名刺の人

@kuragedrop

交流会には異ってはいけません

交流会の帰り、私はカバンの中で名刺を整理していた。

会社のロゴ、肩書き、笑顔の似顔絵──どれもよくあるやつだ。

だが、一枚だけ妙な名刺があった。


紙質はざらざらしていて、微かに湿っている。印刷もかすれていて、名前の欄にはこうあった。


「あなたの名前をください」


裏面には、うっすらと指紋のような模様が浮かんでいる。

気味が悪くて捨てようとしたが、なぜか手が止まった。まるで誰かに見られているような──そんな視線を感じたのだ。


その夜、私は夢を見た。

交流会の会場。見知らぬ男が立っていた。スーツを着て、顔の部分が真っ白にぼやけている。

男は名刺を差し出してきた。

「交換しましょう」

私は無意識にポケットから自分の名刺を取り出した。

次の瞬間、男の顔に私の顔が浮かび上がり、笑った。


朝、目が覚めると、名刺入れの中には“私の名刺”がなかった。

代わりに、あのざらついた紙が入っていた。

そこには、新しい文字が浮かんでいた。


「○○株式会社 営業部 佐藤優子」

──それは、私の名前だった。


そして下には、血のような赤いインクで、こう書き足されていた。


「次のあなたを探しています」


翌朝、私は名刺を見つめながら震えていた。

印字された自分の名前。

そして「次のあなたを探しています」の赤い文字。


気味が悪くて会社に行く前にコンビニのゴミ箱へ放り込んだ。

だが、出社してデスクにつくと──名刺入れの中に、また“それ”があった。

同じざらついた手触り。

裏には、昨日はなかった文がひとつ増えている。


「廃棄は無効です」


ぞっとして、すぐ同僚に見せようとした。だが、名刺を見せると彼女は首をかしげた。

「なに? 普通の名刺じゃん。あなたのやつでしょ?」

彼女の目には、赤文字も、ざらざらした質感も見えていないらしい。

ただの白い紙に、私の名前が印刷された会社名刺。


「……嘘でしょ」


帰宅しても、名刺はポケットから消えない。

財布を変えても、バッグを変えても、気づけば必ずそこにある。

三日目の夜、私は眠る前に名刺を机に置き、スマホで動画を回した。

自分が寝たあと、何かが起こる気がしたのだ。


──午前2時37分。


映像の中で、名刺がゆっくりと立ち上がる。

紙が擦れる音がして、そこから“指”のようなものがにゅるりと出た。

白い紙の中から、誰かの手が這い出してくる。

爪が赤黒く、皮膚は印刷のように平面的だ。

そして、その指がカメラに向かって、そっと「名刺を差し出す」仕草をした。


私は叫んで目を覚ました。

だが、机の上にカメラも名刺もなかった。


かわりに、枕元に一枚の紙が落ちていた。


「名刺交換、ありがとうございました」


裏を返すと、そこには私のスマホ番号、住所、誕生日──そして、

見覚えのない“顔写真”が印刷されていた。

その顔が、少しずつ私に似ている。

だが、完全には違う。

笑い方が、不自然に歪んでいる。


そして翌週、会社の交流会に新人が来た。

名札をつけた、どこか私に似た女性。

「はじめまして、佐藤優子です。営業部に配属されました」


笑顔で名刺を差し出してきた。

差し出されたそれは、見覚えのある──ざらざらした紙。
























新人の佐藤優子が来てから、社内の空気が変わった。

彼女はよく笑い、よく働き、誰とでも打ち解けた。

だが──その“笑い方”が、どこかで見たことがある。


あの日、紙の中から這い出してきた“それ”と同じ、

頬だけが吊り上がる笑顔。


私はもう、名刺を持ち歩かなくなった。

けれど、取引先に呼ばれて向かったある夜、

テーブルの上に置かれた名刺の束の中に、

一枚だけざらついた紙が混じっていた。


「あなたの名前をください」


反射的に立ち上がった。

視界の端に、新人の佐藤が立っている。

彼女は静かに、私のスマホを見つめていた。

ロック画面には、知らない通知。

“名刺交換を受信しました(送信者:佐藤優子)”


その瞬間、スマホが勝手に震えだした。

画面に私の顔が浮かび上がり、

電子音のような声で、誰かが囁いた。


「あなたの情報を同期しました」


痛み。

胸の奥がざらついた紙で擦られるように熱い。

手のひらを見れば、皮膚が剥がれ、下から白い繊維が覗く。

──紙?

血の代わりに、インクのような黒い液体が滲んだ。


目の前で佐藤が微笑んだ。

「これで、あなたも大丈夫です。次に渡すのは、あなたですから」


視界がぼやける。

世界がノイズ混じりに薄れていく。

机の上に、何かが滑り落ちた音がした。


名刺だった。

ざらついた紙。

そこには、真新しい文字が印字されている。


「○○株式会社 営業部 佐藤優子」


……いや、違う。

目を凝らすと、名前の部分がゆっくりと変わっていく。


「○○株式会社 営業部 (私の名前)」


最後に見たのは、名刺の裏。

そこには、血のような赤で、こう書かれていた。


「次のあなたを探しています」


──それが、私の最後の記憶だ。


いま、この文を読んでいるあなたのスマホの名刺フォルダに、

もし“知らない名刺”が増えていたら、

それは──多分、私のだ。

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