窓からはテムズ川と国会議事堂が見渡せる。部屋の中央にはアンティークの大型デスクが置かれ、その上には金箔で装飾されたインク壺と羽ペンが揃えられていた。
しかしアーサーの目を引いたのは、部屋の一角に飾られたインド様式の品々だった。象牙に彫られた象の置物、金糸銀糸で刺繍されたムガール朝のタペストリー、そしてサファイアとルビーが散りばめられた短剣。これらは大英帝国の植民地時代の栄華を物語っている。
デスクの向こうから、颯爽とした白髪の男が立ち上がった。サー・ハロルド・フィルビー=キングである。鋭い眼光と、鍛え上げられた軍人のような立ち振る舞いが印象的だった。
「ペンドラゴン君、よく来てくれた」
フィルビー=キングの声は低く響き、威厳に満ちていた。
ウォルポールが簡単な紹介を済ませると、フィルビー=キングは手短にうなずいた。
「ジェレミー、君は席を外してくれ」
ウォルポールが退出すると、フィルビー=キングはアーサーをじっと見つめた。
「さあ、君の知っていることをすべて話してくれ」
アーサーは緊張しながらも、これまでの経緯を詳細に語り始めた。エディ・ウィンチェスターの怪しい行動、カフスボタンの謎、ケンブリッジでの発見、繰り返される襲撃、そしてマルコム卿の不可解な行動——すべてを包み隠さず話した。
フィルビー=キングは終始無表情で聞き入り、時折鋭い質問を挟んだ。
「マルコム卿が君のコードを無効にしたと?それは興味深い」
アーサーの報告が終わると、フィルビー=キングは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
「君の勇気と忠誠心は称賛に値する。この件は直ちに対処する」
彼はデスクに戻り、インターコンホンを押した。
「ジェレミー、ペンドラゴン氏に安全な宿泊施設を手配してくれ。最高レベルの警護をつけて」
ウォルポールが戻ってくると、フィルビー=キングは厳しい表情で言った。
「この件は私が直接扱う。君はペンドラゴン氏の安全確保に集中してくれ」
アーサーとウォルポールがオフィスを去ると、フィルビー=キングは重厚な木製のドアの鍵を閉めた。彼はデスクに座り、旧式の黒電話のダイヤルを回した。
「収網の時だ」フィルビー=キングの声は冷たく響いた。「すべての準備を整えよ」
電話を切り、彼は再び窓辺に立った。夕暮れのロンドンが眼下に広がっている。その目には複雑な輝きが浮かんでいた。
一方、アーサーはウォルポールに連れられ、秘密の安全家屋へと向かっていた。車の中、彼は窓の外のロンドンの街並みを見つめながら考えていた。フィルビー=キング局長のあの威厳ある態度、迅速な決断——しかし何故か、一抹の不安が消えなかった。
「何か気がかりでも?」ウォルポールが尋ねた。
アーサーは首を振った。
「いえ、ただ...あまりにも事が順調に進みすぎているような」
彼は知らなかった——この瞬間、フィルビー=キングの一声で、巨大な罠が動き出したことを。そしてその罠が、誰を標的としているのかを。
ロンドンの夜は更け、新たな謀略の幕が上がろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます