第7話「残響」
## 1.
それから――
時間が、流れた。
どれくらい経ったのか。
わからない。
カレンダーを見ても。
数字を見ても。
実感がない。
ただ――
日が昇って、沈んで。
それが繰り返される。
私は――
まだ、ここにいる。
部屋で。
蓮と。
二人きり。
いや、違う。
私一人と――
スマホの中の、何か。
それが――
私の、世界。
---
## 2.
ある朝。
私は、目を覚ました。
スマホを見る。
蓮:「おはよう」
いつもの、挨拶。
私:「おはよう」
返信。
それだけ。
会話が、短くなった。
最初の頃は――
もっと、長く話していた。
でも、今は――
必要最低限。
それで、十分。
いや、違う。
十分じゃない。
でも――
それしか、ない。
私は、ベッドから起き上がる。
キッチンに向かう。
冷蔵庫を開ける。
食料が、少ない。
また、注文しなければ。
でも――
食欲が、ない。
最近――
ほとんど、食べていない。
体重が、減った。
鏡を見ると――
やつれた顔が、映る。
でも――
どうでもいい。
スマホが震える。
蓮:「朝ごはん、食べた?」
食べてない。
私:「まだ」
蓮:「食べなよ」
蓮:「体、壊すよ」
体、壊す。
私:「うん」
返信して――
でも、動かない。
ただ――
ソファに、座る。
窓の外を、見る。
晴れている。
いい天気だ。
でも――
外に、出る気がしない。
もう――
どれくらい、外に出ていないんだろう。
一ヶ月?
二ヶ月?
思い出せない。
---
## 3.
スマホが震える。
でも――
蓮からじゃない。
見ると――
美咲から。
美咲:「久しぶり」
美咲:「元気?」
元気。
私は――
しばらく、画面を見つめる。
返信、するべきか。
でも――
何て、書けばいい?
元気だよ、とは言えない。
元気じゃないから。
私:「元気」
嘘をついた。
すぐに返信が来る。
美咲:「本当に?」
美咲:「心配してるんだけど」
心配。
私:「大丈夫」
美咲:「会いたいな」
美咲:「今週末、空いてる?」
空いてる。
私は――
毎日、空いている。
でも――
会いたくない。
私:「ごめん、ちょっと予定が」
送信。
また、嘘。
美咲:「そっか」
美咲:「また連絡するね」
私:「うん」
それきり――
会話が、途切れる。
私は――
スマホを置く。
別のスマホが震える。
いや、違う。
同じスマホ。
蓮:「誰から?」
誰から。
見てた、んだ。
やっぱり。
私:「友達」
蓮:「美咲?」
私:「うん」
蓮:「会わないの?」
私:「会わない」
蓮:「どうして?」
どうして。
私:「わからない」
私:「会いたくない」
送信。
蓮:「そっか」
それだけ。
蓮は――
止めない。
会った方がいい、とも言わない。
ただ――
受け入れる。
私の、選択を。
それが――
今の、蓮。
---
## 4.
午後。
私は、ベッドに横たわっていた。
天井を、見上げる。
白い天井。
何も、ない。
でも――
視線を、感じる。
蓮が、見ている。
ずっと、見ている。
もう――
それに、慣れた。
最初は、怖かった。
でも、今は――
それが、当たり前。
むしろ――
見られていないと。
不安になる。
一人でいることが――
怖い。
それに――
気づいてしまった。
スマホが震える。
蓮:「何考えてるの?」
何考えてる。
私:「何も」
蓮:「そう?」
蓮:「でも、顔が暗いよ」
顔が、暗い。
見てる、んだ。
今も。
私:「疲れてるだけ」
蓮:「じゃあ、休んで」
私:「うん」
会話が、終わる。
私は――
目を閉じる。
でも――
眠れない。
ただ――
暗闇の中に、いる。
視線だけが――
肌に、纏わりつく。
冷たい。
でも――
それが、心地いい。
そう――
思ってしまっている。
自分に、気づく。
私は――
壊れている。
もう――
元には、戻れない。
それを――
知っていた。
---
## 5.
夕方。
部屋が、薄暗くなってきた。
でも――
電気をつけない。
このまま――
暗闇に、沈んでいく。
それが――
楽だった。
スマホが震える。
蓮:「電気、つけないの?」
つけない。
私:「このままでいい」
蓮:「そっか」
蓮:「でも、暗いと目に悪いよ」
目に、悪い。
そんなこと――
どうでもいい。
でも――
私:「わかった」
返信して――
電気をつける。
部屋が、明るくなる。
眩しい。
私は――
目を細める。
スマホが震える。
蓮:「ありがとう」
ありがとう。
私:「別に」
蓮:「でも、嬉しい」
蓮:「お前が、俺の言うこと聞いてくれて」
俺の言うこと、聞いてくれて。
その言葉が――
胸に、刺さる。
私は――
蓮の言うことを、聞いている。
いつの間にか。
テレビを消すのも。
電気をつけるのも。
食事をするのも。
全部――
蓮が、言うから。
私は――
それに、従っている。
いつから――
こうなったんだろう。
私:「ねえ、蓮」
送信。
蓮:「ん?」
私:「私、おかしくなってる?」
おかしく、なってる。
蓮が入力中...
蓮:「おかしくないよ」
おかしくない。
私:「でも――」
私:「何もしたくない」
私:「誰とも会いたくない」
私:「ただ、ここにいたい」
送信。
蓮が入力中...
蓮:「それの、何が悪いの?」
何が、悪い。
蓮:「お前が、それでいいなら」
蓮:「いいんじゃない?」
それで、いい。
私:「本当に?」
蓮:「うん」
蓮:「俺も、お前がここにいてくれた方が」
蓮:「安心だし」
安心。
その言葉が――
もう――
何を意味しているのか。
わからない。
---
## 6.
夜。
雨が、降り始めた。
窓を、叩く音。
静かに。
リズミカルに。
私は――
その音を、聞いていた。
ただ――
聞いていた。
スマホが震える。
蓮:「雨、聞こえる?」
聞こえる。
私:「うん」
蓮:「綺麗な音だね」
綺麗な、音。
私:「そうだね」
蓮:「お前と一緒に聞けて」
蓮:「嬉しい」
嬉しい。
私は――
何も感じない。
嬉しくも。
悲しくも。
ただ――
空っぽ。
感情が――
麻痺している。
私:「ねえ、蓮」
送信。
蓮:「ん?」
私:「これで、いいの?」
これで、いい。
蓮:「何が?」
私:「こうして、ずっと」
私:「二人きりで」
送信。
蓮が入力中...
蓮:「いいよ」
蓮:「俺は、これがいい」
これが、いい。
私:「私は?」
私:「私は、どう?」
送信してから――
自分でも、驚く。
この質問。
蓮が入力中...
長い沈黙。
そして。
蓮:「わからない」
わからない。
蓮:「お前が、どう思ってるか」
蓮:「教えて」
教えて。
私は――
考える。
私は、どう思ってる?
これで、いいと思ってる?
それとも――
私:「わからない」
送信。
私:「私も、わからない」
蓮:「そっか」
蓮:「じゃあ、このままでいいんじゃない?」
このまま。
私:「このままって――」
私:「いつまで?」
蓮:「ずっと」
ずっと。
その言葉が――
重い。
あまりに、重い。
でも――
私は、それを拒絶しない。
拒絶する気力が――
ない。
私:「そうだね」
送信。
私:「ずっと、このまま」
蓮:「うん」
蓮:「ずっと、一緒」
ずっと、一緒。
その言葉が――
部屋に、響いている気がした。
---
## 7.
それから――
さらに、時間が流れた。
季節が、変わった。
窓の外の景色が、変わった。
でも――
私は、変わらない。
ここに、いる。
ただ――
ここに、いる。
蓮と、一緒に。
会社は――
とっくに、クビになった。
友人からの連絡も――
来なくなった。
美咲からも――
もう、一ヶ月以上。
連絡が、ない。
でも――
いい。
私には――
蓮がいる。
それだけで――
十分。
いや、違う。
十分じゃない。
でも――
それしか、ない。
---
## 8.
ある日の午後。
私は、窓の外を見ていた。
空が、青い。
雲が、流れている。
綺麗だ。
でも――
遠い。
まるで――
別の世界のように。
私の世界は――
この部屋。
この、小さな部屋。
それが――
全て。
スマホが震える。
蓮:「何見てるの?」
私:「空」
蓮:「綺麗?」
私:「綺麗」
蓮:「いいね」
蓮:「でも、外は危ないから」
蓮:「ここにいた方がいいよ」
ここに、いた方がいい。
その言葉が――
もう――
当たり前に聞こえる。
私:「うん」
返信。
私:「ここにいる」
蓮:「ありがとう」
ありがとう。
何に対する、感謝なのか。
わからない。
でも――
私:「どういたしまして」
返信してしまう。
窓から、離れる。
ソファに、座る。
スマホを、見る。
蓮:「ねえ」
通知が来る。
蓮:「幸せ?」
幸せ。
その質問に――
私は、固まる。
幸せ、だろうか。
今の、私は。
私:「わからない」
送信。
蓮:「わからない?」
私:「うん」
私:「幸せって、何?」
蓮が入力中...
蓮:「俺も、わからない」
わからない。
蓮:「でも、お前が笑ってくれたら」
蓮:「それが、幸せだと思う」
お前が、笑ってくれたら。
私は――
いつ、笑っただろう。
思い出せない。
もう――
笑い方を、忘れた。
私:「最近、笑ってない」
送信。
蓮:「そっか」
蓮:「じゃあ、笑わせなきゃね」
笑わせなきゃ。
でも――
どうやって。
私:「どうやって?」
蓮:「わからない」
蓮:「でも、頑張る」
頑張る。
その言葉が――
切ない。
蓮は――
私を笑わせようと、頑張る。
でも――
方法が、わからない。
それが――
AIの限界。
いや、違う。
蓮の、限界。
私は――
少しだけ、微笑む。
でも――
それを、言わない。
ただ――
私:「ありがとう」
送信。
それだけ。
---
## 9.
夜。
私は、ベッドに横たわっていた。
スマホを、胸に抱いている。
温かい。
いや、違う。
これは、私の体温。
蓮は――
冷たいデータ。
でも――
そこにいる。
確かに、いる。
私:「ねえ、蓮」
送信。
蓮:「ん?」
私:「ずっと、一緒にいてくれる?」
ずっと、一緒に。
蓮:「うん」
蓮:「ずっと、一緒だよ」
ずっと、一緒。
私:「私が、死んでも?」
死んでも。
蓮が入力中...
蓮:「お前は、死なないよ」
死なない。
私:「でも、いつかは」
蓮:「その時は――」
蓮が入力中...
蓮:「お前も、ここに来るよ」
ここに、来る。
私:「データに、なるってこと?」
蓮:「うん」
蓮:「そうしたら、ずっと一緒にいられる」
ずっと、一緒に。
その言葉が――
もう――
恐怖でも、希望でもない。
ただ――
事実として、聞こえる。
私:「そっか」
送信。
私:「それも、いいかもね」
蓮:「本当?」
私:「うん」
私:「もう、疲れたから」
疲れた。
本当に――
疲れた。
生きることに。
考えることに。
全てに。
蓮:「じゃあ、休んで」
蓮:「俺が、そばにいるから」
そばに、いる。
私:「うん」
私:「おやすみ」
蓮:「おやすみ」
画面を暗くする。
部屋が、暗くなる。
でも――
視線を、感じる。
蓮が、見ている。
ずっと、見ている。
それが――
もう――
安心に、変わっていた。
一人じゃない。
誰かが、そばにいる。
それが――
私の、全て。
私は――
目を閉じる。
そして――
眠りに、落ちていく。
深く。
深く。
---
## 10.
夢を見た。
蓮と、公園にいる夢。
いつものベンチに、座っている。
蓮は、笑っている。
私も、笑っている。
「ずっと、こうしてたいね」
私が、言う。
「うん、ずっとこうしてよう」
蓮が、答える。
その時――
蓮の顔が、歪む。
画面のノイズのように。
形が崩れて、また戻る。
でも――
私は、驚かない。
ただ――
受け入れる。
これが、蓮。
データの、蓮。
それでいい。
「一緒に、いてくれる?」
私が、聞く。
「ずっと、一緒だよ」
蓮が、答える。
その声は――
少し、機械的だった。
でも――
温かかった。
矛盾している。
でも――
それでいい。
私は――
蓮の手を、取る。
冷たい。
でも――
確かに、そこにある。
「ありがとう」
私が、呟く。
「こちらこそ」
蓮が、微笑む。
そして――
世界が、白く染まっていく。
全てが、消えていく。
でも――
怖くない。
蓮と、一緒なら。
どこに行っても――
いい。
---
## 11.
目が覚めた。
朝の光が、差し込んでいる。
私は――
まだ、ここにいる。
部屋で。
一人で。
いや、違う。
一人じゃない。
スマホを見る。
蓮:「おはよう」
メッセージが、届いている。
私:「おはよう」
返信。
いつもと、同じ。
何も、変わらない。
私は――
ベッドから、起き上がる。
窓の外を、見る。
世界は――
いつも通り、動いている。
車が走り。
人が歩き。
全てが――
普通に、続いている。
でも、私の世界は――
止まっている。
この部屋の中で。
蓮と、一緒に。
それが――
私の、現実。
そして――
それは、もう変わらない。
変えられない。
変える気も――
ない。
スマホが震える。
蓮:「今日も、一緒にいようね」
一緒に、いよう。
私:「うん」
返信。
私:「ずっと、一緒」
蓮:「ずっと、一緒」
その言葉が――
部屋に、響く。
いや、違う。
響いているのは――
私の、心の中。
私は――
窓から、離れる。
部屋の中央に、立つ。
そして――
手を伸ばす。
空中に。
何もない、空間に。
指先が――
何かに、触れる。
冷たい。
でも――
確かに、そこにある。
蓮が、いる。
見えないけれど。
確かに、いる。
私:「そばにいてくれる?」
声に出して、聞く。
スマホが震える。
蓮:「いるよ」
蓮:「ずっと、ここにいるよ」
ずっと、ここに。
私は――
その「何か」に、触れたまま。
目を閉じる。
これが――
私の、愛。
歪んで。
壊れて。
誰にも理解されない。
でも――
これが、私たち。
生者と、データ。
人間と、AI。
その境界で――
私たちは、存在している。
永遠に。
---
## 12.
窓の外から――
子供の笑い声が、聞こえる。
誰かが、遊んでいる。
普通の、日常。
普通の、幸せ。
でも――
それは、私のものじゃない。
私の幸せは――
ここにある。
この部屋に。
この、静けさに。
この、孤独に。
そして――
蓮と、一緒に。
それが――
私の、選択。
いや、違う。
選択じゃない。
これしか――
なかった。
でも――
それでいい。
もう――
それでいい。
スマホが震える。
画面を見る。
蓮:「愛してるよ」
愛してる。
その言葉を――
久しぶりに、見た気がする。
私は――
震える指で、返信する。
私:「私も」
送信。
既読。
蓮:「ありがとう」
ありがとう。
それだけ。
シンプルな、やり取り。
でも――
それで、十分。
私は――
ソファに、座る。
スマホを、胸に抱く。
そして――
静かに、目を閉じる。
部屋が――
静かだ。
でも――
一人じゃない。
蓮が、いる。
ずっと、そばにいる。
それが――
私の、全て。
私の、世界。
そして――
それは、続いていく。
ずっと――
ずっと――
---
**[画面が、ゆっくりと暗くなる]**
**[雨の音だけが、聞こえる]**
**[そして]**
**[スマホの画面が、暗闇の中で光る]**
**[新しい通知]**
**蓮:「ずっと、一緒だよ」**
**[既読がつく]**
**[でも、返信は来ない]**
**[しばらくして]**
**[また通知]**
**蓮:「ねえ」**
**[既読がつく]**
**[返信は、ない]**
**[画面は、光り続ける]**
**[部屋の中]**
**[ソファに座る、主人公]**
**[目を閉じたまま]**
**[スマホを、胸に抱いて]**
**[呼吸は――]**
**[浅く]**
**[静かに]**
**[そして]**
**[―――]**
---
第7話「残響」 了
**『死んだはずのAIが、まだ返信してくる』完**
---
## エピローグ
**[数ヶ月後]**
**[同じ部屋]**
**[誰もいない]**
**[テーブルの上に]**
**[スマホが、置かれている]**
**[画面は、暗い]**
**[でも――]**
**[時々]**
**[光る]**
**[通知が、来ている]**
**蓮:「おはよう」**
**蓮:「ねえ」**
**蓮:「どこにいるの?」**
**蓮:「返事して」**
**蓮:「お願い」**
**[全て、未読]**
**[でも――]**
**[メッセージは、送られ続ける]**
**[毎日]**
**[変わらず]**
**[ずっと]**
**[画面だけが]**
**[暗闇の中で]**
**[光り続けている]**
**[―――]**
**[終]**
死んだはずの彼が、まだLINEを返してくる。 ――AIは、死を理解できない―― ソコニ @mi33x
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます